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映画『KIDS』がNFTアートに!その仕掛け人が語る 《あんとき》前夜の東京カルチャーと『KIDS』の魅力

《 あんときのストリート 》を発掘|MIMIC ( ミミック )

ストリートムービーの金字塔として、今なおシーンに強い影響を与え続ける映画『KIDS』。主演のジャスティン・ピアースやハロルド・ハンターを中心に’90年代のNYスケーターが総出演し、ヒロインにもX-GIRLのモデルを務めたクロエ・セヴィニーが起用されるなど、《あんとき》のリアルストリートを知るうえで欠かせないバイオグラフィーとしても高い評価を得ています。

劇中には、ジェファーソン・パンやハヴィエル・ヌネズといったシュプリームの周りのスケーターも登場する

そんな『KIDS』のジャケ写が新進気鋭のアーティスト集団「PAIN(t)KILLER」によるラリー・クラーク公認のデジタルドットアートとして生まれ変わり、バーニーズ ニューヨークからグラフィックTシャツを発売され、NFTアートは顧客向けに抽選販売されたのはご存知でしょうか?? ミミック編集部の野田もさっそくロンTを購入するなど、業界関係者の間ではかなり話題になっているよう!

こちらがそのグラフィックTシャツ。詳細はこの記事の巻末で紹介しています!

そこで今回のMIMICでは、このプロジェクトの仕掛人であるバーニーズ ニューヨークの中野光章さんに取材を敢行! ファッションとNFTアートを融合させた新しい取り組みについて話を伺いました。

ちなみに30年近い業界歴を持つ中野さんは、《あんとき》のストリートシーンが誕生する前の“渋カジ”や“パーティ”といった東京カルチャーを体験した人物。しかも中学1年生の頃には、『KIDS』に勝るとも劣らない日本版の不良ムービー『ビー・バップ・ハイスクール』に出演した経歴も持っているお方! MIMIC的には《あんとき》前夜の東京がどんな空気感であったのかにも興味津々! もちろん、そちらの話も伺ってきました! いや、むしろそっちがメインになってしまったかも(笑)

中野光章(なかの・みつあき)

 

1973年生まれ。大学卒業後、バーニーズ ジャパンに入社。新宿店のデザイナーズフロアで7年間の販売経験を積んだ後、PRチームのヘッドマネージャーを経て、現在はPR・自社メディア・オンラインストアを統括するブランドコミュニケーション部ディレクターを務める。趣味はインディアンジュエリーとスニーカーの収集

「山の手」と「下町」で違った、《あんとき》以前の東京ファッション事情

MIMIC

今回は映画『KIDS』のコラボTシャツとアートワークのNFT化についてお話を聞かせていただきたいと思っているんですが、同時に僕ら的には中野さんの体験した東京カルチャーについても非常に興味がありまして。

というのも、僕らが体験したストリートって、いわゆる裏原宿とか恵比寿系といわれる’90年代中頃以降のシーンが中心なんですが、中野さんが体験した東京カルチャーはそれよりも昔。それこそ、アメカジや渋カジの時代にそのど真ん中にいらっしゃったわけじゃないですか。当時の東京がどんな状況だったかを教えてほしいと思っているんですが

中野

僕は葛飾生まれ、葛飾育ち。今でいうと、ラッパーのZORNさんがローカルとしている新小岩が地元です。当時はヤンキー全盛の時代で、進学する予定だった中学校も校内暴力が盛ん。まるでドラマの『スクール☆ウォーズ』のような荒れ具合でした。

しかも僕は小学校6年生の頃にすでに身長が173cmあったので、母親に「このまま地元の中学校に進学しても先輩たちから目をつけられてヤンキーになるだけだから、どっか私立の中学校にでも行きな」と言われ、中学受験をすることに

MIMIC

どの辺の中学校を受験されたんですか?

中野

立教と法政と獨協を受験して、最終的にラグビー部のある獨協に進学しました。 『スクール☆ウォーズ』 の影響からラグビーが好きだったのと、受験の下見の際に道を尋ねた先輩がすごく親切に対応してくれたのも獨協を選ぶ決め手となりました

MIMIC

『ビー・バップ・ハイスクール』 に出演されたのもこの頃ですか?

