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mita sneakers|抽選・ドレスコード・ASK … ミタスニーカーズが切り拓くスニーカー販売の新境地

《 あんときのストリート 》を発掘|MIMIC ( ミミック )

販売日や販売足数はもちろん、販売価格も非公開。不定期で入荷したタイミングで運よく店員に尋ねると、そこではじめて価格を知ることができる。ミタスニーカーズがアディダス オリジナルズと製作したコラボモデル「 FORUM 84 LOW MITA “ASK” 」の売り方が型破りだと、スニーカーシーンで話題を集めている。

同店でクリエイティブディレクターを務める国井さんは、「 コロナ禍でオンライン販売が加速し、ブランドのD2C事業も強化されるなかで、あらためて小売のあり方自体を問う、新しい試みに挑戦したかった 」と語りますが、過去を振り返れば数多くの画期的な販売手法を生み出し、その手法がスニーカー界のスタンダードとなっていきました

そこで今回のMIMICでは、国井さんへのインタビューを通して、ミタスニーカーズが切り拓いてきた販売手法を振り返り、その革新性を再検証していきたいと思います。

国井栄之( くにい・しげゆき )

 

世界中のスニーカーフリークから注目を集める、ミタスニーカーズのクリエイティブディレクター。さまざまなブランドとのコラボモデルや別注モデルを手掛けるほか、インラインモデルのディレクションや国内外のスニーカープロジェクトにも携わる

 今回、取り上げるスニーカー

サムネイルをタップすると連続再生で観れます / 動画接客ツール ザッピング で投稿

MIMIC

先日リリースされた「 FORUM 84 LOW MITA “ASK” 」の販売手法は画期的な試みだと思いました。ここ10年くらいで急速に進展したショッピングのデジタル化は、確かにいろいろなものを便利にしてくれましたが、その反面、買い物という行為からワクワク感を奪ってしまったと思っていて。

だからこそ、ボクらはわざわざ地方に遠征をして《あんとき》の洋服を掘り起こし、不効率を乗り越えた先にある「 発見 」という買い物の楽しみ方を提案しているんですが、今回の“ASK”という売り方はその際たる例だと思いまして

FORUM 84 LOW MITA “ASK”/アディダスオリジナルスのハイパーローカルなプログラムとして誕生し、世界でミタスニーカーズだけで展開される。価格は「 ASK(お尋ねください) 」とするユニークな販売手法を実践し、在庫のあるタイミングで店員に尋ねると、価格を知ることができる。入荷量や販売量も非公開

国井
今って、小売のあり方があらためて問われている、難しい時代だと思うんですね。それこそ、「 実店舗とオンラインショップの違い 」というベタな視点からコロナ禍で変化したお客さんの消費行動まで、あらゆることが過渡期を迎えている。だからこそ、その答えのひとつとして、ちょっと変わったことに挑戦してみてもいいかなと思ったんです

MIMIC

なるほど。でも思い返せば、ミタスニーカーズさんって、これまでにも日本初や世界初となるような画期的な試みに数多く挑戦されていますよね。コラボモデル、転売を防止する抽選やドレスコードなど、今ではスニーカー界の常識となった販売手法も元を正せば、ミタスニーカーズさんから始まっています。

そこで今回は、こうした革新的な取り組みを時系列に沿う形で、振り返っていければと

コラボモデルの先駆けとなった都市限定モデル「 City Attack 」

MIMIC

まず取り上げたいのが、上野でしか購入できないカテゴリーとして誕生した「 City Attack(シティアタック) 」という試みです。“ 裏ダンク ”や“ 桜フォース ”など、未だ色褪せない名作がリリースされましたが、こうした特定の街でしか買えない流通限定という取り組みが遂に日本でも実現したという

