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EGOIST ( エゴイスト ) 誕生秘話と《 あんとき 》のギャルカルチャー

《 あんときのストリート 》を発掘|MIMIC ( ミミック )

《 あんとき 》マーケットという、5年に渡り続けてきたミミックの集大成を終え、心機一転というか番外編というか、本日のミミックでは『 EGOIST ( エゴイスト ) 』を通して、《 あんとき 》 のギャルカルチャーを振り返っていきたいと思います。

なぜミミックで?という声も多く聞こえてきそうですが、SHIBUYA109 を中心としたギャルカルチャーは日本が世界に誇るストリートカルチャーだし、リアルイベントで一区切りついたタイミングでもあるし、ミミック主宰の野田が在籍した DURAS ( =デュラス。《 あんとき 》 にはエゴイストと同じグループでした ) が2024年5月末に人知れずブランド終了を迎えてしまったことなど、様々な要因が重なり、ミミックで振り返っていきたいと思いました。

そこで今回は、エゴイストを運営する株式会社エルベンの代表、リサさんにインタビューを敢行!Y2Kブームによって数多くのメディアから取材が殺到する中、それらについてはすべて断ってきたということですが、元グループのよしみ、そしてボクたちの本業であるワズアップ!ザッピングのクライアントという間柄もあり、ミミックだけに当時のことを詳しく語ってくれました。

とはいっても、聞き手がボクたちだけでは心許ない!ということで、平成ガールズカルチャーといえばこのお方という Tajimax さんと一緒に振り返っていきたいと思います。

中西 理紗

エゴイストを運営する株式会社エルベンの代表。エゴイストがまだセレクトショップ時代から在籍しており、エゴイストのすべてを知る生き字引的存在

Tajimax

ライター・コレクター。2018年からSNSを中心に90年代~00年代の平成ガールズカルチャーをメインに紹介している。以降、『オリコンニュース』『現代ビジネス』『WWD.JAPAN』『ビジネスジャーナル』『クイック・ジャパン』『Fashion Tech News』『東洋経済オンライン』などで平成カルチャー関連のインタビューや執筆・寄稿に携わる。また古雑誌をメインに平成ガールズカルチャー関連のアイテムを膨大に所有。

96年
売上に大苦戦したセレクトショップ時代

MIMIC

まずはエゴイスト前夜のお話からお伺いしたいのですが、ボクらが知るブランドとしてのエゴイストは98年からスタートすると思うのですが、会社の設立は94年の10月。買い付け商品の卸の傍ら「 エゴイスト 」という名前のセレクトショップをされていたんですよね?

中西 理紗

そうですね。SHIBUYA109 に入っていました。オープンしたのは96年で、最初はポップアップの契約でしたね

MIMIC

当時の SHIBUYA109 はどんな感じでした?

中西 理紗

me Jane ( =ミジェーン ) と LOVE BOAT ( =ラブボート ) が全盛期。 他には Kapalua ( =カパルア ) とかですね。その辺の人気ブランドが B1F に集中していたこともあり、盛り上がっているのは B1F だけで、上の階はそんなにという状態だったと思います

Tajimax

そんな中でリサさんは、なぜエゴイストに入社したのですか?

中西 理紗

マルキューで働いたらモテると思って (笑) 。最初はミジェーンを希望していたのですが、募集が社員だったので「 じゃあ、いいです 」って断ったら、たまたまエゴイストの求人が載っていて。「 この店、109にあるじゃん!」と思ってすぐ電話しました

MIMIC

セレクトショップ時代のエゴイストは、どのような商品を取り扱っていたのですか?

中西 理紗

主にヨーロッパからの買い付けでした。派手でゴージャスで、まるで露出狂が着るような服だったので、全然売れてなく (笑)。売上ゼロの日もありましたね



セレクトショップ時代のエゴイスト。地球のようなアイコンは買い付けで世界を股にかけるという意思表示の表れか

Tajimax

鬼頭社長 ( 当時のエゴイスト社長 ) は、なぜ 109 の出店を選んだかご存じですか?