中野

そうですね。小学校6年生のときにシリーズ1作目の映画を観て、不良の世界に憧れてしまい……(笑)。小学校4年生から愛読していた「ヤングマガジン」でシリーズ2作目の出演者を募集しているのを見かけて応募しました。

選考に落ちても抽選でTシャツがもらえると書いてあったので、それ目当てで応募したのですが、2回、3回とオーディションを受けているうちに、見事受かってしまって(笑)。’86年に公開された『高校与太郎哀歌(エレジー)』に、仲村トオルさんに絡んでシメられる中学生、ケンジ役で登場しています

『高校与太郎哀歌(エレジー)』 に出演したときの中野さん。衣装の詰襟の高さが時代を感じさせます

今でも大事に保管している映画の台本

MIMIC

中高生になって渋谷や原宿にデビューする前に、芸能界の方に先にデビューしちゃったわけですね(笑)。ちなみに撮影現場はどんな雰囲気だったんですか?

中野

出演者には、実際に暴走族の幹部をしている人たちもいっぱいいましたし、監督の那須博之さんもサングラス奥の眼光が鋭くて“モノホン”みたいな雰囲気を醸し出していましたね (笑)

MIMIC

その辺りは、ストリートのリアル悪ガキが出演していた 『KIDS』 と近いノリがありますね(笑)

中野

そうですね(笑)。その後もドラマ 『あぶない刑事』 に浅野温子さんに補導される金髪の不良少年役としても出演したのですが、担任に呼び出されて 「そういう活動してるヤツは大体学校辞めるから、今のうちに退学するか、芸能活動をやめるのかどっちかにしろ! 」 とキツく言われてしまい、以降の活動は自粛することになるのです

金髪姿で 『あぶない刑事』 に出演した際に、自宅で記念撮影した写真。背景にある子ども用の学習机があどけなさを感じさせます

『ビー・バップ・ハイスクール』 『あぶない刑事』 の2作で一緒になった仲村トオルさんとの思い出写真

MIMIC

やっぱり東京でもちょっとヤンチャな子たちは、みんなヤンキーにハマっていたんですか?

中野

そうですね。でも、それには地域差があったかもしれません。確かに僕の地元の東東京では「男は強くあるべし」みたいな価値観が強く、ヤンキーカルチャーが熱く支持されていましたが、僕の通っていた目白の獨協( ※中高一貫校 )では、ちょっとカッコいい高校生の先輩は詰襟の学ランの上にショットかなんかのライダースを着て、スニーカーで登校していました

MIMIC

じゃあ、同じとっぽいスタイルでも 「下町」 と 「山の手」 では、ノリが少し違ったわけですね?

中野

そうなんですよ。中1のときに文化祭で見た先輩たちの私服姿は衝撃的で、リーバイスの501やリーの200をめちゃくちゃカッコよく穿きこなしていました。当時はまだ渋カジって言葉が浸透する前でしたが、どうやら上の世代ではアメリカンスタイルを着こなすアメカジが流行っているらしいというのがわかり、アメ横に洋服を買いに行くようになります

MIMIC

どんなアイテムを買っていたんですか?

中野

初めてアメ横に行ったときには、ヤヨイでヘルスニットのヘンリーネックTシャツとパーカー、アメリカ屋でリーバイスの525を買いました

MIMIC

501ではなかったんですね

中野

店員さんに「キミはガタイがいいから太めの525のほうがいいよ」と言われて、渋々525を買いました……。でも結局、シルエットが気に入らずにその後、501を買い直したのですが(笑)

 

私立の中高一貫校生たちを夢中にさせたクラブ遊びとクラブファッション

MIMIC

ファッション以外で、当時の仲間うちで流行っていた遊びはありましたか?

中野

ラグビー部のつながりから高校生の先輩たちとも仲良くなったのですが、次第に遊び慣れている先輩から「キミは中2だけど大人びているから、パーティに遊びに来なよ!」と渋谷のクラブに誘われるようになるんです

MIMIC

中2でですか〜!? それは早いですね!

