00年代にブームを巻き起こした”固定ギア自転車”の醍醐味
今回は「最後のストリートカルチャー」と呼ばれたピストについて振り返っていきたいんだけど、ボクたちだけでは心もとないので LOOP MAGAZINE 編集長で元オーリー編集部の住吉くんと、同じく元オーリー編集部でBMX・ピスト担当だったシダックスにも参加してもらいます
お二人とも、よろしくお願いしまーす
まぁ振り返ると言っても、資料がまったくない (笑)。それどころかボクは1回もピストに乗ったことがなく、ハニカムを手伝っているときに取材させてもらったくらいの知識なので、ピストの定義について今一度振り返っていきたいんだけど
簡単に言うと、ペダル(クランク)とタイヤがチェーンで直結してるフィックスドギア(=固定ギア)になっているのが特徴ですね。
ママチャリだと漕いでない時にペダルがシャーって空回りするけど、ピストにはそれがありません。ペダルが慣性で勝手に動くので、下り坂なんかで自分が漕ぐのを止めても足が勝手に漕がされちゃいます
あの感覚に最初はめっちゃとまどうんですよね
そうそう。初心者だとペダルに足を弾き飛ばされちゃったりしますね
後ろに漕げば後ろに進むし、慣れるまではストップ・アンド・ゴーも難しくて。タイヤとペダルがリンクしてるから「漕いでる」というよりも「踏んでる」に近い、独特な乗り心地ですよね
直感的だよね。スキッドさせながら坂を下るとか、ほかの自転車とは違う面白さがある
※ 走行中にクランクを強制的に止めて、リアタイヤをドリフトのように滑らせること。ピストの代表的なテクニック
組み立てるのも楽しいですよね
走るための最低限のパーツしかないから、専門知識がない人でもちょっと触ればパーツ交換なんかもできますしね
その辺りはスケボーに近い感覚なんだね。飾りもデッキに貼るステッカーがスポークカードになる、みたいな
※ピストバイクのホイールにカードを挟んで飾り付けること。もともとはメッセンジャーが自分の所属するチームを示すために始めたらしい。レースイベントのカードなど、多彩なアイテムがある
そうそう (笑)
あとさ「ギア比」ってあったよね? 誌面に掲載する際には自転車のデータに必ずと言っていいほどこの表記があったんだけど、かなり重要なんでしょ?
※チェーンリングの歯数 ÷ コグ(後輪)の歯数のことで、ペダルを一回転漕ぐと後輪が何回まわるかを示す数値。ギア比はペダルの重さにも影響するが、特にピストにおいて重要なのは、前述の「スキッド」で後輪を地面にドリフトする時に、地面に触れる=タイヤが削れる位置(スキッドポイント)がギア比によって増減する。タイヤを長持ちさせるため、ブーム当時はスキッドポイントが最多になるギア比が研究された
そうそう、前がいくつで後ろがいくつだとスキッドポイントが増えるからタイヤが長持ちするみたいな。前47の後ろ17がちょうどいい、とかね
ダメだ、全然分からん (笑)
NYのメッセンジャー文化だったピストを日本に持ち込んだキーパーソンたち
ピストを街で乗るなんて《あんとき》のピストブーム以前には日本になかったカルチャーでしょ?
そうですね。ルーツはNYとかのメッセンジャーですね。それが日本では最初にスケーターの間に広まりましたよね
そうそう。T19の人たちから広まったイメージ。ボクは乗ってないから分からないんだけど、やっぱりスケートとピストって共通する部分が多いんでしょ?
画像引用:BROTURES
トリックもあるし、かなり多いと思います。スケートボードより選べるパーツが多いので、組み上げていく楽しさもあったと思います
2006年頃だよね?
