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AIR FORCE I 40周年記念!NIKEとHECTICによる伝説のプロジェクト「 1LOVE 」を掘り起こせ!【 HECTIC 編 】

《 あんときのストリート 》を発掘|MIMIC ( ミミック )

今年で生誕40周年を迎えた NIKE の永遠の名作、AIR FORCE I 。ラグジュアリーな存在感を放つ記念モデルのリリースや著名なコレクターによる大型企画展の開催など、シーンはアニバーサリーイヤーを祝う熱気に包まれ AIR FORCE I への注目度も高まりつつありますが、時をさかのぼること15年前。スニーカーフリークの間で今なお “伝説” として語り継がれている AIR FORCE I のコンセプトストアが、1年間限定でオープンしていたのをご存知でしょうか?

その名は「 1LOVE( ワンラブ ) 」。AIR FORCE I の25周年を記念した、 NIKE と realmadHECTIC による夢の共同プロジェクトとして立ち上がり NIKE iD STUDIO の併設やガラスケースをメインにしたディスプレーなど、NIKE 直営店のスタンダードをいち早く提示した実験的なショップでもありました。

1階は備品、4階は在庫を管理するストックルームとなり、お店は2階と3階にあった。2階フロアの中央部には、AIR FORCE I のアウトソールに刻まれている円形( ピポット )をモチーフとしたガラスケースを設置。オープン時に陳列された200足を超える真っ白い AIR FORCE I は、ニューモデルがリリースされる度に入れ替わり、徐々に色付けされていくという仕掛けが施された。3階フロアに併設された NIKE iD STUDIO には、コンシェルジュが常駐。ストア内で 9,000円 の買い物ごとに押されるスタンプを25個ためると利用することができた

そこで今回の MIMIC では、そんな「 1LOVE 」の先見性に着目し「 1LOVE 」を手掛けた NIKE と realmadHECTIC のキーパーソンたちに立ち上げの経緯や当時のエピソードについてお聞きしていき、NIKE 側から見た「 1LOVE 」と realmadHECTIC 側から見た「 1LOVE 」という2つの視点から当時を振り返っていきたいと思います。

まずは realmadHECTIC の中心人物、真柄尚武さんと吉﨑豪さんへのインタビューからスタートです。

1LOVE 前に築かれた NIKE との蜜月関係

MIMIC

今年は AIR FORCE I 発売40周年です。記念すべきアニバーサリーイヤーとあって、AIR FORCE I の注目度が高まりつつあると思うのですが、《あんときのストリート》をテーマに掲げるボクらにとっては、25周年のときに限定オープンした AIR FORCE I のコンセプトストア「 1LOVE 」を取り上げないわけにはいかないと思っており、今回は realmadHECTIC から見た 1LOVE について、お話をお伺いできればと思います。

まずはおさらいとして、1LOVEがオープンした2007年当時、realmadHECTIC で展開していたブランドを教えてもらえますか?

現在はセレクトショップ、A-1 CLOTHING を展開し、レゲエサウンド、MASTERPIECE のセレクターとしてはもちろんのこと、レゲエのみならず幅広いジャンルで活躍する真柄尚武さん( 右 )と、《あんとき》に HECTIC で MASTERPIECE の生産を担当し、現在はオートバックスにて JACK & MARIE などのライフスタイル事業のECを統括している Bootura さんこと吉﨑豪さん( 左 )

Bootura

HECTIC、MASTERPIECE、ROCSTAR の3ブランドに加え、セレクトショップとして JUGMART を運営していました

JUGMART|オリジナル全盛時代に古き良きセレクト文化を伝えたジャグマート

MIMIC

1LOVE 設立のエピソードについては後ほど詳しくお聞きしたいと思うのですが、まずはその前段として NIKE と realmadHECTIC の関係性について教えてください。 NIKE 製品について当初は買付けだったと思うのですが、ナイキジャパンとのお付き合いが始まるきっかけは?