中野

わけもわからず買わされた3000円のパー券を握りしめ、渋谷の地下にあったクラブというかディスコに足を運んだのですが、そこはカワイイ女の子たちがいっぱいいる異世界で(笑)。中2といえば、女の子としゃべったり、ちょっと仲良くなるだけで、めちゃくちゃワクワクしちゃう年頃ですから、「こんな楽しい世界があるのか!」とパーティの世界にどハマりしていきましたね

MIMIC

どんなクラブに行ってたんですか?

中野

渋谷の公園通りにあった「ラ・スカーラ」ってディスコです。そこは学習院女子や聖心女子の子たちもよく集まっていたディスコで、当時はIDチェックなどもなかったので、ませている子だと中3くらいから遊びに来ていましたね。なので、ラグビーの練習が終わったら、急いで私服に着替えて遊びに行き、知らない女の子とチークタイムを2回ぐらい踊って、夜の10時には家に着くみたいな生活を送っていました(笑)

MIMIC

部活でヘトヘトに疲れても、年齢の若さと女の子と遊べる高揚感で元気になっちゃってたわけですね(笑)

中野

そうなんですよ(笑)。最初は仲間うち2、3人で遊びに行ってたのですが、最終的にはかなりの大所帯で遊びに行くようになっていました。だから、僕の周りの同級生たちはみんな、「ラ・スカーラ」で知らない女の子とファーストキスを済ましているヤツが多いのです(笑)

当時仲の良かった遊び仲間たちとのショット。仲間うちの女の子には、プライベートジェットや自宅にプールを有するような桁違いな令嬢もいたそう!左にいるのが一人だけステューシーを着用し、ファッション偏差値の高すぎる中野さん

MIMIC

青春のいい思い出ですね(笑)。中高時代は、しばらくそこで遊んでいたんですか?

中野

1、2年ほどは遊んでいたのですが、中3 のときにちょっとした事件が起きてしまって。というのも、僕らはラグビーで体を鍛えていたこともあって、女の子からのウケも良かったのですが、次第に調子に乗るようになっていたんですね。そしたらあるとき、調子に乗りすぎたツレがフロアの中央でデングリ返しを始めて、見かねた黒服に上に呼び出され「 もう二度と来るな!」とつまみ出されてしまったのです……

MIMIC

ませてたとはいえ、やっぱりお茶目な“中学生感”が出ちゃったんですね(笑)

中野

ええ(笑)。それで他の遊び場所を求めて、六本木まで足を運ぶようになるのです。当時、DA DA(※1)周りのメンバーの人たちがよく踊っていたドゥルーピー ドゥルーワーズというヒップホップの箱があったのですが、高校生になるとそこに毎週のように通っていましたね。そこからいろいろなジャンルの音楽が好きになり、代々木のチョコレートシティ(※2)にも行くようになりました

※1 有名ダンスボーカルユニット、ZOOを輩出した伝説的なダンスTV番組
※2 RIP SLYMEやRHYMESTER、DJ KRUSHといった日本を代表するヒップホップ・アーティストを輩出した伝説的かつ革新的なライブハウス

MIMIC

当時はクラブ遊びに夢中になっていたんですね。すると、ファッションも渋カジから夜遊び向けの着こなしに変わっていったんですか?

中野

ええ。もちろん、ラブラドールリトリーバーに行ったり、ラルフローレンを着こなす渋カジスタイルにも影響を受けていましたが、高校時代の僕に最も大きな影響を与えたのはアニエスベーです。高1のときに偶然足を踏み入れた、当時、根津美術館の近くにあった青山店があまりに洗練されすぎていて。働いている店員さんのボーダーの着こなしや黒のパンツの穿きこなしが本当に素晴らしく、雷に打たれたような衝撃を受けました。それからというもの、アニエスの青山店にはかなり足繁く通いましたね

アニエスベーを着こなす当時の中野さん。なかでもブランドのアイコンともいえるカーディガンプレッションは、お気に入りのアイテムだったそう

MIMIC

アニエスベーとの出会いは、中野さんがファッション業界へ進むきっかけにもなったんですよね

中野
はい。特に店員の内田さんという方の接客が素晴らしく、自分も内田さんのような接客がしたいと思って、ファッション業界を志すようになりました。『メンズノンノ』でアニエスベー特集が掲載されたときも、スタイリストの甲斐弘之さんや白山春久さんたちと並んで誌面に登場するほど、お洒落な方でもありましたね

MIMIC

そうだったんですね。それ以外のお店だと、どんなところに通っていたんですか?

