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NIKE ダンクのリリースラッシュは《 あんとき》の再現! co.jp から DUNK SBまでを振り返る

《 あんときのストリート 》を発掘|MIMIC ( ミミック )
野田

おぉーーーー!NIKE DUNK ( ナイキ ダンク ) のミシガンが当たったぁー!

ってことで、今日はナイキのダンクについて振り返っていきますか。しかも今回はゲストに HOUYHNHNM( フイナム ) の副編集長、やまもっちゃんをゲストに迎えてお送りします

遠山

ハニカムの山本でしょ?

山本

違う違う (笑)

野田

元っすね (笑) 。一緒に手伝ってる時代もあったよね。あとやまもっちゃんは、シューズマスターもやっていたので、今回のテーマにはふさわしいかなと

瀬戸

今回はダンクがテーマってことで、ここにきてどうしてダンクをとりあげるんですか?

野田

去年あたりからダンクのリリースが目立つようになり今年もリリースラッシュが続くんだけど、この動きって1999年から2000年にかけての《あんとき》のまんまの動きなんだよね

遠山

ストリートバブルが全盛に差し掛かっていく99年ね

野田

はい。99年に co.jp ( コンセプト・ジャパン。日本企画のスニーカー ) の第一弾として東京上野のシティ・アタックが行われるんですけど、その時に発売されたモデルが通称、裏ダンクと呼ばれるものでした。そこからダンクのリリースラッシュが始まり、フォース1と双璧をなす定番モデルと認知されるようになったんじゃないかなと思うんですけど

遠山

それはスケートシューズじゃなくて、バスケットシューズとしてのダンクだよね

野田

はい。スケシューとしてのダンクもこの時期にそのベースとなるダンクが日本限定で発売されていたのですが、本格的には2002年のNIKE SBの始動まで待つ必要があります

山本

通常の配色が反転しているモデルだから「裏ダンク」って呼ばれたんだよね。カラーを反転させた裏以外に、通常の表カラーも発売されてて

引用:Twitter

高柳

流通も絞られていたの?

野田

表のカラーは販路を限定させている感じはなかったけど、co.jpとしてリリースされた裏ダンクは mita sneakers ( ミタスニーカーズ ) のような一部の店舗だけでリリースされていた。

今では販路を限定する売り方って当たり前だけど、《あんとき》ではフットロッカー別注とかフットアクション別注のような限定品を海外から並行で引っ張ってきたものを買うしかなかった。それが日本でも行われるようになったという感慨深さがあったし、今思うと販路を限定するような売り方って面でも《あんとき》がシーンを成熟させた感はあるよね

高柳

そもそも何がきっかけで日本に注目が集まり、ストリート向けの復刻が行われたんですかね?

野田

たぶんヒロシさんなのよ。小澤匡行さんの『東京スニーカー史』(立東社)に詳しく書いてあった

一同

へぇー

高柳

確かに、ヒロシさんって90年代初頭の「ポパイ」とかで、ダンクの黄色×紺のカラーとかをヴィンテージの中に定着させていったイメージがあります

山本

それまでスポーツメーカーには「復刻」って概念がなかったもんね。過去のモデルを復刻してビジネスになるなんて思ってもいない

野田

元々スニーカーって、アスリートに向けて売ってるわけだもんね。だから当然、新しい技術・新しいモデルとなるし、プロモーションもアスリートに向いた内容だったし

遠山

そのなかで徐々にジョーダン1が古着屋に出回るとか、いわゆるヴィンテージスニーカーの意識が出てきたり、バッシュなんかは一部のクラブキッズの間では流行ってたけど、一般的にはそういったスニーカーの需要なんてまだなかった。だって俺がオンタイムでエアマックス95買ったのも、地元のデパートのスポーツショップだぜ(笑)

瀬戸

僕も初めて買ったジョーダン1が94年復刻のものなんですけど、それも普通にスポーツショップで買いましたね。NBAとスラムダンクブーム真っただ中だったんで、今だったら半端ない注目度のはずなんでしょうけど、当時はまだそんな時代じゃなかったんでしょうね