国井

そうですね。世界を見渡せば、フォースワンのNYC限定やジョーダンの都市限定カラーといった前例はありましたが、日本の都市では初めての試みとなりました

MIMIC

この手法を日本でも実現させようと思ったきっかけを教えてください

国井

当時の時代背景としては1997年にハイテクスニーカーブームが終焉を迎え、日本のスニーカー業界は冬の時代を迎えていました。

みんな、何か新しいことをやらなければいけないと、いろいろなやり方を模索するなかで、僕たちは昔から東京の履物文化の中心地として栄えていた上野という街が持つストーリー性を活用し、スニーカーによる“街おこし”のような取り組みができないかと考えました

MIMIC

上野・浅草といった地域には履物文化が根付いてますよね

国井

はい。浅草を中心とする隅田川沿いは、東京の履物の一大生産地で、その近隣にあるアメ横はそうした履物を一手に販売する商業地でした。うちも元々は下駄や草履の製造販売から事業を始めていますし、ABCマートやムラサキスポーツの発祥の地としても知られています。

また、スニーカー業界やファッション業界で活躍されている方の中には、元々上野で働いていたという人も意外と多いんですよ

MIMIC

MAD FOOT! ( マッドフット!) の今井さんやHECTIC ( ヘクティク ) を手掛けた真柄さんも上野で活躍していた時代がありますよね。そうした上野の歴史に焦点を当て、スニーカーシーンを盛り上げる取り組みを考えたわけですね

国井

そうですね。当時のナイキの担当者には、僕たちからの意見や要望を反映させたモデルを製作できないかと打診していたのですが、そうした取り組みをするには、「 なぜナイキがやるのか? 」という意義や意味を明確にする必要があると言われていました。

そこで、「 上野という街は昔から日本の履物の文化の中心地だったからこそ、世界的企業であるナイキが日本初となる試みに挑戦する理由があるんです 」というストーリーを考え「 City Attack 」というコンセプトにまとめていったんです

MIMIC

なるほど。安易な形ではなく、ちゃんと背景から作っていく。まだまだ手探りだった《あんとき》 らしいエピソードですね

国井

当時はどうやったらいいのか、手順もやり方もわからなかったので、かなり手探りで進めた感じですけどね

MIMIC

その話を聞くと、この延長線上に“桜フォース”が生まれたのは必然だったことがよく分かります。

Air Force 1 UENO CITY ATTACK “SAKURA”/2005年に300足限定で展開された通称“桜フォース”。アッパーやタンに上野の桜をモチーフとした模様がレザー加工で施されている

ちなみに、この「 City Attack 」の中でも、2001年にリリースされた「 AIR FOOTSCAPE “UENO CITY ATTACK” 」では、流通限定の一歩先をゆく取り組みが行われましたよね?

国井

はい。当時はコラボモデルや別注モデルというものが世の中に存在していない時代です。たとえば、フットロッカー別注と呼ばれるような日本未発売モデルは存在していたのですが、あくまでも販路限定であって、フットロッカーが特別にデザインをしたモデルではありません。

そうしたなかで僕たちは、ショップからのフィードバックを反映させた、今で言うコラボモデルのようなスニーカーが作れないかとナイキに提案していました。それが初めて形になったのが、フットスケープのCity Attackだったんです

AIR FOOTSCAPE “UENO CITY ATTACK”/2001年にミタスニーカーズを中心に3店舗限定で発売されたモデル。国井さんが現在のキャリアを築くきっかけにもなった ( 画像引用:WWD )

MIMIC

国井さんの意見が反映されたオリジナルモデルということですね

国井

それまでにも、日本からのフィードバックをもとに( 日本の )支社別注のような形で製作されたインラインモデルや、日本の代理店の意向が反映された別注に近いモデルは存在していました。

でもこのフットスケープが“コラボの先駆け”と言われる所以は、お店からのフィードバックを反映させ、日本だけでなく、グローバルの管轄下で製作されたモデルだからです。ミタのロゴが入っているわけではないので、正式にはコラボモデルとは言えないのですが、後のSMU( Special Make Up / 別注やリミテッドエディションのことを指す )につながる取り組みとなりました

MIMIC

そうした初の試みにフットスケープを選んだのは、どういった理由からでしょうか?

