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トラッカーやビッグスクーターが彩った 《あんとき》のストリートバイク狂走曲

《 あんときのストリート 》を発掘|MIMIC ( ミミック )

都内にある教習所では二輪免許の入所待ち、バイクの販売台数は前年比で3割以上増加など、コロナ禍の交通手段に選ぶ人も増えたバイクに第3次ブームが到来しています。中でも中古市場は、海外工場のロックダウンの影響による新車不足ということもあり大高騰! 旧車の ZII には1000万円近い販売価格がつくほどの過熱ぶりに。

そこで今回のMIMICではこうしたブームを牽引する40、50代の “リターンライダー” たちがかつて体験したバイクブームを再検証。中でもトラッカーカスタムのTWや、フュージョンなどのビッグスクーターが席巻した《あんとき》のストリートバイクブームを中心に振り返っていきたいと思います!

ゲストには、ピストカルチャーの紹介記事にも出演してくれた「 LOOP MAGAZINE 」編集長であり、数多くのモーターサイクル誌を出版する三栄書房の住吉くんをお招きいたしました!

 

まずはメンバーのバイク遍歴から

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今回の企画の言い出しっぺである野田は、( 原付だけど ) アメリカンに始まり、ネイキッドやネオクラシックといった王道を行くバイク遍歴。ちょうど10年ぶりの購入となる新車は、SR400のフルカスタム。半年以上の月日と新車価格の2倍以上のお金を費やした( 組んでくれたバイク屋さんのインスタで8000近い「いいね!」を集め、歴代最高となったのがちょっとした自慢 )。現在は、ハーレーのスポーツスターをトラッカー風にカスタム中。

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日本のスクーターカルチャーのOGとしても知られるKAZZROCKさんと一緒にカスタムを楽しんできた住吉くんは、すべてのバイクに凝ったカスタムを施して乗っていた模様。中でも、XR250Rに17インチの小さなオンロードタイヤを履かせてモタードカスタムを先取りしていた頃が、最もバイクにのめり込んでいた時期。

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同じくKAZZROCKさんやWHOEVERの人たちが当時やっていた、BWsのオフロードカスタムに衝撃を受けてストリートバイクに開眼した高柳は、ロードフォックスやヘキサゴンといった一風変わったスクーターを乗り継いでいたよう。

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遠山さんは当時発売されたばかりだった、ホンダの傑作原付と名高いズーマーを新車購入。一方、メンバー最年少の瀬戸は「 なんか、バイクってヤンキーっぽい感じがして、乗る気が起きませんでした 」と、バイク文化とは一切関わりを持たない人生を歩み、先輩たちとのジェネレーションギャップぶりを披露(笑)。

 

野田

今回は「 自分が再びバイクにハマっている 」という、ごく私的な理由からこの企画を思いついたんだけど、世の中的にもバイクブームが再熱していて、かなり盛り上がっているんだよね

高柳

らしいですね。しかもそのブームを支えているのが、《あんとき》のストリートバイクブームを経験した40代前後のリターンライダーだったりするみたいですね。って、まさに野田さんのことじゃないですか (笑)!

野田

そうなんだよ。そこで今回は、《あんとき》世代が夢中になった当時のストリートバイクブームを振り返っていきたいと思うんだけど、まずは簡単にその前夜となる’80年代後半から’90年代半ばまでのバイクシーンをおさらいしていきましょうか!

 

性能至上主義を貫いた’80年代後半のレーサーレプリカ時代

野田

まずは’80年代後半から話を進めていきたいと思うんだけど、この時代はもうレーレプ( =レーサーレプリカ )の時代ですと。とにかく速さに重きが置かれていて、各メーカーがガチで性能を競っていたみたいなんだけど

高柳

レース使用車のレプリカが流行っていたってことですよね?そんなバイクを公道で走らせて大丈夫だったんですか?

野田

メディアもライダーも「 速さこそ正義 」だと信じて疑わなかった時代だったみたいだから、日本中の峠やサーキットでリアルバトルが繰り広げられていたようだよ

瀬戸

怖すぎますね

野田

当然、交通事故なんかも増えて、過度の馬力は危険ということに……。各メーカーが自主規制をするようになって、ブームは沈静化していったみたいだけど

高柳

スピードというリアルを追求した姿勢はある意味、リアルストリートですね

 

アンチテーゼとして登場したネイキッドブームと国産アメリカンの台頭

野田

で、そんな中、発売されたのがネイキッドブームを巻き起こしたカワサキのゼファーなんだけど、この辺になると《あんとき》世代ド真ん中になるので知っているでしょ?