Bootura

僕が覚えている限りだと、AIR PRESTO ( エア プレスト ) がリリースされる少し前くらいに、 NIKE の人たちが5人くらいでハーレムに遊びに来て、真柄さんや DJ HASEBE さんに「 AIR PRESTO を提供するので、ぜひ履いてください 」みたいな話をしていたのが最初だと思います。えっ!発売前のスニーカーってもらえるの !? うらましいなぁと思ってました

2000年に誕生した AIR PRESTO。足の形にフィットする伸縮性に優れたアッパーを採用し、XXXS – XXXL の幅広いサイズを展開。「 Tシャツ感覚のシューズ 」として名を馳せた ( 画像引用 / NIKE )

MIMIC

AIR PRESTO というと NIKE が革新的なデザインと最高の機能性を求めて立ち上げたアルファ プロジェクトからのリリースになりますよね。ファイブドットがどのモデルにも入っており、他にも AIR KUKINI ( エア クキニ ) や AIR ZOOM SEISMIC ( エア ズーム サイズミック ) といったモデルがリリースされていました

Bootura

どこまでビジネス的な意味合いがあったのかはわかりませんが、その後も坂井さん( 坂井秀彦さん / ストリートでの数々の施策を成功させた NIKE の東京プロモーションチームの初期中心人物 )は、DJ HASEBE さんが毎週火曜日にハーレムで開催していたレギュラーイベント( HONEY DIP )によく遊びに来てましたよね

真柄

そうだね。その後、場所をイエローに変えて後続イベント( Fowl )が開催されることになるんだけど、その頃には毎週顔を出してくれる人になっていて毎週みんなで遊んでいた気がする

Bootura

真柄さんや DJ HASEBE さんはクラブに入る前に、近くの居酒屋で飲むのが定番だったのですが、坂井さんはそれにも参加するくらい仲良くなってましたよね

真柄

坂井くんは、ベロベロに酔っ払って ( クラブのテーブルに置いてあった ) ローソクの火に気づかないで、スウェットの袖を燃やしちゃったりしてるんだよね(笑)「 坂井くん、燃えてる ! 燃えてる !! 」って

Bootura

しかも、次の日にその焼けてしまった袖をカットして、半袖スウェットにして会社へ出社しちゃうという(笑)。破天荒な人でした

MIMIC

やっぱり最初は遊びがきっかけなんですね(笑)。仕事で関わるようになったのは?

真柄

お店のリニューアルオープンの際に、アメリカから AIR HUMARA ( エア フマラ ) の別注モデルを一堂に集めて販売したんですが、それを見たナイキジャパンの人たちが面白がってくれて。その後に裏DUNK を発売したり、インラインモデルの色付けやショップ限定モデルの製作の話につながっていった感じですね

MIMIC

色付けや別注モデルの製作より前に、裏DUNK などのエクスクルーシブなモデルの販売があったわけですね?

Bootura

そうですね、最初は特別なモデルの取り扱いから始まりました。裏DUNK を販売したり、ヒロシさんが紹介した真っ白と真っ黒の AIR TERRA HUMARA ( エア テラ フマラ ) を取り扱ったり。あとは UNDEFEATED の AIR JORDAN 4 ( エア ジョーダン4 ) とか NIKE がカニエ・ウエストとタッグを組んでリリースした AIR YEEZY ( エア イージー ) なんかも限定販売しましたね

カニエが adidas とパートナーシップを組む前にリリースしていた AIR YEEZY I( 右/画像引用:SKIT )と藤原ヒロシさんがプロデュースした AIR TERRA HUMARA のモノトーンコレクション( 左/画像引用:Fashion Fan )  

MIMIC

当初は買い付けで商品を集めていたのが NIKE とつながるようになって、特別な商品を扱うエクスクルーシブなアカウントになっていったわけですね。ちなみにその後、色付けを手掛けるようになったインラインモデルは、HECTIC を始めとした外部の方たちがやっていることを公表していなかったですよね?