国井
フットスケープは、アジア人の幅広な足の形に合わせて作られたモデルなので、日本でやる意味を持ち合わせていたからです

MIMIC

ミタスニーカーズさん以外では、どこで販売したのですか?

国井
山男フットギアと当時上野にあったアスリートフットです。それと、UENO CITY ATTACKと言いながら、実はロンドンでも少数ながら販売しました。ロンドンにはエアマックス95やフットスケープといった、いわゆるハイテクシューズが支持されたシーンがあったので

MIMIC

こういった取り組みが後のCO.JP ( コンセプトジャパン / ナイキの日本限定プロジェクト)につながっていくわけですよね?

国井

そうですね。CO.JPは実質的に“裏ダンク”からスタートしたと認識されていますが、当時はCO.JPという呼び方は存在していなかったし、この辺の事実関係は結構曖昧なんです。

それというのも当時は前例のない取り組みにゲリラ的に挑戦していたので、そこまでコンセプトを作り込むようなことはできていなかったんです。でも、後々になって当時を振り返る際に整理が必要だよねということで、無理くりまとめた感があるのは否めず

MIMIC

この頃 ( 2000年前後 ) になるとメーカーが一気にストリートの意見を取り入るようになります

国井
この頃にはスニーカーがストリートカルチャーの象徴として、多くの人を惹きつけるアイテムに躍進しました。その中でも、靴屋なら上野に話を聞きに行き、服屋なら原宿に話を聞きに行くというような棲み分けがあったと思います。“裏ダンク”なんかは原宿の人たちからのフィードバックが強いアイテムになりますね

MIMIC

具体的には上野だと国井さん、原宿だと ( 藤原 ) ヒロシさんやヘック ( HECTIC ) の真柄さんやYOPPIさんなどですかね?

国井
そうですね。あとはメディアでいうと Boon の岸さんですね。当時のナイキには東京プロモーションという専属のチームがあって、ストリートカルチャーの流れを汲んだファッション関係者たちと活発に意見を交わしていました

日本初のコラボモデルとして誕生した MT580 “HECTIC x mita sneakers “

MIMIC

そして2000年には、ショップ主導のコラボレーションという日本初の試みとなる「 MT580 ” HECTIC x mita sneakers ” 」がリリースされます。しかも、トリプルコラボという取り組みも日本初ですよね

MT580 /アメリカで発売されていた M585 “made in U.S.A.” の日本改良品番である580をヘックの真柄さんによるカラーリングで味付けした伝説のコラボモデルの第一弾

国井
ナイキとはCity Attackでコラボに近い取り組みを行った実績があったので、ニューバランスからもそうした取り組みができないかとオファーをいただきました。どんなことをしたら面白いかなぁと考えた際に、真っ先に思い浮かんだのがヘックとのコラボだったんです

MIMIC
どうしてヘックが思い浮かんだんですか?

国井

その当時、シュプリーム ( Supreme ) のUSチームが来日する機会があったんですが、彼らが真柄さんに「 日本でスニーカーを買うなら、どこがいい? 」と尋ねた際に「 上野のミタスニーカーズに行くといいよ 」っておすすめしてくれたんです。で、彼らは一体どんなスニーカーを買うのだろうと関心を寄せていたところ、みんなこぞってニューバランスのMT580のアースカラーを購入していきました。

その後、ヘックがリニューアルする際にもYOPPIさんから「 店用に MT580を用意できない? 」と問い合わせをいただいた経緯もあったので、ニューバランスで前例のない取り組みをするならMT580をベースに、ヘックのお二人にお願いするのがベストだと思ったんです

MIMIC
MT580に目をつけたのは、シュプリームのメンバーらしい変わった視点ですね

国井
当時も玄人からのウケはよく、僕らの身内でも履いている人が多かったモデルだったんですが、一般的なウケはいまいちでワゴンセール行きになってましたね。でも、ここ数年でブレイクしているモデルって、実は発売当時にセールスが振るわず、ワゴンセールで並べられていたようなモデルばっかりだよねと指摘されることも多いんですけどね

MIMIC
このコラボはグローバルの管轄下で実施されたんですか?