2010年6月発売の THE マルキューに掲載された鬼頭社長のインタビュー記事

中西 理紗

当時、都内で若い女の子向けの売場といったら、サンシャイン、109、新宿アルタの3つしかなかったからだと思います

MIMIC

リサさんがお店に立ちながら、鬼頭社長は本社で卸をやっていたと

中西 理紗

今インタビューしているこの場所 ( 現プレスルーム ) が創業の地なので、ここで出荷してましたね。最初は私たちもここに出勤して、卸の研修や出荷をしていました

MIMIC

当時のエゴイストは何階にあったのですか?

中西 理紗

最初はポップアップの契約で3階でやってました。そこから半年後ぐらいに4階で本出店になるのですが、なんで本出店できたのか今思うと謎でしかない (笑)

Tajimax

4階に本出店したときは「 これから会社が変わるな!」みたいな、感慨深さはありましたか?

中西 理紗

ただ「 階が変わるよー 」みたいな感じでしたね(笑)

97年
倒産寸前だった、セレクトからオリジナルブランドへの移行期

MIMIC

その本出店あたりから、セレクトだった品揃えがオリジナルに変わっていくんですよね? きっかけはなんだったのですか?

中西 理紗

本出店しても相変わらず商品が売れなくて。あまりにも商品が売れないので、そのときの店長が日本のメーカーさんに洋服を別注しようという流れになり

MIMIC

おお、ここで露出狂じゃない人も着れる服の登場ですね (笑)

中西 理紗

当時の店長が MARS ( =マーズ ) で経験を積んだ男性の方で、メーカー仕入れの経験があり。

その経験を活かして、もう少しリーズナブルでカジュアルなものを企画して売りたいとなり、社長に提案したら入社 3、4 ヶ月目の私が担当する流れになり (苦笑)

Tajimax

服作りを勉強したわけでもないのに !?

中西 理紗

いきなりメーカーに行って生地を選んだりするんですけど「 私、服なんて作ったことないんですけど 」みたいな…

MIMIC

そのときは、どんな服を作ったんですか?

中西 理紗

その店長がいつもテンガロンハットを被って、ウエスタンが大好きな人だったので、自然と方向性はウエスタン寄りになっていきました (笑)

Tajimax

ロッキーアメリカンマーケットみたいなイメージですかね?

中西 理紗

そうです。ウエスタン調の服や自分が手作りした革のアクセサリー、そこに全然テイストが違う買い付けの服も並ぶという、謎のお店 (笑)

そこから毎月メーカーさんのラインナップの中から自分でセレクトして、( 委託だったこともあり ) 売れなかったら入れ替えるということをしていました。とはいっても、この時期はまだまだ普通にメーカーのセレクト的な延長でブランドとして体をなしているわけでなく、あくまでセレクトショップの延長のような状態で

MIMIC

売上はどうでしたか?

中西 理紗

1日 1万とか2万円。しかもみんな若いし、好き勝手して誰も働かない (笑)。そんな状態だったので、もう明日には会社が潰れるかも…という事態に陥ります。とはいってもスタッフも働いている自覚がないから、倒産すると言われてもよく分からない感じなんですけど (笑)

Tajimax

さすがに倒産の話が出たときは、スタッフと話しあいましたか?

中西 理紗

いや、帰り道に「 どうする?」といった軽いノリでしたね (笑)

98年
稀代の名プロデューサーが加入!会社の存亡を賭け、韓国買い付けへ

MIMIC

その後のV字回復へと繋がる舞台が整ってきましたね (笑)。そしていよいよ渡辺加奈さんの加入となるわけですね。その経緯を教えてもらえますか?

中西 理紗

同じ4階フロアにあったシュープ ( =babyShoop ) 、ジャッシー ( = Jassie )、カパルアといったショップのスタッフと毎週コンパやクラブで遊んでいたんですけど、そのメンバーの中に加奈ちゃんがいました。

当時、加奈ちゃんはカパルアやココルル ( =cocolulu ) で成功していたので、私なりに売上を伸ばしたいと思って、閉店後、お店をみてもらうことにしたんですね。そのときの加奈ちゃんはココルルを立ち上げてすごいことになっていて、色々な大人から注目されて大変そうな時期だったんですけど

MIMIC

ココルルの立ち上げも98年なので、比較的すぐのタイミングですかね?

