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【 第二部 】NIKE 東京プロモーションにフォーカスしたミミック初のセミナーを徹底レポート!《 あんとき 》のストリートをマーケティング視点で掘り起こせ!

《 あんときのストリート 》を発掘|MIMIC ( ミミック )

去る12月4日(水)、渋谷の某イベントスペースにて、MIMIC ( ミミック ) 初の試みとなる《 あんとき 》セミナーが開催されました。

記念すべき第1回目となる今回のセミナーでは、数々の伝説的な施策によって東京をスニーカーの中心地に変えた NIKE 東京プロモーションに焦点を当てたのですが、今回はその第二部の模様をお届けいたします。

第一部の模様はこちら

東京を世界のスニーカーシーンの中心地に変えた、ストリートとの数々の施策がテーマに

第二部では、 Hurley に転職された坂井さんから東京プロモーションを受け継いだ久保田 夏彦さんと、第一部にも登壇いただいた秋元 凜太郎さんが、’00年代以降に実施した施策を中心に振り返っていただきました。ストリートとリンクすることで世界をリードする存在になった東京のスニーカーシーン、その仕掛けに迫ります。

ご登壇いただいたお二方

 

久保田 夏彦さん( 渋谷未来デザイン コンサルタント )

 

 

1993年、オージス総研に入社。 1996年よりナイキジャパンにて、Nike.jp、NIKEiD、 インフルエンサーマーケティング、MIYASHITA PARK 、 NIKE HARAJUKU の立上げなどを歴任。 2016年に株式会社アダストリア執行役員・マーケティング 本部長に就任。25ブランドのマーケティングと DX、 コーポレートブランディングを統括した。2019年10月に独立。渋谷未来デザインにおける都市の スマート化を中心に、JIBUNHOUSE など複数ブランドの CMOとしてコミュニケーションやDXを実装している。 and GOLF というゴルフ練習場と kubotech 合同会社というクルマ屋を経営しており、実は本業はこちら

 

秋元 凜太郎さん( FLY 編集長)

 

 

1976年生まれ。バスケットボールカルチャー誌『 FLY 』編集長。 大学卒業後 109 系アパレルメーカーを経て、 2001年にナイキジャパンに入社。 インフルエンサーマーケティングやグラスルーツイベントを担当。2011年、原宿にセレクトショップ「 A-1STORE 」 をオープンし、2014年に『 ABOVE 』を創刊。2017年『 ABOVE 』と同じスタッフで『 FLY 』を立ち上げ、現在は株式会社ブーマーにてスポーツを軸に幅広いクリエイティブワークに携わる

東京プロモーションが部署へと格上げされ、スポーツカルチャーという新カテゴリも設立

坂井さんの時代の東京プロモーションは、社内でも “ちょっと変わっていることをやっているというチーム” という印象で、逆風を感じさせる一面もあったといいます。ところが、ストリートとリンクした東京特有のスニーカーシーンがグローバルでも注目を集めるようになると、その存在は社内でも認められるようになり、追い風モードに変わっていったと久保田さんは語ります。

「 坂井さんの時代から東京だけでなく、ニューヨークやロンドンといった都市でも、特攻野郎みたいな人たち ( 笑 ) がストリートカルチャーを盛り上げようと、好き勝手に独自の施策を打ち出していました。

ところが、そうした取り組みが主流になってくると、全社的に評価されるようになり、その手法がグローバル全体でオフィシャルとして組織化されることになったんです。総称して『 エナジーマーケティング 』と呼ばれるようになりました。その結果、東京プロモーションも東京マーケティング部という部署に格上げされ、新たにスポーツカルチャーというカテゴリも誕生しました 」( 久保田さん )

このカテゴリは、これまで自社のフットウエアやアパレルがスポーツ以外の用途で着用されることに前向きでなかった NIKE が方向転換し、オシャレ着や日常着としても着用してもらおうと設立したもの。こうした2つの動きからは、ストリートから波及した新しい価値観が NIKE としても無視できない存在になっていたことをうかがい知ることに。

