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日本をストリートファッションの中心地に変えた《 あんときのストリート》代表ブランド、ア・ベイシング・エイプ 立ち上げ前夜

野田

さぁ、満を辞してのエイプですね。《 あんとき 》で一番好きなブランドだったので思い入れが強すぎて

遠山

そうだね。この辺はクルゼ、ヤナギだね

高柳

正直どこから話せばって感じですね

野田

だよね。じゃあ2006年に発売された別冊カドカワのNIGOさん特集が詳しいので、これに沿ってNIGOさんの幼少期から振り返っていこうか。

群馬県前橋市の出身であるNIGOさんは、警察官の父親と看護師の母親という共働きの家庭に生まれます。幼少期よりオモチャを収集する癖があったみたいで、面白いエピソードとしては小学校の避難訓練で、お気に入りの靴 ( 中履き用 ) で校庭に避難するのが嫌で外履き用に履き替えたらしく先生に「君は死んでます」と言われたらしい ( 笑 )

高柳

モノにこだわるNIGOさんらしいエピソードですよね。その後、小学校では高学年にもなるとビートルズと出会い、中学ではチェカーズを聴いてたようです

野田

けっこうチェツカーズにはハマってたみたいで。あとは中1の頃にはサッカー部に入るんだけど、小さいスパイク履いてたら爪が剥がれちゃってやめるという出来事も ( 笑 )

高柳

そして、いよいよ高校時代。最初はアメカジだったけど、高1から一気にヒップホップにのめり込むようになると

野田

そうなると当然、いとうせいこうさんや、高木完さん、そしてヒロシさんたちが気になりだすわけで、雑誌で見かけた ア・ストア・ロボットなどにも休みを利用していくように

高柳

バウンティハンターのタカさんと一緒にですよね

野田

フミさん ( 元エイプで現BBC。NIGOさんの幼馴染 ) もいたんだろうね、多分

瀬戸

ジョニオさんもこの辺ですか?

野田

いや、その出会いはもっと後。専門学校に入ってからなんだよね。

NIGOさんは高校卒業後は留学を考えてたみたいだけど、両親の反対にあい文化 ( 服装学院 ) のエディトリアル学科に進んだみたい。ジョニオさんは1つ上でもう文化にいて、フォークソング部だったらしい ( 笑 ) 。

ジョニオさんはジョニーロットンそっくりで毎日髪の色が変わるような学生だったので、当時から有名だったらしくNIGOさんとは学校の飲み会で出会うことになる

遠山

それでロンドンナイトにつながるわけだ

野田

ですです。ジョニオさんに連れられて。そこでヒロシさんたちと顔見知りになっていくんだけど、ある日ア・ストア・ロボットに行った際に店長だった高橋一郎さんがヒロシさんに似ているので「今日からヒロシ2号だ」と名付けると

高柳

伝説の一幕ですね

野田

その後はヒロシさんのDJアシスタントをやるようになり、昼はGHEE ( カレー屋 ) でバイトをするような生活になるので学校の出席日数がやばくなるんだけど、後半追い上げて無事卒業すると

高柳

その後はスタイリストとかですよね?( 中山 ) ヒデちゃんとか、藤井フミヤとか

野田

ポパイとかもやってたみたいだよね

遠山

で、ラストオージ-が始まっていくのかな?

野田

ですね。MILKのひとみさんが「面白い子たちがいるから」って宝島の編集長に連絡して、いきなり次の号から巻頭で3ページ

高柳

最初は「az」でしたよね

野田

そそ。アマゾンのロゴの下の矢印ってさ a から伸びて z を指してて、aからzまでなんでも揃うという意味を表しているのは有名な話だけどさ、それよりも2年以上も前にこの二人が同じことを雑誌タイトルにしていたというのはあまり知られていない事実。

で、ちょうど上の号が3回目なんだけど、それを最後に次の会がヒロシさんと完さんがゲストで。そこで「ラストオージーのタイトルでやれば?」って提案を受けてラストオージー2に変更されたんだって。だからその号にはazのタイトルに×が付いてて、新たにラストオージー2のタイトルが横にあるんだよね

瀬戸

このときまだお店はないですよね?