中野
アメ横のセンタービルにあったアウターリミッツにはよく行きました。ここも店員さんがお洒落だったのと、ごちゃっとした店内に本当にいろいろ洋服が並べられていたのが魅力的でしたね。ステューシーの存在を初めて教えてもらったのもアウターリミッツでした。それとクラブファッションつながりでいえば、吉祥寺の33やラフォーレのセルロイドなんかにもよく行っていましたね

MIMIC

じゃあ、高校から大学時代の仲間うちの流行りは、クラブ遊びや音楽がメインだったんですね

中野

ええ。たとえば、同じラグビー部に、有名なスケートショップからスポンサードされているスケーターの友人がいたのですが、彼がガスボーイズの上杉さんと仲が良かった縁からかDJバリK~んさんがうちの高校の文化祭でDJしに来てくれたこともありました。

あとは同じくラグビー部の後輩に現在、真柄さんのMASTERPIECE SOUNDでSTAMINA-X名義でMCをやっているヤツがいて、彼は大学時代にZOAっていう西麻布のクラブでよくパーティーをしていましたね


MASTERPIECE SOUNDの真柄さん (中) とSTAMINA-X (右 )とのショット / 画像引用:クラベリア

MIMIC

ZOAは懐かしいですね! そんなに大きな箱ではないですが、隠れ家的なクラブだったんですよね

中野
そうですね。当時はマッドマックスっていうクルー名でやっていたんですけど、その彼が今はSTAMINA-Xとしてやっていますね

MIMIC

マッドマックスといえば、完全にアウターリミッツの流れを汲むクルーですよね。上野のGEMINIってレゲエクラブがホームでよく遊びに行ってました

中野
僕も初めて彼らのパーティーでマイクを持たせてもらいました

MIMIC

え〜!! アツいですね!

中野
女友達も連れていたし、いいとこ見せなきゃって(笑)。クラブ音楽全般が好きだったので、ヒップホップはもちろん、レゲエも好きだったんですよ。高校時代ラグビー部の試合の前日にランキン(タクシー)さんと同じ髪型にして、母親にどえらく怒られたこともありましたね(笑)

MIMIC

当時はレゲエクラブがいたるところにあったりして、クラブ系のファッションでもレゲエとかラガマフィンの流れを汲むスタイルが支持されていた時代ですもんね

ナイキに就職したいと思うほど、スニーカーにも夢中だった当時の中野さん

中野

( 取材用に持参いただいた資料を探りながら )あ、これが先ほどお話したガスボーイズの上杉さんと仲が良かったスケーターの彼です。ガスボーイズの「バカ&シロート」のジャケにも写り込んでいるんですよ。バーニーズ ニューヨーク新宿店に勤務していたセールス時代には縁あって上杉さんとも仲良くなり、色々な集まりにも参加させてもらいました

ガスボーイズ「バカ&シロート」より。ハードコアとヒップホップが融合された、当時のオルタナシーンの様子がわかる一枚。中野さんの友人は右上に写るロン毛の方

MIMIC

このコラージュアートはカッコいいですね。ガスボーイズのトレードマークともいえるアディダスのキャンパスもあしらわれていますね

中野

多分、当時メンバーの今井さんが働いていた上野のカネオカで撮られた写真だと思うのですが、僕は同じアメ横の山男フットギアにもよく通っていたんですよ。大学時代に入っていたマーケティングのゼミで、スニーカーをテーマにレポートを書くときも大変お世話になりました。これがそのときにワープロで作成したレポートなのですが

山男フットギアで仕入れた最新のスニーカー情報が掲載され、まるでZINEのように楽しく読み進めることができるレポート。完成度も非常に高し

MIMIC

表紙にビースティボーイズの『Skills to Pay the Bills』のジャケ写を使ったんですね! この魚眼レンズを使った撮影方法は、スニーカーが際立つ撮り方の先駆けでしたよね