中西 理紗

そうですね。ココルルをオープンさせて半年で大ヒット。その後は他のブランドの立ち上げをやっていたようです。そんなタイミングで加奈ちゃんから先のことを相談受けていたので、( 鬼頭 ) 社長のところに「 友だちの悩みを聞いてほしい 」と連れていくことになりました

MIMIC

スゴい話ですね。ボクらが知るエゴイストが生まれたのは、リサさんが加奈さんと鬼頭さんを繋いだことがきっかけだったのですね

中西 理紗

そのときに加奈ちゃんは自分がやりたいことを社長と熱く語り合ったらしく、お互いに共感するものがあったみたいです。そのときのエゴイストは会社に300万円しかなくて、本当に大変なときだったのですが、社長は加奈ちゃんに賭けたんです。それで300万円を渡して「 これで買い付けてくれ 」と。そしたらそれが売れるんですよ。なので、またすぐに買い付けにいって、という感じで

MIMIC

それは韓国ですよね?韓国の買い付けによって売上がそれだけ変わった理由は、価格以外に何が違っていたのですか?

中西 理紗

やっぱりトレンドですよね。そのときのトレンドを目利きして、安く販売する。それと種類を豊富に揃えることができるようになりました

MIMIC

この韓国の仕入れルート開拓こそが、その後のギャルカルチャーはおろか、現在のインフルエンサーブランドにも通ずる1つの礎になっていると思うのですが、エゴイストはこのルートをかなりの初期段階から利用していたと思います。それによって1週間〜2週間程度での納期を実現すると共に、低価格化も実現させました。

これはギャルブランドに対する黒船的な存在となった08年くらいのファストファションブームと同じようなことを、10年も前に旧来のアパレルブランドに対して行っていた秀逸なビジネスモデルだったと思うのですが、そもそもこのルートはどのようにして知ったのですか?

中西 理紗

ミジェーンの会長とマーズのバイヤーさんから教えてもらったのが最初ですね。当時の東大門は今のように整備されていないから、本当に未開拓の市場という感じで、雑多な感じでした

MIMIC

時期は加奈さん加入のタイミングですか?

中西 理紗

そのちょっと前ですね。なので加奈ちゃんが入る前から韓国仕入れはちょこちょこやっていて、その背景に加奈ちゃんの目利きが加わったことで一気に上向いてきた感じですね

98年 – 99年
ブランドをリニューアルし、カリスマ店員ブーム到来!

続きは切り取り線をなぞってね!

低コスト、短リードタイムを実現した生産背景と、スタッフを打ち出すマーケティング手法がハマり、世界一の坪効率を達成!

MIMIC

そうした韓国買い付けによって資金を貯めて、いよいよエゴイストのリニューアルですね

Tajimax

それが、ちょうど98年のリニューアルの時ですか?

中西 理紗

そうです。そのリニューアルの際に加奈ちゃんがコンセプトを「 バービー 」にすると言って、レトロテイストにリニューアルすることになりました。当時はブリジッド・バルドーに憧れていて、60年代と70年代にインスピレーションを受けた感じですね

ブリジッド・バルドー:フランス出身の女優、ファッションモデル、歌手。「 フランスのマリリン・モンロー 」とも形容されるほど人気だったが、1973年に女優業を引退して動物愛護活動家として活動

MIMIC

エゴイストのタグがついてオリジナルブランドとして成り立つのが、このタイミングになるのですか?