ホワイトダンク展や Joga Bonito といったグローバルイベントも手がけることに

そんなグローバルな部署へと発展した東京プロモーション( 東京マーケティング部 )では、世界的なエキシビジョンも数多く手がけることになります。特に記憶に残っているのは、キャンバスに見立てた白いダンクをさまざまなアーティストが作品化する「 ホワイトダンク展 」や、美しいプレーでフットボールファンを魅了しようと立ち上げられた「 Joga Bonito 」といったプロジェクトではないでしょうか。

画像引用:JTQ inc

ホワイトダンク展について、久保田さんは「 ダンクを単なるバッシュではなく、アートやストリートカルチャーと結びついた存在にすべく、アートに造詣の深かった当時 CEO のマーク・パーカーが発案した企画。日本の有名な造形作家さんに、単なるカラーカスタムではなく、アート作品として製作してもらいました。グローバルネットワークのコンテンツとして、世界中で鑑賞されるエキシビジョンとなったことが印象的でした 」と説明。

画像引用:JTQ inc

秋元さんは「( 世界に向けた )アート作品の空輸って、実は非常にコストがかかることなんです。しかも作品を展示する建物も NIKE SB のシューズボックスを模して特別に建てられました。もちろん、これらはマーク・パーカーがアート好きだったことで実現できた取り組みですが、これだけの費用をカルチャーに対して投資できる会社って、今考えてもすごいなと思います 」と振り返りました。

また「 Joga Bonito 」については「 エナジーマーケティングでは、この世界的なプロジェクトをインフルエンサーたちと形にしていくことになった 」と説明。「 期間限定で SOPH. の2階でポップアップを開催させてもらうことになりましたが、この取り組みがきっかけで、その後、関係性の深いブランドやショップと一緒にコラボレーションしていく流れができました 」( 久保田さん )と当時を振り返ってくれました。

世界でも大きな話題となった、AIR FORCE I 25周年を記念した 限定ショップ 1LOVE

そして話は、’00年代に最も印象深いストリートとの取り組みとなった「 1LOVE 」の話題へ。 1LOVE とは AIR FORCE 1 の25周年を記念して NIKE とヘクティクが1年間の限定でオープンさせたショップのこと。今なお多くのスニーカー好きから伝説として語り継がれています。ミミックでも過去にそのスゴさを解説する記事を掲載しましたが、このセミナーでもあらためて立ち上げの経緯などが、当時の担当者だった秋元さんから語られました。

「 AIR FORCE 1 の25周年を社を挙げて全世界的にセレブレートするとなったときに、『 東京はどうするの? 』という大きな命題がのしかかってきました。そんなときに、やっぱり AIR FORCE 1 はそのバックボーンにブラックカルチャーがあるので、東京でもヒップホップのコミュニティでやるべきだと考えるようになったんです 」( 秋元さん )

そこで相談したのがヘクティクの真柄さん。「 東京でブラックカルチャーを引っ張っている存在と言えば、真柄さんたちをおいて他にいない。このチャンスに彼らと何かしない手はない 」と1年間限定のショップをつくろうというアイデアに結びついたと秋元さんは話します。

画像引用:TORAFU

また、店内でひときわ存在感を発揮したガラス製の円形ショーケースについて久保田さんからこぼれ話を聞くことができました。実は、このショーケースを製作したのは久保田さんの義理のお父さんだったそうです。当初は一般的な形状のショーケースにしようと思っていたそうですが、義理のお父さんのアイデアで円形にすることになったそう。

ただ、その変更にはとてつもない費用がかかるので、親戚が手がけるということもあり「 社内承認を得られないだろう 」と久保田さんは弱気になっていたそうです。ところが、義理のお父さんから「 それが通せないなら( 同じくらいの費用がかかる )フェラーリでも飾っておけよ 」と発破をかけられたことで、どうにか承認を得ることができたと教えてくれました(笑)。