国井
もちろんグローバルの承認を得て、動くこととなりました

MIMIC
取り扱いは、ヘックとミタスニーカーズだけだったんですよね?

国井
当時はまだ決まり事の少ない時代だったので、例外的にフットパトロールでも販売しました。ただ、ヘックの卸先の店舗にまで販路を増やすのは、当時の制約上で難しく、サテライトショップまではOKという決まりで販売していましたね

MIMIC
日本初の試みとなったことはもちろん、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったヘックとのコラボ、さらにはあの色ということもあり、人気もすごかったですよね

国井
第一弾の発売時は店頭にサンプルを飾って予約を受け付けていたんですが、一気に盛り上がってしまって収拾がつかなくなり、第二弾からは抽選販売を実施することになりました

ミタスニーカーズが初めて取り入れたスニーカーの抽選販売

MIMIC
その抽選販売という売り方も、今でこそ当たり前の売り方になっていますが、ミタスニーカーズさんが日本で初めて取り入れた手法ですよね?

国井

そうですね。それまではお客さんの少ない時間帯や閉店間際に新商品を店頭に出すことで、混乱が起きないようにコントロールできていたんですが、ブームが加熱すると、運送会社の営業所からうちに届けられる段ボールを追いかけて行列ができるようになり、収拾がつかなくなってしまったんです。

その中でもMT580は話題性が高かったこともあり、こうした手法を取り入れざるを得ない状況でもありました

MT580 “HECTIC x mita sneakers” 第二弾/好評を得て発売されることになったYOPPIさん色付けによる第二弾モデル。このスニーカーの発売時に日本で初めて抽選販売が取り入れられることになる

MIMIC
でも、行列ができることは、お店の影響力を示すバロメーターにもなるし、行列に並ぶことは、お客さんに自分が大きなムーブメントの参加者であることを実感させる行為でもあったと思うんですが、それがなくなることに不安はなかったんですか?

国井
結局、「 並べば買える 」というルールを悪用して、「 並ばせれば買える 」と解釈する人が現れ始めたんです。当時はまだ「 転売ヤー 」という言葉はなかったですが、裏原のムーブメントの影響から二次流通のシーンはできていたので、限定品を手に入れるために代理購入を組織的に行うような集団が出てきてしまって。そうした行為を取り締まるためにも必要な手法だったんです

MIMIC
抽選方法は応募用紙への記入でしたよね?

国井
そうです。店頭に足を運んでもらい、応募用紙に住所、氏名、連絡先と希望サイズを書いて応募箱に投函してもらうという方法です。当選者の方には後日、一人ひとりに電話連絡していました

MIMIC
当時はアナログな手法ですし、購入履歴を参照するようなやり方はできなかったと思うんですが、純粋なランダム抽選を行なっていたんですか?

国井

はい、抽選は本当にランダムで行なっていました。でも、抽選の応募を受け付ける際に、ちゃんと人が機能するような工夫も施していました。

転売をするような人たちは顔も割れていたので、明らかにそうした目的で来店している人たちの受け付けは無効にしていましたし、抽選券をかき集めてノミ行為する人たちも取り締まっていました

MIMIC
そんな涙ぐましい努力が

国井
ええ。ただ、お客さんからは「 店側が客を選ぶのか 」と、不平をこぼされることも多かったですけどね。本来の目的を1から10まで説明してしまうと、そうした仕組みの穴を探そうとする人が出てきてしまうので、致し方ないところもあったんですが……

MIMIC
この抽選販売という手法は、その後ミタスニーカーズさん以外のお店でも導入され、スニーカー業界のスタンダードとして定着していきますよね

国井
そうですね。CO.JPが立ち上がって以降、スニーカーブームが再熱していったこともあり、どこも取り入れざるを得ない状況になってしまったというのもあると思います

購入するには指定のスニーカー着用で!ドレスコード誕生秘話

MIMIC

抽選販売という手法に続く形で、同じように転売を防止する「 ドレスコード 」という販売手法も確立しています。これもミタスニーカーズさんが考案された日本初の取り組みですよね。

これは後世に語り継がれるべき発明だと思うんですが、どういう経緯から発案されることになったんですか?