中西 理紗

セレクト時代もタグはあったのですが、正式なブランドとしては98年のこのタイミングがスタートですね。それでスタッフも一新することになり、既存のスタッフは全員クビになり…。まぁ、全員遊んでいたから仕方ないんですけど。結果的に私だけが残った形になります

MIMIC

スゴい。年もそう変わらないのに加奈さんは、完全に経営者視点なんですね

中西 理紗

そうなんです。それで新しいスタッフは加奈ちゃんが他店から引っ張ってくることになるのですが、ここに容ちゃん ( =森本容子 ) と麗子 ( =中根麗子 ) がいました

Tajimax

スタッフの人選もスカウトも自らおこなう、まさにプロデューサーですね

中西 理紗

容ちゃんは、エゴイストの裏にあった PINK DIAMOND ( =ピンクダイヤモンド ) で働いていて、そのときから「 この人は何か持っているかもしれない 」と目を付けていたみたいで、麗子は面接で入ってきました。その頃、ちょうどメディアの取材が始まってきたこともあり、容子をカッコいい、麗子をカワイイのイメージにして2枚看板として打ち出すことで大ヒットしていきました

MIMIC

翌年の99年にはこの本が出るくらいですもんね

Tajimax

販売スタッフだけでムック本を出版したのはエゴイストしかなかったと思います


99年に発売された EGOIST SUPER STYLE BOOK。カリスマ店員たちが見開きで登場して私物や交友関係といったパーソナルな部分が紹介されている

MIMIC

その前の歴史を辿ってもラブラドール ( リトリーバー ) の中曽根さんのようなストリートファッションのカリスマは存在しましたが、それって実績をベースにした自然発生的なカリスマで再現性はなかったと思うのですが、エゴイストの場合は、ブランドの象徴として最初は打ち出されてデビュー。やがて本当のカリスマになっていくというアイドルの成長戦略に酷似していますね

中西 理紗

確かに。加奈ちゃんのマーケティング力はすごいですね、それ聞いて天才かと思いました(笑)

Tajimax

このムック本で凄いなと思うのが、単純に愛用品を載せるだけじゃなく、スタッフ同士の相関図があるんですよね。誰と誰が仲良しなんだ、とか。そういうのがファンの子は読んでいて楽しいと思うんです

MIMIC

なるほど。女子はエゴイストスタッフの相関図。男子は特攻の拓の相関図に喜びを感じていたわけですね

Tajimax

あと気になるのは「 2枚看板でいこう 」というのは、加奈さんが決めるわけじゃないですか。その当時、他のスタッフはどのような反応だったのですか? 「 私も!」みたいに揉めたりはなかったのですか?

中西 理紗

そこはあまりなかったんですよ。お客さんからの反応が明らかにこの2人はズバ抜けていて、雑誌で打ち出す前から目立つ存在ではあったのは確かなので

MIMIC

どのように違っていたのですか?

中西 理紗

麗子は、今で言うところのインフルエンサー。自分を可愛く見せるストイックさが凄かったです。容ちゃんはスタイルも良いし、雰囲気もカッコいい。最初からおしゃれで芯を持っていたので、元から完成されている感じでしたね


篠山紀信が1970年〜2000年の30年間のアイドル500名以余を撮影した写真集「 アイドル1970-2000 」にもカリスマ店員は登場

MIMIC

ヒットメーカーにカリスマ店員というブレイクの条件を満たしたエゴイストは、99年9月には最盛期を迎え、月間売上2億8万円、坪効率で1183万9000円を記録し、ギネス記録を打ち立てます

中西 理紗

99年9月は、1日から30日まで全部覚えているくらい大変でした。あともう少しで2億を達成するので、1週間くらい前からメディアの取材依頼が止まらないわけ。でもこっちはレジでお客様の対応をしなくてはいけないのに、ずっと電話が鳴りっぱなしなので最後の1週間くらいは取材の電話にブチ切れてました (笑)

MIMIC

1日700万近く売る計算ですもんね。しかもレジも1台とか2台ですよね?

中西 理紗

1台だけ。なので毎日朝から閉店までお客様が外に並んでいる状態でした。閉店ギリギリの21時半ぐらいまで対応するけど ( ちなみに営業時間は21時まで )、それ以降はシャッターが閉まってしまうので、並んでいる途中のお客様に帰っていただかないといけない日々の繰り返しでしたね


エゴイストがリニューアルした時の様子。この時からすでにハンバじゃない混雑具合

99年10月 – 2002年
プロデューサーやカリスマ店員の退職により、次のサイクルへ

MIMIC

99年が過ぎるとエゴイストも変わっていきますよね

中西 理紗

そうですね。10月に容ちゃんが退職して、2000年4月に MOUSSY ( =マウジー ) を立ち上げます。同じ2000年ぐらいには加奈ちゃんも退職することになり、SWORD FISH ( = ソードフィッシュ) を立ち上げることになります