そしてショップの2階では AIR FORCE 1 を好きなカラーにカスタムできる NIKEiD のサービスもあり、芸能人から裏原の関係者まで、みんなが「 ここでスニーカーをつくりたい」と、とんでもない盛り上がりを見せたといいます。

一番意識していたのは「 世界で話題になる店づくり 」と話してくれましたが、結果として、ガラスが多用された内装や NIKE iD STUDIO の併設などは、のちの House of Innovation の取り組みへと受け継がれることとなり、 1LOVE が世界に先駆けて誕生したコンセプトストアであったことを証明することになりました。

プロモーションの一環として制作されたニトロの名曲『 SPECIAL FORCE 』

また、このプロモーションの一環としてニトロ( NITRO MICROPHONE UNDERGROUND ) と『 SPECIAL FORCE 』という楽曲を制作したことも、 NIKE とストリートの蜜月を感じさせる出来事でした。スニーカーのプロモーションでアーティストと楽曲を制作するという試みは、前代未聞ともいえる画期的な取り組みに思えますが、これはいったいどのような経緯で誕生することになったのでしょうか。

「 ニトロは渋谷・宇田川町でカルト的な人気を誇ったラップグループです。そんな彼らにとってスニーカーは非常に特別な存在で、メンバーの半分はスニーカーコレクターというほどの熱狂ぶりでした。メンバーの深見 ( XBS さん ) とは、山男フットギアの社長に紹介してもらったことで繋がっていくのですが、その出会いをきっかけに彼らのプロモーション用としてオールリフレクターの AIR FORCE 1 ( 未販売 ) をつくったこともありました。

その後、彼らとはいろんな試みを一緒にやってきたんですが、グローバルでも有名なアーティストが AIR FORCE 1 のために楽曲を制作するという流れがあったので『 じゃあ、東京では彼らと25周年を祝うキャンペーンソングをつくるのが面白いのでは? 』となったんです 」( 秋元さん )

そして制作された『 SPECIAL FORCE 』。PVはナイキのクリエイティブを一手に担っていたクリエイティブエージェンシー、 Wieden+Kennedy によって作られ「 結果として、彼らを有名にした一曲になったと思うし、キャンペーンを通じて楽曲をつくるという取り組みは、後にも先にもこの1回だけだったので非常に感慨深いものになった 」と、秋元さんは振り返ります。

ピストブームの中で波紋を呼んだあの広告と、幻に終わった宮下公園のネーミングライツ

そして、最後のストリートカルチャーといわれたピストブームが巻き起こった ’07年当時「 ブレーキなし。問題なし。」というコピーが問題視され、ポスター広告回収の事態へと追い込まれた事件にも話は及びました。

これは “日本初の炎上マーケティング” と揶揄された失敗談とあって、関係者からそのいきさつについて語られることはありませんでしたが、今だから語れる話として責任者だった久保田さんが当時を振り返ってくれました。

画像引用:BROTURES

「 実はこのポスターは、東京の街中でダンスやスケートといったストリートスポーツを楽しんでいる人たちを世の中に向けてセレブレートしようとしたキャンペーン企画の一環でつくられました。波紋を呼んだせいで、このクリエイティブばかりが有名になってしまいましたが、実は全部で100枚くらいつくったものの1枚なんです 」( 久保田さん )

久保田さん自身「 コピーの語呂の良さや内容の秀逸さに自分でも酔ってしまっていた 」と当時を振り返りますが、そこにはイリーガルな側面を持つストリートカルチャーを大企業が扱う難しさが見え隠れしているようにも感じます。この一件が起きたことで、ポスターに出演してもらったライダーやショップ、当時 NIKE のグループ企業だった自転車メーカー、ポスターを掲示していたパルコの関係者のもとへ謝罪行脚に回ったと言います。

「 平たく言うと、ブレーキなしが法的に問題アリだったんで、これは誰に何を相談しようがダメなものはダメだったんです。ただ、プロジェクトのリーダーとして悔やまれる点があるとすれば、それは自分が取ろうとしたリスクの及ぶ範囲について、きちんと想定できていなかったことです。そうしたリスクがあるとわかったうえでそのリスクを取ったならまだいいんですが、想定できなかったリスクで多くの人たちに迷惑をかけしまった。これはビジネスマンとして未熟だなと思いましたね 」( 久保田さん )