Bootura

はい。僕らもお金をいただいてやっていたわけではなく「 えっ、 NIKE のシューズの色付けができるの!? 嬉しい! 」というピュアな気持ちでやっていました(笑)

MIMIC

当時色付けしたモデルは、どんなものがありますか?

Bootura

AIR FORCEⅡ ( エア フォース 2 )、 DELTA FORCE ( デルタ フォース ) 、CORT FORCE ( コート フォース ) 、AIR RAID ( エア レイド ) 、DUNK ( ダンク ) あたりは色つけしましたね
HECTIC がカラー提案を行った2002年リリースの AIR FORCE Ⅱ ( 左 )、AIR FORCE MAX ( 中 )、AIR TRAINER SC LOW ( 右 )。当時、窪塚洋介さんや故山本キッドさんなども好んで愛用していた ( 画像引用:SKIT )

MIMIC

NIKE に限らず ニューバランス 580など、HECTIC によって色付けされたモデルは名品揃いですが、色付けの際は「 自分で履きたい色 」なのか「 これがマーケットにうけそう 」という方なのか、どちらだったのですか?

真柄

後者ですね。自分で履かないことも多いので、これがうけそうというのは意識していたと思います

誕生の経緯から限定モデル誕生の秘話まで!キーマンが語る 1LOVE 道中記

MIMIC

では、ここからは 1LOVE の立ち上げについてお話を伺っていきたいのですが、前段として先ほどお聞きしたような関係性が NIKE と築かれていたこともあり「 AIR FORCE I の25周年で何か一緒にしませんか?」というお誘いがあったわけですね?

Bootura

そうですね。先ほど話にあがった坂井さんが「 忙しくてもうだめ!アシスタントが欲しいっ !! 」となって、後に凜太郎( 秋元凜太郎さん / 1LOVE の中心メンバー。後編となる NIKE チームのインタビューにも登場 )が NIKE に入社してくることになるんですが、彼と仲良くなって一緒に遊ぶような間柄になっていたので、彼から何か一緒にできないかという話が来ました。

最初はニトロ( NITRO MICROPHONE UNDERGROUND )に声をかけて AGITO の場所を提案したみたいなんですが、実現に至らなかったようで話が回ってきました。

それで真柄さんに「 JUGMART の場所でやらせてもらえないか聞いてほしい 」という相談を受けました。最初はストックだった3階を使えないかという話だったのですが、真柄さんにその話を伝えたところ、JUGMART を引っ越して、あのビルを全部使っちゃえばいいじゃんとなり(笑)。あまりの即決ぶりに驚いたのを今でも覚えています

MIMIC

その話が来たのはオープンのどれくらい前だったんですか?

Bootura

半年 ~ 10ヶ月前くらいでしたね

MIMIC

意外と準備期間はタイトになりますね。真柄さんは、即決で JUGMART が入っていたビルを全部使おうと判断したとのことですが、手応えがあったのですか?

真柄

ありました

MIMIC

商品が AIR FORCE I しかないということに難しさは感じませんでした?

Bootura

最初はプエルトリコや NYC の様な、キャッチーなモデルが続々とリリースされると聞いていたので、イケると思っていました。でも展示会に足を運んでみると、そんなものは一切なくて取り扱う予定のインラインモデルを見て愕然としました。えっ、バスケの選手が描かれたモデルなんて絶対売れないじゃんって……(笑)

MIMIC

でもオープンは決まっているし、いかざるを得ない状況ですよね

Bootura

そうなんですよ。その後、具体的な条件を詰めるために、凜太郎と久保田さん( 久保田夏彦さん / NIKE ジャパンで NIKE .jp や NIKE iD の立ち上げを担当。1LOVE プロジェクトの責任者 )、それと飯田昭雄くん( BAPE® GALLERY でキュレーターとして活躍した後、Wieden+Kennedy Tokyo で 1LOVE のプロモーションを担当 )が集まって青山の寿司屋で打ち合わせをしました

MIMIC

坂井さんはいらっしゃらなかったんですか?