瀬戸

『 特攻(ぶっこみ)の拓 』で有名なバイクですよね。それだけは知ってます

住吉

そうだよね。ある種の入門バイクというか

レーサーレプリカブームも下火となった’90年代に巻き起こったネイキッドブーム。その火付け役は、『 疾風伝説 特攻の拓 』の主人公、浅川拓も乗っていたカワサキのゼファー。

カウルのないスポーツバイクという意味では、レーレプブームの全盛期にもそうしたバイクは存在していたが、パイプハンドルの完全なアップライト・ポジションやコンベンショナルなスタイリングといった独自のキャラクターが支持され、一躍、人気車種に。発売の翌年となる’90年にはクラストップセラーに輝き、同年にゼファー750を、’93年にはゼファー1100を市場に投入し、ネイキッドブームを世に定着させた ( 画像引用:BikeBros )

野田

ボクも乗っていたんだけど、ゼファーはそれまでの性能至上主義への反動から支持されたバイクといえるよね。エンジンも穏やかだし、スピードも遅いんだけど、少し古めの’70年代的ルックスがカッコよかった

高柳

初歩的な質問で申し訳ないんですが、ネイキッドって裸って意味ですよね? それって、通常は見えないエンジン部分なんかが見えているという意味で、そう呼んでいたわけですか?

野田

そうそう。カウルを装備していないバイクの通称だね。ヤマハのFZ400Nのカタログで、初めてその名が使われたといわれているみたいよ

高柳

野田さんはネイキッドブームを体験しているんですか?

野田

モロに影響を受けた世代だからね。今では考えられないかもしれないけど、当時の若い子が読んでいた青年コミック誌って、ほとんどがヤンキー漫画だったから、その登場人物たちが乗っていたネイキッドのバイクに否応なしに憧れちゃったんだよね

高柳

周りの友だちもみんなそんな感じだったんですか?

野田

そうだね。当時はネイキッドのバイクと、その少し後に流行った国産アメリカンのバイクが二大勢力になっていた記憶があるな

住吉

言われてみれば、俺もアメリカンがカッコいいと思っていた記憶あるわ。ハンドルを狭くしたスティードが出てくるヤンキー漫画っていなかったっけ? 湘南純愛組だったかな~。その影響でスティードに乗りたいと思ってたわ (笑)

90年代に入り、ネイキッドと人気を分けた国産アメリカン。写真のホンダのスティード400やヤマハのドラッグスター400、カワサキのバルカン400などがその代表格。販売台数が伸び悩むバイク不遇の時代といわれた中、スティードは発売10年間で8万台の出荷を記録した ( 画像引用:BikeBros )

高柳

国産アメリカンってことは、ハーレーとかの純粋なアメリカンとは違ったわけですか?

野田

当時はハーレーに乗りたくても、なかなか乗れなかったのよ。教習所で限定解除の免許が取れるようになったのは、ハーレー社の要請を受けて国が法律を改正した’96年だから。当時の大型免許は一発で取るしかなかったから、相当大変だったんだよ

住吉

俺も一発世代だったから、取るまでに何回も試験を受けたし苦労した。まわりには10回以上受けてた人もいたしね。初めての試験はスタートした瞬間に試験官に停車させられて、あっという間に終わった記憶が (笑)

野田

当時の大型は、選ばれし人しか乗れない希少なバイクだったよね

高柳

じゃあ、国産アメリカンは中免で乗れるから人気あったんですか?

野田

そうだと思う。カスタムパーツも結構あったしね。ま、そんなわけで、ストリートバイクが誕生する以前は、レーサーレプリカに始まり、ネイキッドとアメリカンの2大勢力がバイクシーンの主流を占めていたのです

 

源流は HFA ! バイクをカジュアル化させたストリートバイク誕生

野田

で、’90年代半ばくらいから感度の高いファッション関係者の間で、トラッカー仕様のいわゆるストリートバイクが密かに流行り始めるわけなんだけど。これってよくよく見返してみると ( 藤原 ) ヒロシさんが『 CUTiE 』で連載していた「 HFA( Hiroshi Fujiwara Adjustment ) 」で94年に先取りしてるんだよね

’94年の『 CUTiE 』の連載「 HFA 」vol.57より

高柳

この誌面は今でも覚えていますよ! 当時インパクトがありまくりだった

野田

バイザーライトやシートカウルを取っ払って、丸目のヘッドライトやフラットシートを装着したTWやFTRなんかが紹介されているんだけど、完全にトラッカーブームのはしりだよね。