国井

先ほどお話しした抽選販売の懸念点として、「 抽選というやり方自体が不透明だ 」というお客さんからのご意見や、転売できるモデルだけ買いたいお客さんとお店に足繁く通ってくれる常連さんの対応が同じでいいのかという問題が上がり、限定モデルに関しては、その後、並んで購入してもらうスタイルに戻したんです。

そのなかで気づいたのが、SNS上で世代を超えた交流を図っているスニーカー好きの人たちにとって、並んでいる最中にとるお客さん同士のコミュニケーションは一種の“オフ会”のような役割を果たしているということでした。その事実を知ったときに、並ぶこと自体を楽しみにしてくれているお客さんの中に、お金目的で並んでいる人が紛れ込んでいることがどうしても許せなくなってしまって。どうにかスニーカー好きの人たちに販売できる方法がないかと考えたときに思いついたのが、ドレスコードというやり方だったんです

MIMIC
初のドレスコードを導入したのは、どのタイミングだったんですか?

国井

エイプ( A BATHING APE )とリーボック ( Reebok ) とうちのトリプルコラボとなったポンプフューリーです。事前の問い合わせ段階で明らかに混乱を招きそうなレベルだったので。

このときは、「 リーボックのスニーカーか、ミタスニーカーズのコラボレーションモデルを着用してください 」というスニーカー好きなら楽勝だよというドレスコードを設けたんですが、それでも転売ヤーに集められた人たちにとっては高いハードルとなりました

A BATHING APE × MITA SNEAKERS × REEBOK INSTA PUMP FURY OG/インスタ ポンプ フューリーの生誕20周年目を記念して、2014年に発売されたトリプルネームモデル。激しい争奪戦が予想されたこともあり、ミタスニーカーズでの販売では初のドレスコードが導入された

MIMIC
確かにお金目的で並ぼうとする、スニーカーに関心がない人にとっては、あらためて購入する必要が出てくるような条件ですもんね

国井
ええ。ただ周囲からは「 ドレスコードの条件がゆるすぎるのでは? 」という指摘もあったんですが、僕たちは基本的に「 初めてスニーカーに興味を持った人も、長年スニーカーを追いかけ続けている方々も、スニーカーを好きになるきっかけを狭めるべきではない 」という考え方を持っているので、お金目的で並ぶような人たちを排除できるギリギリのところを突いた感じですね

MIMIC
そして、このドレスコードも時代の変化に合わせるようにデジタル化してきます

国井

デジタルドレスコードを導入したきっかけは、毎週末の早朝だけで密かに行われている店頭ローンチに疑問を感じてしまったからです。それと、ネット抽選のような販売方法を試してみて気づかされたのが、お一人様一個までという購入制限をかけても、住所を少しずつ変えて購入し、運送会社の人に 「書き間違えちゃったんで、ここに届け直してください 」とズルをする人が現れたり、ボットを悪用する人が現れたりすることでした。

でも購入時に、自分のInstagramのアカウントへドレスコードの条件を満たした写真をアップしなければいけないというひと手間を加えれば、こうした不正も防ぐことができると考えたんです。Instagramのアカウントはみんな大事に育てている感も強いですし、スニーカー好きかそうじゃないかは、アカウントを見れば一発でわかりますからね。デジタルドレスコードと言いながら、実は不正購入を防ぐためのアナログな振り分け工程だったりするんですよ

Patta × JORDAN BRAND/デジタルドレスコードが初めて設けられたのは、ジョーダン ブランドと、アムステルダムのストリートブランド パタのコラボレーションアイテムの販売時。このときは、自身のInstagramアカウントにエア ジョーダンを着用した画像を #mitasneakers #ms_ddc_20190615 #pattajordan の3つのハッシュタグ付きで投稿することがWEB抽選に申し込む応募条件となった

MIMIC
抽選販売、ドレスコード、デジタルドレスコードと手法は変化しつつも、根底にあるのは不正購入を防止し、スニーカー好きのもとへスニーカーを届けたいという想いがあったからなんですね