MIMIC

当時のエゴイストの梁山泊感たるや。反面、個が立ちすぎるが故に引き抜きや独立という流れが避けられないのも必然なのでしょうね

中西 理紗

そうなってくると加奈ちゃんが作った、今までのバービーというコンセプトでやっていくのが難しくなってきて、新しい事業部長の元で「 セクシー&グラマラス 」というずっと使っていけるコンセプトに変えて、リスタートをきることになります

MIMIC

加奈さんはともかくとして、ずっと一緒に働いていた森本さんが独立してブランドを作ったとなると、中根さんにもその機運は高まっていきますよね?

中西 理紗

そうですね。麗子はエゴイストの企画もしたことあるのですが、スタッフの憧れの存在でもあるので、主に人事担当をお願いしていました。でもやっぱり自分のブランドを持ちたいとなり、04年2月に RAVIJOUR ( = ラヴィジュール ) がスタートすることになります ( =08年に別会社に )

2006年 – 2009年
自ら発信する術を身につけていた次世代プロデューサーたちの台頭

MIMIC

他にも01年の DURAS ( =デュラス )、03年の Majorena( =マジョレナ )、05年の g MALOUSE ( =ジーマルーズ ) といったブランドが株式会社エゴイストの事業部として立ち上がり、やがて分社化されていきました

一方で06年になると MURUA ( =ムルーア )、09年には EMODA ( =エモダ ) など、マークスタイラーから、次世代のプロデューサーたちが出現し、一躍人気ブランドとなっていきます

中西 理紗

98年のエゴイスト誕生、2000年のフェイクデリック ( = マウジーの運営会社 ) 誕生、そして2000年代半ばから後半にかけてのマークスタイラー系ブランドの誕生。109の歴史で時代とともに大きく動いたのは、確かにこの3回ですよね

MIMIC

第一世代とでも言えば良いのか、ボクがいた DURAS のようなエゴイスト世代の109系ブランド界隈で都市伝説のように語られていた50億の壁みたいなものを、これら次世代ブランドは軽々と超えていきました。この辺の新しい流れについては、どのように見ていましたか?

中西 理紗

読モやおしゃPブームが到来したことで、カリスマ店員の代わりにおしゃPが活躍する時代になっていきましたよね。お金も使うだけ使ってバーンとブランドを打ち出す、そんな時代に変わっていきました

Tajimax

おしゃP !懐かしいですね。当時、アメブロはされていましたか ?

中西 理紗

最初はクルーズブログで、途中からアメブロに変えました。各店舗ごとにブログを立ち上げましたね

MIMIC

この時期って、メンズでもそうなのですが、ブランドにとっての大きな転換期だと思っていて。以前は雑誌が企画を考えて、取材をして、分かりやすく編集して発信してくれる。ブランド視点でいくと、ネタさえ提供していれば、プロの料理人がうまく調理して、集客までしてくれるような時代でした。

一方で雑誌の影響力が徐々に落ち始めて、発信する術がネットに移行してくると自分たちで能動的に発信していかなければなりません。自分たちで素材も調理も担当し、集客まで考えなければいけない時代への変革ですね。今まで受け身でよかったものが、急に能動的な姿勢を求められるだけでなく、自分たちでコンテンツを作成して、届ける力をも求められるように変わっていきました。

この時期は、過渡期ということもあり、その二軸が並走しているタイミングであったと思います。次世代のプロデューサーたちは、この両方をうまく使いこなしていたし、会社としても、そういうことができる人をアサインして新しいブランドを次々とデビューさせることに再現性を持たせていた、と思うのですが、この新しい流れをエゴイストとしては、どう見ていましたか?