原稿では「 m&mの二人がカスタムを担当しているので、興味のある人はお願いしてみてはいかがでしょうか 」とか書いてあるんだけど、情報が少なすぎてどんなカスタムが施されているのかよくわからないという (笑)

高柳

当時の藤原ヒロシさんの連載って、狙ってそうしていたのかよくわからないんですけど、原稿の情報量がめちゃくちゃ少なくて、写真からいろんな情報を読み取らないといけなかったですよね。

このときも、どういう流れからこうしたカスタムが生まれたのか一切説明がない中で、いきなりエポックメイキングなバイクが登場したんで、余計に枯渇感を煽られて夢中になってしまったところがありました

野田

このバイクのスゴさって、従来のバイクがツーリングを目的にしていたのに対し、街乗りをメインにして、バイクをカジュアル化させたところにあるよね。フルフェイスのメットやプロテクターをつけなくても乗れる手軽さが新しかったというか

高柳

裏原とかのお洒落なファッションに似合うバイクでしたよね

野田

それと当時、TWやFTRに目をつけている人って全然いなかったはずだしね

高柳

当時は、こんな感じのトラッカーカスタムが施されたバイクをストリートバイクと呼んでいましたよね?

野田

ストリートバイクの定義って、そこまで厳密に決められたものではないんだろうけど、その後、フュージョンをはじめとするビッグスクーターブームが起こる前までは、TWやFTRをトラッカー仕様にカスタムするのがストリートバイクのひとつの形だったよね。

ちなみに、TWって’87年に発売されて、’96年くらいには完全にブームになっていたので、ヤマハも’98年には丸目のヘッドライトを標準装備した吊るしのモデル ( TW200E ) を発売してるんだよね

’87年に発売されたヤマハのTW200。このバイクをトラッカーカスタムのベース車にしようとした発想力は、あまりにスゴすぎる ( 画像引用:gooBIKE )

ブームを意識したヤマハが仕様変更を行い’98年に発売したTW200E。この年の販売台数は約7000台と、軽二輪部門で1位のセールスに輝いた。ちなみに翌年’99年には約9000台、’00年にも約1万5000台を売り上げ、この3年間でシリーズ合計のセールスの半分以上を稼ぎ出している ( 画像引用:gooBIKE )

高柳

そのままでもある程度乗れる状態にして販売したわけですね

遠山

( ここで、仕事で遅れていた遠山さんが合流 ) でも当時はみんな、カスタムありきで買ってたんでしょ? 若い子でも結構お金持ってたんだね

野田

TW 自体はそんなに高くはなかったんですけどね

遠山

全部カスタムしたら、それなりの金額はいくでしょ?

住吉

本気でやり始めたら100万円くらいは、すぐいっちゃっうんじゃないですかね。ある程度形にするだけでも50万円はかかると思いますよ

遠山

高っ!高すぎるよ(笑)! 今の子たちは50万あったら絶対違うことに遣うでしょ

高柳

まだ日本が豊かだった時代ですね

野田

ポイントだなと思ったのは、TWを一般層に広めるきっかけとなったキムタク主演のTVドラマ「 ビューティフルライフ 」が2000年の放映ってことなんですよ。早い人たちの間では’96年くらいにはブームになっていましたけど、ヒロシさんや m&m の二人が初めて紹介したのって、それよりもさらに2、3年早い’94年という!

高柳

あまりに早すぎますよね!

遠山

でも、この人たちは何の影響を受けてこっちにいったんだろうね?

野田

考案者は m&m ということなのですが、レーサーレプリカがあって、ネイキッドやアメリカンが世間的には主流を占める中で「 じゃあ、僕たちは違うの乗りたいよね 」ということでこの辺に目をつけた感じじゃないですかね? 完全に想像ですけど

住吉

西海岸では、昔からバイクでダートをグルグル回る遊びはあったよね、ダートレース。レースだから余分なものは一切いらないし、不要なものを排除していきましょうというスタンスは、スカチューンのカスタムと被るところがあるよね。だから、ハーレーとかよりもこっちの方が無骨でカッコよくない?っていう提案はあったのかも

野田

たしかに買付けでアメリカに行く中で、そういうシーンを見ていた可能性はあるよね

遠山

あと、オフロードに目をつけたのって、BMXとかMTBの影響もあったのかもよ

住吉

たしかに、それはありそうですね。ツバ付きのヘルメットにゴーグルかけて、ロンTにチェッカーフラッグのアイテムを身につけるようなスタイルですよね?

