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ミミックって?

元 Oliie 編集部のメンバーたちが《 あんときのストリート 》を振り返るウェブメディア、ミミック。ストリートファッション黎明期である80年代後半から、絶頂を迎える2000年代初頭までを《 あんときのストリート 》 と定義して当時をゆる〜く掘り起こします。記憶が頼りなので間違ってるとこあったらすいません!

ある日のこと…

瀬戸

いやー、平成も終わっちゃいましたね

遠山

そうね。なんか昭和 → 平成よりもあっけなかったな

野田

あっけないといえば《あんときのストリート》も今思うともっと評価されるべきなんですけどねぇ

遠山

《あんときのストリート》ってなによ

瀬戸

ヒップホップとかメロコアとかレゲエとかミクスチャーとかスケボーとかBMXとかグラフィティとか…。

そういうとこから生まれたストリートブランドが脚光を浴びまくってた時代のことすよね?

野田

そうそう!

遠山

あぁ。雑誌だと我々の古巣オーリーとワープ、サムライ系ね。

野田

その前に社会現象化までしたヴィンテージ、レアスニーカー、裏原ブランドなんかもそうですよね

遠山

そういうのってもう消滅しちゃったのかね。残ってるのはシュプリームくらい?

野田

んなこたないですよ。有名どころで言うとオフホワイトとかア・コールド・ウォールとか…。ここらのブランドって作り手の世代的にも当時のストリートカルチャーが確実に影響してるんじゃないですかね。

新しさもあるんですけど、けっこう懐かしさも感じるんですよね。そこ引っ張ってくるんだ、みたいな

遠山

そうなの?

瀬戸

確かに。意図的か否かはわかんないけど懐かしさみたいなのがあるかも

野田

物心ついた頃からそういう雑多なストリートカルチャーがあったんだから、当然といえば当然なんでしょうけど

遠山

なるほど。だったらその当時のブツ、あらためて掘り起こしてみない? もう残ってないかもしれんけど

野田

うん。探してみる価値はありますね

瀬戸

やりましょう!《あんときのストリート》発掘ですね!

高柳

ぼくもいきます!


遠山 展行

プラスチップ合同会社 代表社員
1973年生まれ 埼玉県出身

 

《 あんとき 》好きだったブランド
UKトゥデイ、ロンズデール、キャバーン、サイモンテイラー、ユーズド、ダメージ、初期ファクト、初期エクストララージ

 

《 あんとき 》通っていたショップ 
スイッチ新宿アルタ店、デッドエンド原宿店、666原宿キャットストリート店、アストアロボット、レディステディゴー、デタント、デプト、セルロイド、ブロックス、東京堂、アウターリミッツ、クロフネヤ、トペコンヒーロ

 

あんとき 》聴いてた音楽
ラフィンのメジャー1st、ガーゼのファックヘッズ、オウトの正直者は馬鹿を見る、リジェクツのウィアーザファーム、レジロスのキャントスタンドザレジロス、スワンキーズのネバーキャンイートスワンクディナー、ニューエストモデルのユニバーサルインベーダー、ヘアのアウトオブアワヘア、ポーグス、トロージャンズ、ダンスホール全般

 

今欲しい《 あんとき 》のもの
ロンズデールのフロッキーのロゴTシャツとパーカー、ドロウルズのTシャツ、初期ファクトの猿Tシャツとキャップ、エアウォークのジェイソン・リーモデル、初期ダフス、デュークスのJダブ、アディダスのアディマティック、XYZのTシャツ、ビッグブラザーマガジンのTシャツ、アドレナリンのTシャツ

 

ホームタウンの埼玉・川越にてパンク、ロカビリー、サイコビリー、モッド、スキン、スカ、ガレージ、レゲエまでの教育を一通り受けたガラスの十代。アンチマスメディアを腹の底に据えながらも90年代中期より、なりゆきでフリーランスのファッションライターへ。1998年よりオーリー編集部に在籍。編集長にもなりました。退職後、自ら新規雑誌媒体を立ち上げようと奮闘するも失敗。ワープ編集部に在籍。編集長にもなりました。退職後、フリーランスのエディターとして活動。そして2015年、自ら企画した雑誌ボイドを立ち上げ遂に悲願達成。しかし、わずか1号で諸事情によりストップ。その後なんやかんやで2018年7月、編集・制作プロダクション+Chip(プラスチップ)合同会社を設立。メンズ、レディス問わずアパレルブランドのwebコンテンツやカタログ、雑誌などのディレクションを手掛けている

野田 大介 ( クルゼ )

株式会社ファナティック 代表取締役
1977年生まれ 埼玉県出身

 

《 あんとき 》好きだったブランド
シュプリーム、エイプ、アンダーカバー、ネイバーフッド、40%、ダブルタップス、リーコン、サブウエア、ヘクティック、マスターピース、ステューシー、コンプリートフィネス、2600、T19、ナイキ、グラビス

 

《 あんとき 》通っていたショップ 
シュプリーム代官山、ノーウエア、レディメイド、ネイバーフッド、リーコン、ヘクティック、コンセプト、テクニック、ステューシー代官山&原宿、アフターアワーズ、ブルース、クオリティ(大宮)、ラグタグ(売る専門)

 