中野

これ見てみんなフランス製のキャンパスを探しに行きましたからね

MIMIC

アディダスに注目しているのはもちろん、スーパースターじゃなくて、キャンパスに目をつけたことにも驚かされましたよね

中野

あと、このときはちょうどジョーダン10がリリースされるタイミングで、シューズと一緒に歴代のジョーダンやスパイク・リーが関わった広告などがレイアウトされたカードが同封されていました。

僕は発売前のジョーダン10の写真をこっそり山男スポーツで見せてもらい、それをイラストにしてレポート内にも掲載したんですね。それをナイキのお客様相談室を経由して当時のナイキの広報の人に見てもらったこともあったのですが、その方は非常に喜んでくれて。後日、ナイキのプレス用冊子を数号プレゼントしてくれましたね

MIMIC

スニーカーもお好きだったんですね

中野

そうなんですよ。本当はナイキに就職したいと思っていたくらいですから

MIMIC

そうだったんですね! あ、レポート内にはエロス(※3)の方の名刺も掲載されていますね!

※3 ’90年代に一世を風靡した人気DJ、宇治田みのるが手掛けた人気クラブ。雑誌『Fine』関連のイベントも数多く開催された

中野

ええ、エロスの大沢さんという方なのですが、その方にも大変お世話になりましたね

MIMIC

エロスはフレッシュジャイブの日本初上陸のイベントも開催された箱でしたし、非常に人気があったんじゃないですか?

中野

一時期人気が出すぎて、全然入れないときもありましたね。でも、オープン当初から通っていたこともあって、大学に入ってからは大沢さんには顔パスで入れてもらっていたんですよ。それとVIPルームによくいたドクトル中島さんっていう『Fine』で連載を持っていたマッサージ師の方とも仲良くなって、よく遊んでいましたね。

その後は大学2年のときに頸椎を痛めてラグビーをやめることになるのですが、「これからどうしよう?」って考えたときに、音楽が好きだし、クラブが好きだしってことで、大学1年に続いて、大学3年生と4年生のときにもニューヨークへクラブめぐりの旅に出かけました。だから、ちょうど『KIDS』の撮影をしていた’95年には、僕はまさにニューヨークにいたんですよ

映画『KIDS』が撮影された当時のニューヨークとクラブシーンの様子

中野

そのときの写真がこれですね。これは大学3年のときに撮影した写真なんで、’94年に訪れたニューヨークですね

NYの高級百貨店の顔役を担ったバーニーズ ニューヨーク。当時ダウンタウンにあった旧本店の前で撮影した一枚

MIMIC

バーニーズの前で撮影していますね

中野

当時は、多い日は1日に2回というハイペースでバーニーズ詣をしていました(笑)。ちなみにこのときはタダ(無料)でニューヨークに行くことができたんですよ

MIMIC

え、どうやってですか?

中野

実はこのとき、漫画誌の『ビッグコミックスピリッツ』でニューヨーククラブ特派員の募集というものがあり

MIMIC

スピリッツでですか??

中野

意外にもそうなんです。それで「マジ!! 俺、クラブ大好きだし、応募するしかないじゃん!」と思って、応募の作文を書いて編集部に送りました。すると、3組選ばれたうちの1組に見事選出されまして。帰国後に誌面用のレポートを書くことにはなりましたが、旅費と宿泊費はスピリッツ持ちで行かせてもらえました

MIMIC

すごいですね! 組ということはペアで行かれたんですか?

中野

ええ。その当時、UFOのラファエルさんなんかが掘りに来ていたエボニーサウンズというレコード屋が東北沢にありまして。そこで学校を中退した仲良いラグビー部の先輩が働いていたのですが、その人と一緒に行きましたね。僕らの学校では結構有名な先輩で、良く一人暮らしの永福町の家に泊めてもらっていました

MIMIC

ニューヨークはどの辺を回っていたんですか?