Bootura

そのときは、後任の久保田さんがいらっしゃいました。シューズ名の由来にもなったアメリカ大統領専用機、エアフォースワンの本を持ってきてくれて、こんな内装にできたらねぇみたいな話をしたり、運営についての話をしました

MIMIC

どんな座組みで運営することになったんですか?

Bootura

場所の提供とスタッフ手配、それからお店の運営については HEC側 で担当することになりました

MIMIC

販売代行のようなイメージですか?

Bootura

そうですね

MIMIC

となると、商品の積み込み自体は NIKE が担当していたのですね

Bootura

ええ。ただ NIKE も事前に商品を発注していたわけではないので、いろいろなところから集められた商品が 1LOVE に入荷する感じでした。準備期間が1年以上ないと発注に反映することができないらしく

MIMIC

イベントの企画や商品開発については?

Bootura

ポイントポイントで関わっていました。たとえば、オープニングで販売したTシャツ。あれはAKEEM ( 西村明彦さん / HECTIC のデザイナー。ヨッピーさんと同じくT19のライダーとしても活躍し、現在はデザイナーやコーディネーターなど、多方面で活躍中 ) デザインなのですが、当初提案したスウッシュを縦や斜めにあしらったデザインは NIKE から許可が下りなくて。今ではトラヴィス・スコットをはじめ、普通にスウッシュの位置を動かせるようですが、当時はスウッシュの向きや形を変えるのは絶対NGでした

AKEEM さんがデザインしたTシャツ。NIKE のプロダクトをベースに realmadHECTIC がデザインをしたスペシャルコラボ品だった

MIMIC

それが実現できていれば、トラヴィスよりも早い試みとなりましたね

真柄

アイデア的には J MONEY がニューポート( アメリカのタバコメーカー )のデザインをパロディする形で先に商品化していたかもね

Bootura
そうでしたね。あれはカッコ良かったですね。あと大変だったのが NIKE は必ず「 どうしてそういうデザインにしたのか? 」というストーリー が必要なんですよね

MIMIC

それは国井さんも 先日のインタビュー で話していらっしゃいました。やる意味や意義が問われるんですよね。1LOVE のエクスクルーシブモデルをつくったときもストーリーは求められましたか?

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Bootura

はい。そのときもそうでしたし、過去を振り返ってもストーリーは求められましたね

真柄

スニーカー以外にもアパレルやクッションとか、いろいろつくったよね

MIMIC

アパレルはTシャツ以外にもつくられたんですか?

真柄

ジップで半分に割れるジャケットを HECTIC、MASTERPECE、ROCSTAR それぞれで数パターンづつ作ったり、あとは NIKE SB で DUNK SB の総柄生地を裏地に使ったジャケットをサンプリングして、AIR FORCE I の総柄生地を裏地に使ったレザーダウンなんかもつくったかな

Bootura

MASTERPIECE のオールドスクールジャケットをベースにしたやつですよね。ちなみにクッションはその総柄の生地の余り布を使ってつくってもらったんですAIR FORCE I を転写した生地を裏地に使用。当時人気の高かった MASTERPIECE のオールドスクールジャケットがフェイクレザーだったのに対して、上質なリアルレザーを採用した豪華版 ( 画像引用 / FRESHNESS )

当時、HECTIC の事務所があった斉藤ビルから撮影した原宿の夜景をテキスタイルにしたジップジャケット ( 画像引用 / SneakerFiles )

MIMIC

HECTIC 企画となるスニーカーは真っ赤な AIR FORCE I でした。どういった経緯で真っ赤なモデルになったのですか?