ですね。それくらいからジワジワきてたと思います。それまでは、自分もNYのメッセンジャーが乗ってるって聞いてはいたけど、日本で乗ってる人は見なかった。当時はストリートで自転車と言えばBMXみたいなアメリカンなバイクにみんな夢中になっていました。
多分、あの時に日本人でピストに乗ってたのは、現役のメッセンジャーだったHALさんやshinoさん、NYでメッセンジャーをしていたアーティストのMADSAKIさんくらいだと思います
HAL君は当時メッセンジャーで世界中のレースで活躍していたひとりだね
※東京のメッセンジャーの先駆けであり、自身のメッセンジャーチーム「Transmit ( トランスミット ) 」で活動。アーリーキャットレースやバイクイベントの企画を行い、ピストバイクを日本各地に広めた人物のひとり
彼らのようなNYスタイルメッセンジャーのオリジネーターが先駆けって感じですね。会社でいうとトランスミットやクーリエ。最初期に「MIXPRESSION」っていうアンダーグラウンドなメッセンジャーレースも企画していました。
これはメッセンジャー業務をゲーム化したようなレースなんですが、NYでフォーマット化されてたメッセンジャーイベントになります。今じゃ考えられないけど、みんなノーブレーキで参加してて。そこにT19が参加しはじめて、ちょっとずつカルチャーが表面化していく
シダックスがピストを最初に知ったきっかけは?
W-BASEの人からですね。「今、みんなピストに乗ってるよ」って聞いて、その中心がアキラさんとかヨッピ-さんだったんですね。その話を聞いた数ヶ月後にSpectator ( スペクテイター ) でピストに乗ってるアキラさんの記事をみかけて。
特にアキラさんが早かったんじゃないですかね。そこからヨッピ-さんやジェシーさんに波及していって。余談ですがヨッピーさんやジェシーさんに最初にピストを組んであげたのがトランスミットのHALさんなんですよね
T19の人たちは競輪のフレームを使ってたよね
競輪といえば ( 藤原 ) ヒロシさんとか ( 立花 ) ハジメさんさんにもピストが広がっていったけど、ヒロシさんのお父さんが競輪選手だったというのも運命的だよね、とは言ってもピストは彼ら ( メッセンジャーやスケーターの人たち ) のカルチャーだからって言って一歩引いたポジションにいたことを思い出すよ
ブームの火付け役”MASH”と動画プラットフォーマーの台頭
そしてピスト人気を決定付けたのがMASHですよね。最初のビデオが2007年で、そこから一気に広がりはじめた
確かに。ピストってvimeoの映像で広がっていった感じだったよなぁ
ピストって図らずもvimeoやYouTubeといったネット動画が広がっていく時代とリンクしていたカルチャーなんですよね。
記憶に残ってるのがブームの走り出しの頃、YouTubeすら割と感度の高い人しか知らない時期にヨッピーさんがサンフランシスコでダウンヒルする映像を上げていて。それが生まれたてのピストシーンの中でバズってて
DVDを買って観るんじゃなくて、ネットで皆が簡単にいろんな映像を観られるようになっていく過度期ですよね
そもそもピストに関する情報自体が本当になかったからね。MASHをはじめ、ネットに上がってる動画はとりあえず全部漁るみたいな感じで、まだまだ情報が枯渇していた時代です
代々木公園で「ファンタジーナイトレース」っていうのもあったよね。当時、ハニカムで取材に行ったんだけど、参加メンバーもギャラリーも名だたるメンバーが勢揃いで、ペースメーカーがヒロシさんやハジメさんという豪華さ (笑)
ありましたね!自分の感覚では、あの時期ってまだ黎明期で本格的なブームになる一歩前のイメージです
なんかそこで感じたのが、カルチャーが生まれる現場に始めてリアルタイムで立ち会えているというか。自分がピスト乗るわけでもないんだけど、すごいワクワクする一夜だったのを覚えてるよ
《 あんとき 》 のピスト入手事情
黎明期の頃ってフィクスドのチャリを探すってこと自体難しかったんじゃないですか?
ヤフオクとかで探してたよ
競輪の払い下げとかですか?
そうそう。競輪部がある高校に捨ててあったりとか、いっぱい掘れるところがあったんだよ (笑)
街の自転車屋さんに行くと良いチャリが眠ってたりね (笑)。ピスト界隈でむっちゃ価値のあるチャリが何年も触ってないような状態で売れ残ってて。もうゴミみたいな値段で売られてるみたいなこともあったな
そういうのを掘り起こすって、最高に楽しそうだね
もちろん店主のおじさんは価値を分かってないわけ。だからこっちもめちゃくちゃ欲しい気持ちを出さないようにして売ってもらうという (笑)。
そんな感じでモノはたくさん埋もれてるんだけど、売ってるところがよくわからないのが黎明期。で、流行ってくるとモノ自体がない状態になっていき、本格的にブームが盛り上がるとだんだん新品でも買えるようにメーカーが作ってくって感じなのかな。フジのフェザーとかね。わりと誰でも買える値段でだしてくれて
僕は2009年くらいに初めてピストに乗るようになったんですけど、そのときはやっぱフジのフェザーでした
そういう人多かったよね、完成車で買えるし
7万くらいで「まずはこれ乗ってたら大丈夫だから」ってチャリ屋の兄ちゃんに言われて、素直に言うこと聞いてました!