野田

うん、なかったね。これはノーウエアのオープンの前の年だね

高柳

ノーウエアは93年の4月にオープンして、最初はセレクトショップだったんですよね

野田

そうそう。リーコンの後ろでオンデンの並び、後にランダムとか麻乃葉になっていく場所にあって。ちなみにこのノーウエアの名付け親もアンダーカバーのロゴも、もっといえばラストオージーのロゴも、みーんなセブンスターズ

瀬戸

毎回、毎回、《 あんとき 》におけるセブンスターズの貢献度がものスゴイ!

野田

だよねぇ。話を戻すと初期ノーウエアは、アンダーカバーとかNIGOさんが買い付けてたモノが並ぶセレクトショップで。他にもヒロシさんが銀座のプールとかコンビニで夜中にナイトマーケットをやるじゃない? 普段のお店とは違って自分の私物を売るみたいな。実はそれってこの頃のノーウエアでもやってたみたいで。「藤原質店」というド直球な名前で夜9時から営業。超行きたかったわぁ

高柳

当時のノーウエアには、みんな集まってましたもんね。その雰囲気がこの2周年記念のブックによく表れている

遠山

それでエイプのスタートになるんだよね?

野田

ですね。エイプ自体は93年の10月にスタートします。

やっぱり買い付けって大変なんですよね、いや大変って生温いな、ツラい。月1アメリカに行って、地図みて自分で車運転して。それで買い付けたものは、夜な夜なインボイス書いてパッキンして送る準備まですると。ボクもマッドフット!時代に経験したんですけど、買い物大好きなボクでも2度と仕事にはしたくないって思ってます、それくらいツラい

瀬戸

体力的にですか?

野田

両方あるのよ。体力的にもツラいよ。時差ボケがとれない中、早朝からお店回りにいくんだけど、なれない右車線で長距離運転。しかも当時はナビもないから地図を見ながらね。1日のスケジュールでいくと、朝7時に起床、8時に出て3時間先の場所まで運転。そこから夜8時くらいまで場所を移動しながらひたすら買い付け。買い付けって言っても店と店の間隔も街と街の間隔も日本とは大違い。移動だけで大変なわけよ。

で、夜買い付け終わったらメシを食べて、また2-3時間くらいかけて戻る。早くて23時とか24時。そこからインボイスとかパッキンして2時か3時。酷いと5時とか ( 苦笑 ) 。それで風呂入って即寝。でまた1-3時間後には起床。それを1週間くらい続けるの。もうフラフラになるんだけど、時差ボケだか寝てないからなのか訳わからなくなる

瀬戸

それはツラい。。。。買い付けって優雅で楽しいもんじゃないんですね

野田

少なくてもボクが経験したものは、そんな感じだった。原宿界隈の人は、ある程度みんなこんな感じなんじゃないかな?

しかもさ精神的にもけっこうキツくて。ある程度良いものを見つけて買って帰らなきゃいけないプレッシャーって相当なのよ。経費かけて「全然良いものありませんでした」じゃシャレにならないじゃん。お店で売るものなくなっちゃうわけだし。

なのでそういう生活を続けると、本当に疲弊していくのがわかるんだよね。まだボクも若い時期で体力もあったし、雑誌編集で寝ないで働くとか全然やってたけど別次元のツラさで、これは長く続けられないって思ってた。そしたら案の定、身体壊した ( 笑 )

高柳

なるほど。当時は少しずつ周りに自分でブランドやっている人も増えてたから、オリジナルに行き着くのは当然の判断ですよね

野田

うん、ボクなんかが生意気だけど、すごい共感する。でも買い付けを経験すると、ものすごく目が肥えていくのが分かるんだよね。

《 あんとき 》にそういう経験をしていた、ワングラムの大村さんとか、ヘックの真柄さんとかヨッピーさんとか、青春時代に培ったセンスに加え、買い付け時の知識がバックボーンとなり、その後のブランド運営が懐深いものになっていったんだと思うんだよね

高柳

確かにそれはありますね。古着に詳しい人は大抵センス良かったりしますもんね

野田

うん、それに加えスケシンさんやマンキーさんといった才能もエイプには集まってくるわけじゃない? そりゃ、あれだけのブランドになるよね。

と、相当足早に話を進めても立ち上げまでで記事がめいいっぱい。今度またどっかで続きなのか、この時期をさらに深掘りするのか、やっていこう。エイプだけで数十回できちゃうと思うわ

 

※ 記憶が頼りでして事実と違うことがあったら、すいません!