遠山

そうそう。BMXにもダートはあるし、ストリートっぽさも感じるし

住吉

でもTWのカスタムって、世間一般ではモトショップ五郎( ※東京杉並にあったカスタムショップ )が牽引してたイメージがあると思うんだけど、年代的にはそれよりも先なのがすごいよね

野田

実際のところはよく分からないけど、少なくともボクたちにこういった新しいバイクのスタイルをいち早く見せてくれたのは m&m でありヒロシさんなわけで、あらためてすごい時間差だよね。一般的には’00年にドラマでキムタクが乗っていたときが絶頂期なんだろうけど、この時点のストリート界隈ではもうメジャーすぎて乗っちゃいけないバイクに様変わりしていたからね

遠山

そりゃしょうがないよ。キムタクはリアルストリートのトレンドにピリオドを打つ役回りなんだからさ。TWにしてもエイプ ( A BATHING APE ) にしても、テレビとか雑誌でキムタクが着てたら、それが終わりの合図になってたじゃん。“節目の男”なんだよ、キムタクは

野田

個人的にもエイプとゴローズ ( goro’s ) あたりは、キムタクがドラマで着用しているのを見てラグタグ行きとなった記憶があります。NIGOさん時代のエイプやガボール ( Gabor ) じゃないけど、生前のゴローズなんて今思うとお宝すぎて、残しておけばよかったと今更悔やんでますよ。。。(涙)

高柳

そういえば、「 ビューティフルライフ 」のキムタクって美容師役じゃなかったでしたっけ? シザースリーグが放送されて、カリスマと持て囃されていた美容師という職業にもキムタクはピリオドを打ったわけですね (笑)

遠山

ですな。リアルでは’90年代前半に美容師ナイトとかもクラブでやってたくらい、原宿お洒落シーンの最先端を走っていた職業だったんだけどね

高柳

その当時の美容師さんってめちゃくちゃクリエイティブで、少し近寄りがたいオーラがありましたもんね。噂によるとこのドラマの放送で美容師専門学校の入学希望者は増えたみたいですよ。カルチャー層からするとピリオド役なんですが、一般層からするときっかけ作りに貢献している人かもしれませんね

遠山

たしかに当時はこのバイクとセットで、洋服までおんなじカッコしている子がいっぱいいたもんね

高柳

イノベーターである藤原ヒロシさんや m&m のお二人がアイデアを生み出して、最後はキムタクの真似をするレイトマジョリティが現れるって、完全にロジャースの普及理論をなぞってますね

住吉

今はなんでもSNSで瞬間的にバズって消費されちゃう時代だけど、この時代はゆっくり時間をかけて流行が生み出されていたもんね

野田

5、6年のスパンがあると、追従者やショップが段々増えていって、カルチャーを熟成させることができるんだろうね。その分、ブームになったときの厚みがスゴかったし、楽しみ方も広がっていったんだと思うよ

 

ストリートバイクブームの最終章となるビッグスクーターブーム到来!

野田

次はいよいよ、ストリートバイクブームの最終章となるビッグスクーターブームが到来するわけなんだけど

高柳

ブームのきっかけは何だったんですかね?

野田

いろいろ調べてみたんだけど、明確な理由というのはよくわからないんだよ

瀬戸

ストリートの有名人でビッグスクーターに乗ってた人っていましたっけ?

高柳

有名なところだとニトロ( NITRO MICROPHONE UNDERGROUND )のXBSさんはPVの中でマジェスティかなんかに乗ってましたよね。なので、ビッグスクーターって自分の中ではちょっとだけHIPHOPのイメージがあるんですよね

野田

走馬党の方々もビッグスクーター乗ってたよね

瀬戸

それと恵比寿系のブランドのショップ店員がよく乗っていたイメージもありますね

野田

従来のバイクよりギヤもなく手軽に乗れたり、カスタムも豊富だったから人気になったのかもね

遠山

ブームの最後の方は、車高を落としてネオン管?LED?とかの電飾で地面を照らしながら走ってるマジェスティとかもよく見たよね。ああいう風にデコラティブにカスタムするのはデコトラとか族車の文化と合い通ずるもんがあるというか

高柳

あとは、AKIRAの金田バイクに見立てて、未来感のあるカスタムをする人もいましたよね

瀬戸

それと後ろに女の子を乗せやすかったのも、ビッグスクーターが支持された理由だったりしません?