また話は、宮下公園のネーミングライツにも及びました。現在、 MIYASHITA PARK が建てられている場所は、かつては宮下公園という治安の悪い公園があった歴史があり、そこを NIKE が安全に利用できるスポーツパークへ変えようと試みたことがありました。

ところが、そこに住んでいたホームレスの人たちに立ち退いてもらうことや一企業である NIKE が公共施設である公園を建設することに反対する人たちからの抗議デモにより、ネーミングライツ計画は中止となります。

責任者だった久保田さんは「 当時のスポーツパークの構想では、ビジネス的な面も含めて今ほどダイナミックなものにはならなかったかもしれない。結果として、公園と商業施設を併設することで、若い子たちが集まる人気スポットになっているので何が正解だったとは言い切れないものですね 」と当時を振り返りました。

久保田さんと秋元さんから語られた、ストーリーテリングにおける重要な要素

そして、最後は第一部と同様、登壇者のお二人から、今に活かせるビジネスのヒントが提示されました。

秋元さんは、自身が関係を育んできたクリエイターやアーティストが持つ強いこだわりへの敬意を表しながら「 例えば、バスケットボールのシューズを誰かとつくろうと思うなら、当たり前ですが、バスケットボールに関する知識がある人やずっと真剣にバスケットボールを続けてきた人など、熱量がある人たちと一緒にやるべき 」と熱弁。

その際、プロダクトに付随させるストーリーに、彼らが所属するコミュニティが良くなるような効果があったり、本人たちも成長できるような文脈があると、相手にも受け入れやすいものになるとアドバイスくださいました。

久保田さんは、今は誰かとコラボレーションをするにも「 それって何のためにやっているんだっけ? 」という理由が強く求められる「 大義が重要な時代 」になったと説明。

久保田さんの時代は、代々木公園のバスケットボールコートを改修して寄付したり、宮下公園を改修して寄付したりと、大企業が身銭を切って世の中を良くすることが大義となりえたが、今はその仕組みを未来永劫回していけるような、持続可能なビジネススキームづくりまで求められるようになっていると話してくれました。

「 そういう大義がないと、ストーリーテリングしても中身がないので、人々に響かすこともできない。だから、どんなコラボレーションをする際も、まずは大義を考えることが重要ではないでしょうか 」と締め括った。

続きは切り取り線をなぞってね!

付録:《 あんとき 》を再現して、現代に熱狂を生み出す方法

《 あんとき 》を再現して、現代に熱狂を生み出す方法

第一部と第二部の閉幕後には、ミミックの主宰者で、本セミナーの発案者である野田から、5年以上にわたってミミックを運営することで得られた、買い物を通じて《 あんとき 》のような熱狂を生み出す方法と、自身が本業で展開するウェブサービスを通じて見つけることができた、店舗に残された “最後の金脈” に関する講演も行われました。

「 いまは通販サイトや SNS で簡単に情報が得られるので、効率重視の “作業” のような買い物が主流となってしまい、ワクワク感や発見の喜びが失われている 」と問題を指摘。

そうしたなか、ミミックでやってきた地方のリサイクルショップへの買い付け企画から「 何が売っているかわからない非効率さは、逆に買い物のエンターテイメント性を高めることに気づされた 」と語ります。つまり、買い物には、ちょっとしたハードルが設けられている方が、その体験価値は向上するというのです。

「 皆さん、思い出してみてください。《 あんとき 》のストリートは、並ばなければ買えない、店に行っても売っているかどうかもわからない、希望のサイズがなくても諦めて別のサイズを買わなければならないと、そのすべてが理不尽の塊でした。でも、そうやって苦労して手に入れた経験は、今でも圧倒的な成功体験として脳裏に焼きついており、いい年した僕らが今でもミミックのようなメディアを運営する原動力にもなっているのです 」( 野田 )