NIKE SBの登場とスニーカービジネス

野田

今に通じるという観点でみると、本格的なスニーカーブームってその95年のハイテクブームなんじゃないかと思うんですけど。でもあのブームをビジネスとして見ると売っているのは正規じゃなくて並行で引っ張ってくる人たちだから、ナイキジャパンとしてはおいしくない。相場がおかしくなるし (苦笑)。

だからナイキジャパンとしては、ストリートと距離をとりアスリートに軸足を置いた戦略をとることになるんだけど、これが仇になり98年の業績は絶不調になると。そこでストリートに目を向けることが必要となり、ストリートに対する最初の試みとして co.jp が実施され、今に通じるストリートとナイキの蜜月関係が始まっていくことになると

遠山

2002年に発売されることになるNIKE SBになる前のダンクって、色もいっぱい出てたしSB仕様のダンクとは形もちょっと違うよね。ナイキって細いラストが特徴だから幅広・甲高の日本人の足には履きづらいんだけど、SBは幅が広くてボッテリ厚みがあって履きやすかった

野田

ダンクSBは限定モデルや別注が多いことも特徴ですよね。誰々カラーとか、どこどことのコラボとか人気になる要素が詰まっている。あとこれもうまいと思ったんだけど、販路をスケートショップに絞っているので本物感というか説得力を持つよね。

さらに言うと日本で一番最初に出たダンクSBって2002年の Supreme ( シュプリーム ) コラボなんですよね。いきなり頂点を出してくるというか (笑)、後にも先もあれよりカッコいいダンクSBはないという

引用:Stock X

高柳

でもどうしてダンクがスケシューになったんですかね?他にもいろんなモデルがあったはずなのに

遠山

失敗続きだったけど、SBが始まる前にもナイキはスケートシューズを出してるよね。あと、GTSなんかは90年代のスケーターがよく履いてたイメージあるかな

引用:ENDROLL

高柳

たしかに挑戦してますね。50/50( フィフティ・フィフティ )とか名作だったと思いますけど

引用:メルカリ

遠山

それ以前だと、Air Choadとかも名作だね。96年くらいかな。でも全然流行んなかったじゃん

野田

その苦い経験をもとに……大ネタ使いで売り出したってことですかね (笑)。まぁダンクはもともとスケーターが履いてたっていうバックグラウンドもあったんだろうし

高柳

ジョーダン1もですよね

野田

あのソールの薄さがスケートに向いてたわけでしょ?

高柳

そうみたいですね。僕の世代よりは前ですけど、BONES BRIGADE ( ボーンズブリゲード ) チームが左右違う色を履いてランプやったりとか

瀬戸

ヒロシさんもダンクやジョーダン1を履いてスケートしてたっていうエピソードは色々なところで見かけますよね。いずれにしてもスケーターの感度っていうのは昔から異常なくらい高かったんですね

山本

ジョーダンは当時アンタッチャブルな感じだったよね。今でこそジョーダンブランドとして独立してるから色々イジれるんでしょうけど、当時は権利関係でも制約があったんじゃないかな

野田

確かに。6のブーツのようなモデルもあったけど、今のようにいろんなモデルやカラーがジョーダンの名を持って発売されることはなかったもんね。オリジナルの復刻が中心だった。

あとはさ、ダンクってもともとカレッジカラーだから、チームや地域の名を配して色を変えるっていう文化が元々あるモデルなので、お店とか人とかによって変更するっていうカルチャーが乗っけやすいのもあるよね

瀬戸

今年のスニーカーシーンでは、あらためてダンクに注目ってことですね

野田

そうだね。《あんとき》とはパートナーを今のブランドや人に変えてになるんだろけど、Supremeのダンクがローカットになり色を変えて復刻されたように《あんとき》に発売されたモデルをまた復刻してほしいよね、どうせ買えないんだろうけどさ (笑)

瀬戸

ホントに。ちゃんとスニーカーを好きで、背景を分かっている人に売ってほしいですよね、SNKRS

野田

間違いない

 

テキスト
ネツくん & Kosuke ありがと!