中野

高城剛さんが手掛けたドラマ『バナナチップス・ラブ(※4)』の影響をモロに受けていたので、ライムライト(※5)には絶対行かなきゃと思って行きましたね。あとは、トンネル(※6)なんかのクラブにも行っていました。

ショッピングでは、ダウンタウンもアップタウンも両方ぐるぐる回っていたのですが、週末にはガレージセールや蚤の市で貴重なレコードが放出されることも多かったので、ダウンタウンの16丁目~17丁目にある空きスペースで開催されていたガレージセールによく足を運んでいましたね。バーニーズ ニューヨーク以外では、バーグドルフ・グッドマンをチェックしてからラルフローレンやブルックス・ブラザーズのショップで買い物をすることが多かったです

※4 当時としては異例の全編ニューヨークロケで撮影された、松雪泰子の初主演作となる恋愛ドラマ。音楽は、藤原ヒロシとDub Master Xが担当。スパイク・リーの実弟、サンキ・リーも出演

※5 ニューヨークのクラブ王、ピーター・ガティエンがオーナーを務めた伝説のナイトクラブ。チェルシーの6番街と20丁目の角に立ち、ゴシック様式の教会を改造したクラブだった

※6 同じく、ピーター・ガティエンがオーナーを務めたクラブ。ヒップホップ専門誌『VIBE』からヒップホップの聖地と呼ばれた箱

MIMIC

やっぱり、当時のニューヨークでは『KIDS』に出てくるようなスケーターを見かけることは多かったですか?

中野

その当時は、まだシュプリームなどのお店の情報は僕の耳には入ってきませんでしたが、スケーターはよく見かけましたよ

MIMIC

少し危ない雰囲気を醸し出しているようなストリートキッズもいましたか?

中野

ストリートの子たちは仲間意識が強いのか、同じような色のアイテムを身につけたりして、妙な連帯感を感じさせることが多かったですね。友人が公園でタバコを吸っていたときも、「あのアジア人は誰だ? 」みたいに集まり始めたりして。映画の中でもゲイの人をからかって、みんなでボコボコにするシーンがありましたけど、確かにそんな危険な雰囲気はありましたね

MIMIC

『KIDS』ではナイトクラブも少し危険な場所として描かれていましたが、実際に行ってみた感じはどうでしたか?

中野

箱によりますが、特段危険を感じるようなクラブはなかったですよ。現地の人をトンネルに誘ったときに、「4ブロックも歩くなんて危険すぎるから嫌だ」と断れることはありましたが。でも、2mぐらいの黒人のドラッグクィーンがお立ち台で踊っている下で、ゲイのカップルたちが情熱的なチークを踊っている場面に遭遇したときは、これぞニューヨーク!と感じました(笑)

ファッション界に吹き込んだ、ラリー・クラーク公認のNFTアートという新風

MIMIC

そんな中野さんも体験した’90年代中頃のニューヨークを描いた映画『KIDS』ですが、今回バーニーズ ニューヨークで再びスポットライトを当てようとしたのはどんな理由からなんですか?

中野

きっかけは、昨年他社でブルース・ウェーバーのTシャツや写真販売などを企画した、R.TM GALLERYの代表を務める知人との再会でした。獨協大学の先輩でバーニーズ ニューヨークのカリスマバイヤーとして名を馳せた仲田さんの後輩にあたる方で、もう20年以上のつき合いがあるのですが、僕が「バーニーズ ニューヨークで新しい取り組みをしたいと思っている」という話をすると、「ラリー・クラークの面白いプロジェクトがあるよ」と提案してくれて。

単なる焼き直しだったら、他のブランドさんでもすでにいろいろと企画されているので興味を持たなかったと思うのですが、ラリー・クラーク公認のNFTアートとして新たに生まれ変わらせるという試みには強く惹かれまして。ストリートのクラシックスを現代の最新技術と掛け合わせるという挑戦は、すごくバーニーズ ニューヨークらしいと思い当社の敏腕バイヤーに繋ぎました

MIMIC

決して懐古主義に陥るのではなく、それを題材にさらに新しい挑戦に取り組んでいますもんね

中野

ええ。NFTアートって、今普通に売買されている作品もブートとして流通してしまっているものも多く、アーティストから訴訟を起こされているケースも少なくないんです。でも、今回の作品はラリー・クラークがオフィシャルとして認めていることが非常に先進的だし、貴重なんですよ。

それと、TシャツとロンTの背面には、ガス・ヴァン・サントやクロエ・セヴィニーといった制作陣やキャストのクレジットを載せる許可も得ています。これも新しい試みです。他にも日本製のオリジナルボディを使い製品洗いをかけてプリントのトーンを馴染ませてたりして、とにかく着心地良く製作していますから、数年後にはプリントのカスレ具合なども味になり、将来はヴィンテージとしても楽しめるアイテムに仕上げています

製作陣やキャストのクレジットが並ぶ、グラフィックTシャツの背面

MIMIC

ちなみに今回の作品は『KIDS』のアイコンともいえるジャケ写をドットアートに生まれ変わらせていますが、これはどなたのアイデアだったんですか?