Bootura

そもそもの経緯は、FIVE STAR MEGASTORE( 大阪の堀江にある老舗セレクトショップ )の林原さんたちが遊びに来てくれたときに、 NIKE iD STUDIO で一緒にカスタムモデルを製作したんです。

当時は色付けという試み自体が新しかったので、パーツごとに色を変えたクレイジーカラーを楽しむのが主流だったんですが、僕と林原さんはちょっと違う視点で派手なのつくりたいよねってことで、80年代に海外でリリースされていた DELTA FORCE や QUANTUM FORCE ( カンタム フォース ) の単色モデルを AIR FORCE I に落とし込み、僕が真っ赤なモデルを、林原さんが真っ黄色なモデルをつくったんですね。逆に単色の方がクレイジーカラーよりクレイジーなんじゃないのと。

その後、realmadHECTIC モデルを製作するとなったときに、AKEEM がたまたま僕のつくったモデルを覚えていて「 これいいじゃん! 」となり、マテリアルのみをクレージーパターンにする形でリリースすることになったんです

MIMIC

ということは、もともとは吉﨑さんのアイデアということですね?

Bootura

つまり、そうなりますね( ちょっと自慢げに )

1LOVE の閉店が迫った2008年1月に満を持してリリースされた NIKE と realmadHECTIC によるスペシャルモデル。徹夜組を含め200人以上が行列を成し、わずか数時間で完売となった ( 画像引用 / SKIT )

MIMIC

でも、当時は NIKE iD STUDIO を併設したショップ自体かなり珍しかったですよね。もしかすると日本初の試みだったんですか?

真柄

1LOVE よりも先に表参道のルイ・ヴィトンの上のフロアでやってなかったっけ?

Bootura

CELUX( セリュックス / LVMH が主宰していた紹介制の高級会員制サロン。4周年記念の際にメンバー向けに NIKE iD STUDIO が開放された )ですよね。凜太郎にお願いして真柄さんたちと行きましたよね。そんとき CELUX で店員やっていた市川くんという NIKE の人も後に1LOVE で働いてくれることになるんですが

MIMIC

1LOVE の NIKE iD STUDIO では、限定カスタムが用意されていましたよね?

Bootura

そもそも AIR FORCE I のカスタム自体が 1LOVE の NIKE iD STUDIO でしかできませんでした

MIMIC

限定カスタムには星柄のパンチングなどがありましたが、これは HECTIC 側のアイデアだったんですか?

Bootura

それは NIKE チームが用意したものですね。僕らのアイデアで実施したものは、特殊なレーザー加工を用いて 1LOVE のロゴを刻印するというサービスです。8色の中から好きな色を選んで、好きな場所2箇所に印字することができました

レーザー加工によるショップロゴの刻印は無料サービスとして実施された( 画像引用:fashionsnap.com )

MIMIC

あの巨大なガラスショーケースを設置した独創的な内装はどちらのアイデアだったんですか?

Bootura

あれは NIKE ですね。青山のコムデギャルソンのガラスなども手掛けた三保谷硝子さんに製作してもらったんですが、ポルシェ一台分くらいの費用はかかっていますよ

MIMIC

かなりの値段ですね。 費用は NIKE 持ちだったんですか?

Bootura

そうです。あまりにも巨大すぎて搬入することができず、壁をぶち壊して搬入しました(笑)

MIMIC

当時はまだ SNS も普及していなかったと思うんですが、お店の周知にはどんな方法を活用していたんですか?

真柄

まずはブログですね。365日毎日配信していました。あとはイベントです。ニューヨークからボビート( Rock Steady Crew の一員で、ストレッチ・アームストロングとともに人気ラジオ番組「 The Stretch Armstrong Show 」のホストを務めたNYCのレジェンド )を呼んで、イベントをしたよね

Bootura

あとはニュースペーパーをワイデンが作成して配っていました。他に思い出深いのはオープニング・レセプションですね。とんでもない数の人が集まっちゃったんですよ。NIKE と HECTIC の関係者だけでも十分多いのに、壁を壊してショーケースなんかを搬入している様子を見ていた人たちが「 NIKE と HECTIC がお店を始めるらしいよ 」と噂を聞きつけたのか、ものすごい数の人が集まってくださって