あんとき 》聴いてた音楽
フリッパーズ・ギターのスリー・チアーズ・フォー・アワ・サイド、ブラックストリートの1stを筆頭にR&B全般

 

今欲しい《 あんとき 》のもの
アンダーカバーのオールスター型、ミズノのスリーフィートハイ、AFFAのMA-1、グッドイナフのモッズコート、マッドフット! × T19のコラボスニーカー、T19のアキームモデル、T19のケニカムモデル、マイノリティのレザーショーツ、アンダーカバーのアーガイルベスト、アンダーカバーの袖ニットライダース、m&mのベースボールシャツ、シュプリームの初期ボックスTシャツ (コーラ、グッチ、レンガ)、リーコンのタクティクスジャケット(アクロニウムのやつ)、サブウエアのタクティクスジャケット(アクロニウムのやつ)、ナイキのテラフマラ(FA別注の蛍光グリーンのやつ)

 

裏原宿一色の青春時代を謳歌した後、2000年からオーリー編集部に在籍。主にファッションページを担当し、当時取材NGだった裏原系ブランドの開拓とスニーカー取材に明け暮れる。2003年まで在籍した後は、当時盛り上がりを見せていたドメスティック・スニーカーブランドの1つ、マッドフット!へ転職。主に生産管理として中国と日本を行ったり来たり。その後はハニカムのライター、109系ブランドの通販部長などを経て独立。現在は株式会社ファナティックの代表として、アパレルブランドの通販サイトを中心にリニューアル支援や運用・売上改善をおこなう

瀬戸 航

株式会社ファナティック 平社員
1982年生まれ 東京都出身

 

《 あんとき 》好きだったブランド
ブラザーフッド、クレバークライム、ブートレグブース ( オーセンティック / エクスプローラー )、フーエバー、ag、デビロック、エンパイア、ステイアップレイト、シュプリーム、サー、チャンピオン、ミリタリー全般、エアジョーダン

 

《 あんとき 》通っていたショップ 
シャフト、クレバークライム、チャプター、コンセントレイト、ハイト、アメイズ、ミリオンエア、東京ファントム、アメリカンロゴ

 

あんとき 》聴いてた音楽
ハイスタンダード / バックドロップボム / ブラフマンなどAIR JAM系全般、ロッテンオレンジ系などの日本のハードコア、レイジなどの洋楽ミクスチャー(ラップコア)

 

今欲しい《 あんとき 》のもの
ブラザーフッドのパーカ ( 超ヘビーウェイト & ビッグサイズ )、クレバークライムのスタジャン、フーエバーのロゴパーカ、シュプリームの初期リュック、コンプリートフィネスのリュック、エアジョーダンのオリジナルカラー全般、90年代のNBA選手のシグネチャーモデルのバッシュ全般

 

AIRJAM・ストリートキッズ真っ盛りの学生時代を過ごしたのち、2004年から2006年までオーリー編集部に在籍。主にドメスのストリート系ブランドやインポート系セレクトショップを中心に取材を重ねる。00年代後半は職を変えながらゆるく過ごすも、2011年にアパレル専門のWeb支援の会社に入社。制作ディレクター部門のマネージャーとして、ブランドサイト、ECサイト、アプリなど多岐にわたる制作に没頭する日々を送る。その後、Webプロダクションの制作マネージャーを経て、現在は株式会社ファナティックに在籍。サイト/システムの制作全般、サイトリプレース/システム導入時のプロジェクト管理などを行う

“高柳”

高柳 淳

座右の銘は「酔生夢死」
1978年生まれ 群馬県出身

 

《 あんとき 》好きだったブランド
T-19、レピデックスシステムズ、ワードオブマウス、ペイドインフル、オウン、エクスプレッション、ドリーム1000、トーキョーエアランナーズ、フェイクチルドレン、KLE、サキャスティック、ホームズ、レギュラー、ホームレス

 

《 あんとき 》通っていたショップ 
ヘクティック、ダイオード、ELT、ストーミー、アリーナ、ステューシー代官山、デタント、33、ネバーランド、ロウドリップ、エクストラビジョン、サーカス

 

あんとき 》聴いてた音楽
渋谷系のなかでも、特にLBネーションが大好きでした。スチャダラパー、四街道ネーチャー、キミドリ、脱線3

 

今欲しい《 あんとき 》のもの
トーキョーエアランナーズの1stスタジャンのチャコールグレー(サイズアップで)、レギュラーのホッケーシャツ、アディダスのノートン、コンバースのドクターJ、グッドイナフのパラシュートパンツ、グッドイナフのスウェットコーチJKT、アナーキックアジャストメントのアキラTシャツ

 

3歳年上の従弟の影響により小学生の頃よりストリートカルチャーにハマる。当時、音楽・ファッションカルチャーの発信地が東京であったため、どうしても東京のショップに通いたく、そのためだけに東京の進学校に中学受験を試みる。何かの手違いで見事合格。以降、高校卒業までの6年間、群馬から東京まで新幹線通学をする(その様子はNHKでも取材される)。大学卒業後は、2001年よりオーリー編集部に在籍。主にスケートボードページを担当する。以来、カルチャー系のコンテンツ制作に従事し、現在は、流れ流され、某ミュージックエンタテインメント会社で広報を務める