国井

はい。加えて、デジタルドレスコードに関しては、個人的にInstagramのリポストが嫌いという理由も大きかったんですけどね(笑)。何かのシューズが発売されるたびに、タイムラインがリポストでいっぱいになるのがどうも性に合わなくて。

Instagramって本来は自分の主観を交えたポストする場だと思うのに、そこに商業的な写真を無理やり投稿させるようなまねをしたくなかったんです。その点、デジタルドレスコードなら自分のスニーカーを撮影してアップするだけですから、普段のライフスタイルの延長として取り組んでもらえると思い

MIMIC
確かに必死感がでてリポストするのは少し恥ずかしいし、SNSへの投稿という観点ではメーカーが用意したカタログ画像のリポストより、普段の自分のスニーカーを投稿する方が本質的ですね

販売価格も入荷時期も未定!あえての不効率がワクワクやドキドキを生む

MIMIC
そして、話を今回の「 FORUM 84 LOW MITA “ASK”」へ移していきたいのですが、まず「 ASK(お尋ねください) 」という売り方にはどんな狙いが込められているんでしょうか?

国井

シンプルに言って、今のスニーカーシーンは物事のタイムラインが予定調和すぎていると思うんです。これまではインラインモデルやリミテッドモデル、そしてハイプと呼ばれるようなプレミアムモデルがランダムにリリースされていて、次に何を購入するかワクワクしていたと思うのですが、デジタルが加速した現在の販売では「これはハイプな商品ですよ」っていうガイダンスの中で、欲しいものを探すのではなく、必要のないものを決めている感じになっていると思うんですよね。

さらに話題のスニーカーでも1週間もすれば、忘れ去られてしまう時代です。そこで今回のフォーラムに関しては、そうした時間軸とは違うところで勝負できる販売方法に挑戦したかったんです

MIMIC
実際に販売してみて、その手応えはいかがですか?

国井
このシューズの発売情報を初めて発表したのは、『 シューズマスター 』の2021年秋冬号だったんですが、それから数ヶ月経った今でもずっと問い合わせは続いていますし、今日も朝から何人ものお客さんにASKしていただきました。普通に販売していたら、あっという間に消費されていたと思うので、別の時間軸で販売したいという当初の目的は達成できたと思っています

MIMIC
よくこの手法が実現しましたね

国井

ええ。本来であれば、こうした売り方は不可能に近いんですよね。現実問題、仕入れた商品の支払い期限は翌月に来ますし、そもそも商品に人気がなければ、在庫リスクになってしまう。さまざまなリスクが想定できたんですが、今回のフォーラムに関してはフレンズ&ファミリーモデルとして身内で配る用に企画させてもらったので、極論、売らなくてもいいような商品でした。

それを「 スニーカー好きは僕らにとっては身内のひとり 」ということで、お願いをして特別に販売の許可を得たので、「 よかったらお裾分け程度に、、 」くらいの感覚で前例のない売り方に挑戦できたんです

MIMIC
ASKって《あんとき》世代には懐かしい響きでもあります。ヴィンテージの古着が流行った時代に、高額の古着にはよくこの値札がついていました

国井

実はこのフォーラムのサンプリングソースとなったトップテンのオーストリッチ・モデルが、まさにヴィンテージ古着が全盛の時代にASKとして売られていたもので、そこから着想を得たところもあるんです。

今の若い子たちに当時の昔話をしても「 百聞は一見にしかず 」なところがあるので、実際に当時の売り方を実践してみることで、ASKというユニークな文化があったことを知ってもらいたいという気持ちもありました。

それとASKという文化は元々車屋から始まっていて、僕自身がレーサーを志していたこともあったので、そうしたルーツと重ねて見るようなところもありましたね

右が今回のコラボモデル、左がサンプリングソースとなったトップテンのオーストリッチ・モデル

MIMIC

このASKという販売手法は古いようでいて、今にこそ必要な売り方だと思っていて。何もかもがデジタル化されて、売っているものが事前に分かってしまうことで、お店に訪れたときの発見がなくなり「 最近、買い物がつまらないなぁ 」と感じることが多くて。