そうそうそう、2009年くらいにはそういう買い方ができるようになってたよね。一方でレア物はどんどん高くなる
一時期、ヤフオクとかでもめちゃくちゃ高騰した時期がありましたもんね。いわゆるNJSって言われる競輪のレースの規格に沿ったフレームが国内でも海外でも人気で、特にその中でもナガサワ、カラビンカ、マキノあたりのメーカーの、いいサイズで傷もないようブツは10万超えるのは当たり前みたいな。ブーム前だと1万~2万でやりとりされてたのにね
それに応じてフリマも高くなっていきましたもんね
本格的なブーム到来。「最後のストリートカルチャー」と呼ばれるワケは
そういえば、LOOP MAGAZINE っていつ創刊だっけ?
2007年の夏だね。1号目のインタビューには藤原ヒロシさんも
住吉君が企画したわけでしょ。そしてその企画が通るぐらい、シーンができつつあったってことだよね。まぁピストも乗り物だし、三栄 ( 書房 ) が出さずにどこが出すんだって話だけど (笑)
その規模まで広がった要因の一つは、やっぱり( T19の )大瀧さんの存在ですよね。人脈あるし、人望あるし、影響力あるし。だから、広くからみんなが集まってきやすかった
NIKEの広告もブームを象徴してたよね
ありましたね。「ブレーキなし。問題なし。」のやつですよね
写ってるのは 『 Far East Smokin’ Skidderz 』 っていう自転車のクルーだよね。極東焚煙固定自転車滑止軍団
(ブレーキがついてないから違法かつ危険という)クレームが殺到してソッコーで外されて
当時はオーリー編集部にも結構クレーム来てたの覚えてます。「ノーブレーキ載せてんじゃねえぞ!」みたいな。ピストイベントの多くもこの流れを受けてアングラ化していきましたね
このブームが終息していくのは、いつ頃なんですかね
2006、7年ぐらいが黎明期で、2008年、9年あたりで規制が厳しくなり、10年くらいには乗ってる人は静かに個々で楽しんで、あんまり外に発信していかなくなって落ち着いた感じかな。そう考えるとあっという間だったなあ。こうやって振り返ると、全部2-3年ぐらいの間に広がっていったことなんですね
ボクは見てるだけだったけど、ピストってのは自分たちが黎明期から立ち会うことができた数少ないカルチャーの1つなんだよね
今までスケートボードとかBMXにしても、その文化が本当に生まれていく瞬間を目の当たりにした日本人ってほとんどいないじゃないですか。ヤナさん( =MIMIC メンバーの高柳 )くらいの今やベテラン世代のスケーターですら、スケートが誕生してからカルチャーとして成熟する時期をリアルタイムでは見ていないわけですよ。
でもピストって、インターネットの普及も相まって、世界同時でみんなが目撃したというか。だからあれだけの旋風になったのかなっていう感じはします
当時はストリートシーンの元気がなくなっていたところに、みんなが口コミで集まってきて夜な夜なレースしたりね。そういうゲリラっぽさだったり、健全すぎないところがすごくストリートっぽかったよね。と同時に「これが最後のストリートカルチャーなんだろうな」って感じはすごいしてた
事実、最後ですよね。あの後、新しいムーブメントが出てこない。ただ、ブームは終わって多少淘汰されたけど、残ったお店もあるんですよね。「BLUE LUG」然り「GEEK GARAGE」然り
そうなんだ。コロナでまた調子いいんじゃないの?
チャリ売れてるって言いますよね。固定ギアじゃないシングルスピードで乗ってる人も増えてるって
もう一回ピスト組む人たちがフツフツといるっぽいよ。他にはオールドスクールBMXだったり、オールドスクールMTB乗ったりとかね
すごいね、今のバイクブームと完全に同じじゃん。リターンライダーたちが旧車乗るみたいな。
ボクは今バイクにハマっているので、今度は《あんとき》のバイクブームについてもお願いします。参考資料で特攻の拓あるし、TWブームはキクタクじゃなくm&m発だったなど、意外と知られていない真実もあるしね (笑)
いいね、それ (笑)