そこで、そうした仮説を確かなものにしようと試みたのが、大きな影響力を持つ《 あんとき 》の当事者たちと企画した《 あんとき 》マーケットの開催でした。

ここでも、何が売っているかを事前に知らせない商品情報の制限やフライヤーによる優先入場制度の導入、気に入ったものがあれば関係者は事前購入できる “身内抜き” などを行うことで、現在の買い物体験にはないハードルをあえて用意しました。

参考記事:《 あんとき 》マーケットを終えて – 熱狂を生み出す6つの仕掛け –

結果として「 開店ダッシュがおこったり、平日の昼間から会社を休んで並んでくれたり、フライヤーがメリカリで転売されたりと、出店者の方々の価値を安売りすることなく、多くの方に楽しんでいただけたのではないか 」と語ります。

また、こうした取り組みをデジタル上でも再現しようとしたのが、ミミックの通販サイト《あんとき》セレクト。

「 通販サイトって、24時間365日空いてるのが一般的だと思うんですけど、その環境にも同じように “ちょっとしたハードル” を設けようと考えました。

《 あんとき 》セレクトは不定期にしか開いておらず、売り方は毎回変わります。第一弾は、俳優の窪塚洋介さんの私物をオークション販売させていただいたのですが、3〜4日ほどしかオープンしていないにも関わらず、ダウンジャケットが39万1000円、ディレクターチェアが8万円1000円で販売されました。

第二弾商品は、先ほど話題にあがった 1LOVE の関係者のみに配られた12足だけのAIR FORCE I 。当然ながら未販売モデルで、どのくらい値段が上がるか楽しみです 」( 後日、なんと105万円で落札 )( 野田 )

今後もアプリをダウンロードしないと買えない、《あんとき》にまつわるクイズに正解しないとカートボタンが出てこないといった、さまざまなハードルを設けることで、購入後の成功体験を高めていきたいといいます。

月間1億円もの機会ロスを可視化し、アプローチを可能にした店舗に残された“最後の金脈”

セミナーの最後には、野田の会社が提供する LINE の自動配信ツール、ワズアップ !の取り組みから得られた「 店舗に残された最後の金脈 」についても共有されました。

これまで説明した取り組みは、どちらかといえば、サービスやブランドへのエンゲージメントが高いファン層の熱狂度をさらに高めていくような施策です。

しかし当然ながら、お客様の数は圧倒的にライト層が多いため、その層に向けた施策も講じなければなりません。ところが「 ほとんどの企業においてライト層に向けた施策は、クーポンを配ったり、広告を打つくらいしかできていない 」と指摘します。

「 僕たちが提供するツール、ワズアップ !の新機能として、通販サイトでは当たり前になっている『 再入荷リクエストの店舗版 』を始めました。これは通販サイト上で店舗の在庫を確認できるだけではなく、売り切れていた場合は、好きな店舗にリクエストすることができて、実際に商品がその店舗に入荷したら LINE でお知らせが届くというものです。先行で導入いただいた企業では、月間1億円ものリクエストが入っています 」

各企業において一番多いお客様は、ECサイトで商品を見て、お店に赴き、気に入ったら買うという方たち。でも、そういう大多数の人たちはECサイトを購入の場ではなく、情報を入手する場所として利用するためにECサイト上に成果ポイントがなかったといいます。

ところがワズアップ!を使えば、誰が・どこで・どの商品を希望しているのかという、これ以上のない確実なデータが入手可能になるだけでなく、LINE で通知できるようなったことで、店舗に眠る膨大な機会ロスが可視化されるようになりました。

今後は「 ミミックで実践しているような『 ファン層に向けた購入の成功体験を高めるためにあえてハードルを設けるアプローチ 』と、ワズアップ!で見えてきた『 ライト層に向けた会員登録や ID 連携といった面倒なことをしなくても、お客様が必要とする情報をお届けできる仕組み 』の両立。この2つを組み合わせることが、価値を落とさず、規模感も出せる方法なのでは 」と締め括った。