でも何回も巡礼し、やっと発見して手にする。これって《あんとき》には当たり前だった買い物体験なんですが、そういう苦労を乗り越えた先にある圧倒的な成功体験をしてしまうと一生引きづる体験になりますよね。そのおかげで40超えた今でも本業の傍ら、一銭にもならない、いやむしろマイナスとなるMIMICのようなことをしているのですが (笑)

国井

僕の考えるEコマースの最終形って、欲しいものを選ぶんじゃなくて、要らないものを選ぶような未来だと想像していたんです。AIのリコメンドによって何かもが直接家に届けられるなか、要らないものだけを返却するようなイメージです。でも、コロナ禍でショッピングのデジタル化が加速すると、お客さんの消費行動が本当にそうした購買サイクルに近づいてきてしまった気がして。

たとえば、本当に自分が欲しいスニーカーではなくとも、とりあえず抽選には応募して、あとで必要かどうかを考えようみたいな。おそらく、今のお客さんたちは、自分が欲しいスニーカーを探すことよりも自分に必要じゃないスニーカーを選ぶことに長い時間を費やしていると思うんです。それでは買い物の楽しさを味わうことはできないし、どうにかそのマインドを変えるきっかけが提供できないかとも考えていました

MIMIC
最近ではスニーカーを投資対象としてとらえる向きもありますが、それも本来の買い物の楽しみとは違う考え方だったりしますよね

国井

買い物って本来は、モノ・ヒト・コトのつながりを楽しむものだったのに、ことスニーカーにおいては「 お金 」の文脈ばかりで語られることが増えてしまいましたよね。

友人との会話のなかで、「 これ高かったけど、頑張って買っちゃったんだよね 」なんて話をするときも、別に高いお金を払ったということをアピールしたいんじゃなくて、本来は高いお金を払ってでも買いたい素敵なスニーカーに出会えたってことを伝えたかったわけじゃないですか。それが「 いくらで買ったスニーカーがいくらに値上がった 」という話ばかりを嬉しそうに話すのは、ちょっと違うんじゃないかと思ってしまいますね

MIMIC
その点、ASKという買い方には、デジタルでは不足しがちな「 今日は発見できるか 」というワクワクがありますよね。( ミタスニーカーズのある ) アメ横センタービルに入ってエスカレーター駆け上がり、店員さんに訪ねる時のドキドキ感たるや

国井
そうですね。尋ねる勇気も必要になると思うんです。店員に尋ねておいて買わないというのは微妙だなと、少し躊躇してしまうところもあったりして。僕らとしては、そうした「 欲しいと思ってから買うまでのハードル 」も楽しんでもらいたいんですよ

MIMIC
確かにそれは大切なキーワードですね。ボクらも常々「 買うまでのハードルは高ければ高いほど、それをクリアしたときの購入体験は思い出として強く印象づけられる 」と考えていて

国井
僕たちの世代って、原宿やアメ横のショップで買い物するときもすごく緊張しながら入店した世代じゃないですか(笑)。店員もヤバい感じの人が多かったから(笑)、欲しいモノを買うにもそうしたイニシエーションを受けなければならなかった。でも、今思い返してみると、そういう体験も面白かったなって

MIMIC
そうでしたよね(笑)。その分、欲しいものを手に入れたときの嬉しさもひとしおでした

国井
それと、その日購入できなかったとしても、それで終わりではなく、たとえば「 僕はどうしてもあのスニーカーが欲しいんですよね 」といった具合に、店員との会話にもつながっていくんです。なかには、自分のスニーカー好きをアピールしてからASKしてくれる子もいますし。だから、「 すいません、これの27cmを出してください 」という実務的な会話以外の対話が生まれることもASKの醍醐味だったりするんですよ