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動画接客ツール ザッピング で投稿

真柄

3階の iD STUDIO へたどり着けないくらいの人だかりで

Bootura

店の中に入れない関係者もいっぱいいたんで、僕はそういう知り合いにお酒を配りまくっていたのですが、そんな人数が来たもんだから iD STUDIO に敷いていた絨毯が1日でグチャグチャになっちゃって……。明日からどうするよ?みたいな空気になってました(笑)

MIMIC

SHAKKAZOMBIE のオオスミさんが30万円するクロコダイルの AIR FORCE I を購入してましたよね

Bootura

そうです。普通はレセプションってモノを販売しないじゃないですか。でも、「 レセプションこそ、こういう高額なモデルを買ってくれる人が来るだろう 」と考え、あえて販売をしてみたんです

MIMIC

ちなみにどれぐらいの足数を売ったんですか?

Bootura

めっちゃ売りましたよ。クロコダイル以外にも同じく30万円したアナコンダもありましたし、HTMのドット柄のモデルも売ったのかな。クレジットカードの機械が間に合わなくて、カードを預かってガッチャンと決済用紙に転写する器具を使って販売していました

オオスミさんが購入したクロコダイルモデル(右)と、同じく最高級の素材が使われたアナコンダモデル(左)。イタリアの職人によるハンドメイドで、シューレースやキーホルダーには18Kゴールドが使用された

MIMIC

お店をやるからには予算があったんですよね?

真柄

いや、在庫が僕らのコントロールじゃなかったんで、その辺を厳しく問われたことはなかったですね

MIMIC

世界的な企業との共同事業ということで、苦労されたこともあったんじゃないですか?

真柄

僕らはなかったよね。 NIKE の担当者が苦労していただけで(笑)

Bootura
そうですね。僕らはただただ楽しかっただけです(笑)

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MIMIC

先ほど 1LOVE は楽しいことばかりだったという話がありましたが、特に楽しかった思い出はありますか?

Bootura
いっぱいありますよね

真柄

いっぱいあるね

MIMIC

一つあげるとするなら

真柄

とある海外のアーティストが来たときかな。プロモーションで来日したときがあったんですよ。もうその頃はレゲエにどっぷりハマっていた頃だったんで、どうにかスペシャルを録れないかという話をしていて。普通に金額を提示してもつまらないと思ったんで「 お付きの人たちみんなに 1LOVE で取り扱っているスニーカーをあげるから聞いてもらえない?」とアテンドをしている知り合いにお願いしてみたんです。そしたら OK だよって。それで 1LOVE の4階で録音したんです

MIMIC

あの方ですね!確かに「 どうして真柄さんは当時世界中のだれも持っていなかった、そのアーティストのスペシャルを持っているんだろ? 」と不思議でした

Bootura
真柄さんはそういう大事な話は教えてくれないから、当日に「 今、録音しているらしいよ 」って聞いて、事務所から急いでお店まで駆けつけたんですよ。そしたら、お店の下にメチャクチャお付きの人がいるんですよ。で、店内に入って扉を開けたら歌っていて。「 ボンボクラ~! 」って!

MIMIC

2007年なので、ちょうどセカンドアルバムが出たくらいですね

Bootura
人気絶頂の頃ですよ

真柄

ビレッジでライブをする前に来てくれたんだよね

Bootura
そうでしたね。でも、お付きの人たちはとんでもない数のスニーカーを持っていきましたけど(笑)

真柄

母国にいる嫁さんや子どもの分まで持っていったんじゃない(笑)?

Bootura
曲を録っている間、ガンガン試着をして、これもこれもって感じでダンボールに詰め込んでましたもん(笑)

MIMIC

オフィシャルの強盗みたいですね(笑)。他にも著名人の方が数多くいらっしゃっていましたよね?