中西 理紗

やられたと思いましたね。モード系といった切り口が今までのギャルにはなかったので、新しい時代はこっちだなって。事実、2010年代になると徐々にギャルファッションもモード系にシフトしていきましたね。

またこの頃になると、有名な読モなどをプロデューサーに立てて、ブランドを出すという流れが普通になっていきますよね。これは現在のインフルエンサーから生まれるブランドも同じだと思うのですが、やっていることってエゴイストが 98年 – 99年 にやったことと同じだと思うのですが、雑誌、ブログ、SNS … と、発信するメディアが変わっているんですよね

2020年代
ライセンスも活用し、次世代へのアプローチも始めたエゴイスト

Tajimax

2020年代になり、もう4年が過ぎましたけど、109は今後どのように変わっていくんでしょうね

中西 理紗

ここ数年で大きな山は動いてないですよね

MIMIC

今やメジャーどころはファンドが入っていて、昔のようなヤンチャはできないでしょうしねね。かつてはカウンター側にいて、尖った人たちの巣窟だった109も今や押しも押されぬメインストリームになりました。ですので今は《 あんとき 》と別の戦い方をするのが正解でしょうし、なにより時代が大きく変わっているわけで、109にいけば見えていた時代の変革も今やその一部はスマホの中で起こっていて、ボクらには見えづらくなっているのかもしれませんね

中西 理紗

当時のように109一択時代ではなく、今は選択肢も豊富ですからね

MIMIC

アパレル一辺倒から、エンタメにふっている感はありますよね

中西 理紗

109は日本のカルチャーの象徴というか、アニメや映画でも109の描写が出てくるように、1つの象徴としての価値は高いと思います。でもそれで洋服を売れるのか?というとイコールではないので、アパレル、雑貨屋、下着、アクセ…と、売上比率もだいぶ変わりました

Tajimax

昔の109の話を聞いていると他フロアのスタッフを引き抜くとか、独立してブランドを立ち上げるとか、他の施設よりもドラマティックで夢がある場所でしたよね

中西 理紗

109に漂うお金の匂いを嗅ぎつけて、その当時のギラついている人たちがマルキュービジネスに集まっただけという話もありますよね (笑)。なだけに、お金の話がなくなったら全員引いていくので変化も激しい

MIMIC

そんな中で、エゴイストは今年でブランドがスタートして26年目になると。今はライセンスにも力入れてますよね?

中西 理紗

ちょっとやってみようかなと思って、いろんなとこと喋ってますね

MIMIC

それこそ売上よりもブランディングという名の元にイメージ命だった《 あんとき 》からすると、ライセンスといえど量販店での取り扱いは絶対にできないという選択肢だったじゃないですか。でも世代が違うと、逆にそんなこと言ってる方がダサくて、目に触れない方がダサいとされることもある

《 あんとき 》世代の人たちは今、各企業において意思決定のレイヤーになっているので、この辺の葛藤を抱えている人も多いんじゃないかと思うんです。その中で、リサさんは一歩を踏み出した。しかも後から入ってきたわけでなく、《 あんとき 》からずっと見続けてきたブランドをです

中西 理紗

確かに、ずっとライセンスの拒否をしてきたのですが、時代が変わって今までやってきたことが90年代ファッションとカテゴライズされ、アーカイブと呼ばれるようになってきました。これは絶対的にチャンスなんです。けれどエゴイストとして、そこを打ち出すのはちょっと違うと思っていて、今の若い世代の方々に訴求するのだったら、ドン・キホーテとかと組んで90年代カルチャー、平成ギャルといった切り口で見せていく方が伝わると思ったんです

ドン・キホーテとエゴイストが展開する GRAN EGOIST

Tajimax

当時の復刻というよりもY2Kですね

中西 理紗

Z世代よりも下、小学生や中学生とかはもう感覚が全然違うし。そういった世代に合わせて寄り添っていくのが正解なのかなと思っていて、それにはリバイバルとして何かを復活させるだけでは、当時を知る一部の人たちが盛り上がるだけでマスには響かない。

だからこそライセンスという手法で、他の方の力もお借りしながら今のスタイルの子たちに届けていければなと考えています。もちろん本体のエゴイストの方も、時代のスタイルに合わせてやっていきたいと思います

MIMIC

楽しみにしております。今日はありがとうございました!

エゴイストの新作紹介

動画接客ツール ザッピング で投稿