野田

それはあるかも。バイクの方向性にもよるけど、カスタムする上でシングルシートの方がカッコよくて、シートを長くすると、どうしてもヤボったくなりがちというのはあると思う。今回バイクを組むときもシングルシートじゃないと、どうもビッとしないんだよね。その点、ビッグスクーターは後ろに乗る人も快適だったし、なんなら彼氏の後ろに乗るってのが一種のステータスだった時代なのかも

住吉

あと、フュージョンは後ろの平らなボックスのところに、スピットファイアとかのステッカー貼っている子が多かったよな~

高柳

ステッカーカスタムも《あんとき》のストリートバイクの定番でしたもんね。後ろからの見栄えがよくて、ステッカーを貼りやすかったところも当時のストリートで支持されて理由かもしれませんね

遠山

それと、これは完全に俺の偏見かもしれないんだけど、フュージョンとマジェスティってすごい対照的なデザインをしていてさ、前者はスニーカーにたとえると、キャンパスとかクライドとかのアナログ感のあるローテクスニーカーのイメージ。で、後者は流線的なデザインがHIPHOP好きに支持されそうなハイテクスニーカーのイメージがあるんだよね

上が1986年4月にホンダから発売されたフュージョン。下が1995年8月にヤマハから発売したマジェスティ。1997年に生産終了し、当時は中古で探すしか手に入れる手段がなかったが、ブームの影響を受け2003年に復活した ( 画像引用:Webike )

高柳

たしかに、ビッグスクーターってスニーカーっぽい見た目してますね!当時のストリートのマストギアだっただけに、その辺にストリートっぽさを見出していた人もいたのかもしれませんね

野田

関係ないけど、当時このビッグスクーターブームに漢カワサキが参入しなかったという事実は、ブレないプライドを伝えている気がしますけどね

瀬戸

でも自分を含めて、周りにはこれまでのバイクには興味なかったけど、ビッグスクーターなら乗りたいという人は結構いましたよ。レーサーレプリカもピンとこないし、アメリカンやネイキッドもヤンキーカルチャーの匂いがしてカッコよく思えなかったけど、ビッグスクーターならお洒落に乗れるイメージがありましたからね

野田

なるほどね。瀬戸のようなバイクに関心がなかった層を取り込めたのが、ビッグスクーターブームの勝因なのかもね。実際、’03年に出荷された50cc以上の自動二輪の6割以上がスクーターだったみたいだからね。これはとんでもない事態ですよ

住吉

まさに大ブームだね

野田

そんなブームも排ガス規制と路駐の取り締まりの強化で終わってしまうという

高柳

自分がバイクを乗らなくなった理由って、まさにそれですよ。立て続けに駐禁を切られて、もう乗るのをやめようと思いました。バイクの魅力って、その辺に気軽に停められるところにあったので

遠山

でもさ、クルゼはこうしてまたバイクにハマっているわけだけど、あらためてどんなところに魅力を感じているの?

野田

年齢を重ねてフルカスタムできるくらいの金銭的な余裕が出てきた中で思うのは、たとえば200万円の予算で車を買おうとすると、国産の平均的な車しか買えないわけじゃないですか。でも、バイクなら200万円の予算があれば自分の好みどおりにフルカスタムした一台を手に入れることができるんですよね。

そういう好き放題できるのが大人の特権というか、昔できなかった楽しみ方だなと。あとはバイクで集まるところにいくと、みんなが「 オレのバイクが1番カッコいい 」って張りあってる感じなんですよね。それって《あんとき》にオシャレして原宿いくときの高揚感に近いというか

住吉

車をゴリゴリにカスタムしちゃうとやり過ぎ感が出ちゃうんだけど、不思議とバイクはビシッとキマるんだよね~

野田

服と同じで、コレにはあれを合わせちゃダメ、みたいな不文律があって、センス出まくるし

遠山

なるほどね。そういう感覚を好き者同士で共有したくなるんだね

野田

ですね。ちなみに、これだけバイクにお熱を入れている自分ですが、肝心なツーリング仲間が集まっておりません(笑)。もし、一緒に走ってあげてもいいよ〜という方がいらっしゃいましたら是非 お問い合わせ まで!

 

この対談の1週間後。。。

野田
不運 ( ハードラック ) と踊 ( ダンス ) っちまいました!

そんなこんなで、’80年代後半から’00年代前半にかけてのバイクブームをおさらいしてきましたが、いかがだったでしょうか?

「 すべての道はローマに通ず 」ではないですが、《あんとき》のストリートバイクブームも元を正せばm&mや藤原ヒロシさんという裏原宿カルチャーに通じていたという事実には、あらためてその影響力の大きさを再確認させられることとなりました。今回のバイクブームも、そんな《あんとき》を知る体験者の皆さんなら、当時を懐かしみながら楽しめるかもしれませんね!