Bootura
タレントさん、グラビアアイドルの方、 NIKE がサポートしてるスポーツ選手、ロールスロイスで乗り付けてくるお金持ちの方など、いろいろな方にご来店していただきました

HECTICの懐深さは買い付けにあり!? 脈々と受け継がれた買い付けイズム

MIMIC

ここからは AIR FORCE I についてやスニーカーシーンについて、お聞きしたいのですが

Bootura
真柄さんはセレクトがメインだった時代からよく買い付けていましたよね?

真柄

そうだね。特に VKS( 真柄さんがバイヤーを務めていた古着屋、ビンテージキングのスニーカー専門店 )時代によく仕入れていた黒のキャンバスの AIR FORCE I は仕入れれば仕入れるほど売れた記憶があるね

MIMIC

当時の真柄さんのインタビューを読むと、グランドマスターフラッシュがレコードのジャケットの中で履いていた紫色のモデルがカッコ良かったという話をしていたんですが

真柄

確かにあのモデルは思い出深いかもしれない。当時は、アグリーカラーと呼ばれる原色のモデルが黒人の多く住む都市で発売されていて、よく買い付けしていました

MIMIC

では realmadHECTIC モデルとなった真っ赤な AIR FORCE I もそういったアグリーカラーを継承するカラーリングだったんですね

真柄

そうですね

MIMIC

《あんときのストリート》の中心にいらっしゃったお二人から見て、今のスニーカーブームはどのように映りますか? 今のスニーカーブームは完全にストリートと結びついた流行で、それこそ 裏DUNK から始まる裏原宿と呼ばれるような原宿のストリートシーンと NIKE との蜜月関係がルーツになっていると思うのですが

真柄

どうなんだろう?

Bootura
どうなんでしょうね。当時、 HECTIC のスタッフが履いてるスニーカーを見て、買い付けるスニーカーを決めていたって話は聞くことありますけど

MIMIC

たしかに当時の HECTIC のセレクト眼ってズバ抜けていましたよね。ご本人的にはどのような視点で買い付けていたのでしょうか?

真柄

いつもルーティーンで回るところを決めていて、そのときに目をつけた商品をいろんなところで集中的に買い集めてくるって感じですかね。もちろん、何にも出てこないときもあるんですが

MIMIC

HECTIC の魅力って、真柄さんの影響なのか、ヨッピーさんをはじめ、浜畑さんやリョウさんなど、脈々と “買い付けイズム” みたいなものが継承されているなぁって感じるんですよね。レギュラーにしても PKG にしても、初期の HECTIC が仕入れていたインポートのエッセンスが感じ取れるといいますか

真柄

僕らは強く意識していたかはわからないんだけど、ネットのない時代だからできた販売スタイルなのかもしれないですね

MIMIC

当時はアメリカに渡らないと得られない情報やアイテムがたくさんあって、そうした機会に恵まれた真柄さんたちだからこそ、磨かれたセンスが HECTIC をつくり上げ、1LOVE という NIKE との共同プロジェクトにまで発展していったわけですよね。

世界的な企業である NIKE が原宿のストリートブランドと共同でショップを運営する。しかも扱うのは AIR FORCE I のみという異例の取り組み。40年の歴史の中で、本国アメリカとしては25周年というのは最初に訪れる大きな節目になるのだと思います。

そのタイミングで日本のストリートブランドがパートナーに選ばれ、ここ東京でそのような実験的な取り組みが行われたことは、もっと語り継がれてしかるべきだと思いますし、それを実現させた関係者の皆様の偉業は讃えられるべきだとも思い、こんな機会を作っていただきました。

今日は貴重なお話の数々、本当にありがとうございました!

後編の【 NIKE 編 】はこちらから

AIR FORCE I 40周年記念! NIKEとHECTICによる伝説のプロジェクト「 1LOVE 」を掘り起こせ!【 NIKE編 】

真柄さんが手がける A-1 CLOTHING

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