中野

これはデジタルドットの作風で今注目を集めている、「 PAIN(t)KILLER 」という新進気鋭のアーティスト集団の作品になるんです。1ヶ所だけドット欠けを設けることが彼らのアイデンティティになっているのですが、今回のNFTアートではこのドット欠けが異なる5点を制作しています。うち4点はバーニーズの特別なお客様向けに抽選販売し、残る1点は世界最大級のNFTマーケットプレイス「 オープンシー 」にて現在10万ドルスタートのオークション形式で出品されています

Sの文字が載せられた黄色のボックス内の左上にある赤いドットが、「 ペイン(ト)キラー 」のアイデンティティとなるドット欠けになる

MIMIC

基本的なことをお聞きしてしまいますが、NFTというのはデータの所有権になるわけですよね?

中野
そうです。なので、本当はイーサリアムという仮想通貨を取引する口座を開設して、そこで売り買いしなければいけません。でも、それだとお客様にお手数をおかけしてしまうので、今回はデータの販売とあわせて、自宅で作品を飾って楽しめるデジタルパネルもR.TM GALLERYの好意でお付けしています。デジタルパネルの額装は美術館のキュレーションも手掛ける恵比寿の「ポスト」の代表にオーク材を使った特注のものを製作してもらいました

MIMIC

そこまで手の込んだ取り組みをされたということは、中野さんご自身も『KIDS』という映画が好きだったということはあるんですか?

中野
正直、映画の内容は非常に後味の悪いものなので、誰かに強くオススメしようとは思ったことはないのですが(笑)、サントラはすごく好きでよく聴いていましたね

MIMIC

『ビー・バップ・ハイスクール』 にご出演された中野さんから見ても、ニューヨークの悪ガキたちは「 …… 」と思うところがあったと

中野

『ビー・バップ・ハイスクール』 が描く不良の世界は、“喧嘩に勝った負けた”“女の子に恋した振られた”という単純な出来事で一喜一憂する世界なので、すごくカラッとしていますが、『KIDS』は扱うテーマがセックスやドラッグといったものなので、なんか湿度を感じて(笑)。ただ公開当時、敬愛する川勝正幸さんが「 『KIDS』が子どもたちに支持される理由は、出演者たちと同じ子どもの目線で淡々と彼らの暴走を描いているからだ」と解説していて、「なるほどなぁ」と膝を打った記憶はありますね。大人の目線で子どもたちを裁こうとしていないのが魅力なのかと

MIMIC

川勝さんらしい鋭い指摘ですね

中野
しかも川勝さん情報によれば、エグゼクティブ・プロデューサーに名を連ねたガス・ヴァン・サントは、作品をプロデュースしたわけではないみたいですよ。当時まだ実績のなかったラリー・クラークを映画関係者に「 彼は信頼できる人です 」と紹介してくれたことへのお礼として、エグゼクティブ・プロデューサーにクレジットしたみたいです。ガス・ヴァン・サントは『ドラッグストア・カウボーイ』を制作する際に、ラリー・クラークの写真集『タルサ』から着想を得たこともあって、彼をリスペクトしていたみたいですしね

MIMIC

ラリー・クラークの人となりをきちんと説明してくれたという意味でのプロデュースだったんですね。最後は『KIDS』にまつわる貴重な情報も教えてくださり、今日はどうもありがとうございました!

バーニーズ ニューヨークから発売されたTシャツとロングスリーブTシャツ

サムネイルをタップすると連続再生で観れます / 動画接客ツール ザッピング で投稿

カラーはそれぞれ白と黒の2色。サイズはS〜XLを展開
Tシャツ 各19800円、ロングスリーブTシャツ 各22000円 ( LARRY CLARK × R.TM GALLERY )
問/バーニーズ ニューヨーク カスタマーセンター 0120-137-007