MIMIC
そうした会話を楽しめるのは、ショップにいく動機となる素敵なカルチャーですね。昔はショップの店員さんと仲良くなることが、ひとつのステータスでしたし

国井

ええ。なので、ASKをきっかけに、気軽にお店に立ち寄る関係性が築かれ、「 何かおすすめのスニーカーはありますか? 」とか、「 良いスニーカーが入荷したんですよ 」といったコミュニケーションが生まれるようになるといいなぁと思っているんです。

ただモノを売るだけなら自販機でもできるわけですから、店員がいるショップにしかできないことをやっていきたいんですよね。デジタル化が進む社会では、ある種のヒューマンエラーが楽しみを提供するきっかけのひとつになるのかもしれません

さまざまな革新的手法を生み出すミタスニーカーズ。その原動力の正体とは?

MIMIC
国井さんはミタスニーカーズのクリエイティブディレクターとして、数多くの新しい試みに挑戦しているわけですが、それは国井さんのなかにあるどんなスピリットがそうさせてきたんでしょうか? ある種のカウンター的な反骨精神があったりするんでしょうか?

国井
そんなカッコいいものはなくて、僕はアメ横にあるいち靴屋のオジサンなので、小売りとしてやらなきゃいけない売り方を常に模索してきただけなんです。たとえば、何か新しい取り組みに挑戦したときに、10人が10人満足してくれるような結果が得られることなんてまずないわけですから、スニーカーショップとしては常に時代の流れを汲んだ新しいスニーカーのあり方を提案しなければならない。そうした当たり前を積み重ねてきただけですよ

MIMIC
そのスタンスはスニーカーをディレクションする際も変わらないものですか?

国井

僕の中では、初めてコラボレーションという企画に携わらせてもらったときから現在に至るまで、ずっと感謝の気持ちを持ち続けていることに変わりはありません。今でも街中で自分が企画に携わったスニーカーを見かけると、自然と「 ありがとうございます 」という気持ちが湧いてくるくらいですから。

僕は店頭に立つことがないので、なかなかお客さんと直接コミュニケーションを取る機会が減ってしまったのですが、SNSでミタ関連のポストをして下さっている方々には、できるだけ「いいね!」で感謝を伝えているつもりです

MIMIC

たとえば作り手って、8〜9割くらいの力を製作に注ぎ込み、販売については普通に売りますというようなスタイルも多いと思うんですが、国井さんは、そのバランスにめちゃくちゃ長けていて、プロダクトの製作はもちろん、マーケティング思考も持ち合わせていますよね。

ご本人的にはスニーカーを製作する際、売り方ベースで考えているんですか? それとも商品ベースで考えているんですか?

国井
そこは二重人格のように取り組むようにしています。クリエーションをしているときは、売れる売れないといったことは一切考えずにクリエーション脳だけでモノを作っていますし、いざ売るとなったら、今度はいきなりマーケティング脳が働き出す感じです

MIMIC
なるほど、そこがご自身のなかで両立できているからこそ、次々と斬新なアイデアを形にできているんですね

国井
ただ、そろばん勘定だけは持ち合わせていないので、お金に関してはめちゃくちゃ弱かったりもするんですけどね(笑)。この仕事に携わったときから、お金を強く意識するのはやめようと決めていたところもあるので

MIMIC
それはなんとなくわかります (笑)。お金に長けている人だったら、ASKなんていう突拍子もない試みには挑戦しないと思いますし

国井

やっぱり若い頃から、自分の作ったスニーカーが発売の翌日に2倍にも3倍にもなって売られているような経験をしているので、お金に翻弄されてしまうと何も作れなくなってしまうんですよね。

極論を言ったら、自分がその値段で売ればいいじゃんってことになってしまいますから。でも、そんなことはしたくないし、これからもするつもりはありません。このマインドを変えることなく、これからも時代に合ったスニーカーのあり方を提案していきたいと思いますね

MIMIC
たくさんの革新的な取り組みの背景には、そうした国井さんらしい考え方があるわけですね。今日は本当に有意義なお話を聞かせていただき、ありがとうございました!

 今回、取り上げたスニーカー

サムネイルをタップすると連続再生で観れます / 動画接客ツール ザッピング で投稿