販売日や販売足数はもちろん、販売価格も非公開。不定期で入荷したタイミングで運よく店員に尋ねると、そこではじめて価格を知ることができる。ミタスニーカーズがアディダス オリジナルズと製作したコラボモデル「 FORUM 84 LOW MITA “ASK” 」の売り方が型破りだと、スニーカーシーンで話題を集めている。
同店でクリエイティブディレクターを務める国井さんは、「 コロナ禍でオンライン販売が加速し、ブランドのD2C事業も強化されるなかで、あらためて小売のあり方自体を問う、新しい試みに挑戦したかった 」と語りますが、過去を振り返れば数多くの画期的な販売手法を生み出し、その手法がスニーカー界のスタンダードとなっていきました
そこで今回のMIMICでは、国井さんへのインタビューを通して、ミタスニーカーズが切り拓いてきた販売手法を振り返り、その革新性を再検証していきたいと思います。
国井栄之( くにい・しげゆき )
世界中のスニーカーフリークから注目を集める、ミタスニーカーズのクリエイティブディレクター。さまざまなブランドとのコラボモデルや別注モデルを手掛けるほか、インラインモデルのディレクションや国内外のスニーカープロジェクトにも携わる
今回、取り上げるスニーカー
サムネイルをタップすると連続再生で観れます / 動画接客ツール ザッピング で投稿
先日リリースされた「 FORUM 84 LOW MITA “ASK” 」の販売手法は画期的な試みだと思いました。ここ10年くらいで急速に進展したショッピングのデジタル化は、確かにいろいろなものを便利にしてくれましたが、その反面、買い物という行為からワクワク感を奪ってしまったと思っていて。
だからこそ、ボクらはわざわざ地方に遠征をして《あんとき》の洋服を掘り起こし、不効率を乗り越えた先にある「 発見 」という買い物の楽しみ方を提案しているんですが、今回の“ASK”という売り方はその際たる例だと思いまして
FORUM 84 LOW MITA “ASK”/アディダスオリジナルスのハイパーローカルなプログラムとして誕生し、世界でミタスニーカーズだけで展開される。価格は「 ASK(お尋ねください) 」とするユニークな販売手法を実践し、在庫のあるタイミングで店員に尋ねると、価格を知ることができる。入荷量や販売量も非公開
なるほど。でも思い返せば、ミタスニーカーズさんって、これまでにも日本初や世界初となるような画期的な試みに数多く挑戦されていますよね。コラボモデル、転売を防止する抽選やドレスコードなど、今ではスニーカー界の常識となった販売手法も元を正せば、ミタスニーカーズさんから始まっています。
そこで今回は、こうした革新的な取り組みを時系列に沿う形で、振り返っていければと
コラボモデルの先駆けとなった都市限定モデル「 City Attack 」
まず取り上げたいのが、上野でしか購入できないカテゴリーとして誕生した「 City Attack(シティアタック) 」という試みです。“ 裏ダンク ”や“ 桜フォース ”など、未だ色褪せない名作がリリースされましたが、こうした特定の街でしか買えない流通限定という取り組みが遂に日本でも実現したという
そうですね。世界を見渡せば、フォースワンのNYC限定やジョーダンの都市限定カラーといった前例はありましたが、日本の都市では初めての試みとなりました
この手法を日本でも実現させようと思ったきっかけを教えてください
当時の時代背景としては1997年にハイテクスニーカーブームが終焉を迎え、日本のスニーカー業界は冬の時代を迎えていました。
みんな、何か新しいことをやらなければいけないと、いろいろなやり方を模索するなかで、僕たちは昔から東京の履物文化の中心地として栄えていた上野という街が持つストーリー性を活用し、スニーカーによる“街おこし”のような取り組みができないかと考えました
上野・浅草といった地域には履物文化が根付いてますよね
はい。浅草を中心とする隅田川沿いは、東京の履物の一大生産地で、その近隣にあるアメ横はそうした履物を一手に販売する商業地でした。うちも元々は下駄や草履の製造販売から事業を始めていますし、ABCマートやムラサキスポーツの発祥の地としても知られています。
また、スニーカー業界やファッション業界で活躍されている方の中には、元々上野で働いていたという人も意外と多いんですよ
MAD FOOT! ( マッドフット!) の今井さんやHECTIC ( ヘクティク ) を手掛けた真柄さんも上野で活躍していた時代がありますよね。そうした上野の歴史に焦点を当て、スニーカーシーンを盛り上げる取り組みを考えたわけですね
そうですね。当時のナイキの担当者には、僕たちからの意見や要望を反映させたモデルを製作できないかと打診していたのですが、そうした取り組みをするには、「 なぜナイキがやるのか? 」という意義や意味を明確にする必要があると言われていました。
そこで、「 上野という街は昔から日本の履物の文化の中心地だったからこそ、世界的企業であるナイキが日本初となる試みに挑戦する理由があるんです 」というストーリーを考え「 City Attack 」というコンセプトにまとめていったんです
なるほど。安易な形ではなく、ちゃんと背景から作っていく。まだまだ手探りだった《あんとき》 らしいエピソードですね
当時はどうやったらいいのか、手順もやり方もわからなかったので、かなり手探りで進めた感じですけどね
その話を聞くと、この延長線上に“桜フォース”が生まれたのは必然だったことがよく分かります。
Air Force 1 UENO CITY ATTACK “SAKURA”/2005年に300足限定で展開された通称“桜フォース”。アッパーやタンに上野の桜をモチーフとした模様がレザー加工で施されている
ちなみに、この「 City Attack 」の中でも、2001年にリリースされた「 AIR FOOTSCAPE “UENO CITY ATTACK” 」では、流通限定の一歩先をゆく取り組みが行われましたよね?
はい。当時はコラボモデルや別注モデルというものが世の中に存在していない時代です。たとえば、フットロッカー別注と呼ばれるような日本未発売モデルは存在していたのですが、あくまでも販路限定であって、フットロッカーが特別にデザインをしたモデルではありません。
そうしたなかで僕たちは、ショップからのフィードバックを反映させた、今で言うコラボモデルのようなスニーカーが作れないかとナイキに提案していました。それが初めて形になったのが、フットスケープのCity Attackだったんです
AIR FOOTSCAPE “UENO CITY ATTACK”/2001年にミタスニーカーズを中心に3店舗限定で発売されたモデル。国井さんが現在のキャリアを築くきっかけにもなった ( 画像引用:WWD )
国井さんの意見が反映されたオリジナルモデルということですね
それまでにも、日本からのフィードバックをもとに( 日本の )支社別注のような形で製作されたインラインモデルや、日本の代理店の意向が反映された別注に近いモデルは存在していました。
でもこのフットスケープが“コラボの先駆け”と言われる所以は、お店からのフィードバックを反映させ、日本だけでなく、グローバルの管轄下で製作されたモデルだからです。ミタのロゴが入っているわけではないので、正式にはコラボモデルとは言えないのですが、後のSMU( Special Make Up / 別注やリミテッドエディションのことを指す )につながる取り組みとなりました
そうした初の試みにフットスケープを選んだのは、どういった理由からでしょうか?
ミタスニーカーズさん以外では、どこで販売したのですか?
こういった取り組みが後のCO.JP ( コンセプトジャパン / ナイキの日本限定プロジェクト)につながっていくわけですよね?
そうですね。CO.JPは実質的に“裏ダンク”からスタートしたと認識されていますが、当時はCO.JPという呼び方は存在していなかったし、この辺の事実関係は結構曖昧なんです。
それというのも当時は前例のない取り組みにゲリラ的に挑戦していたので、そこまでコンセプトを作り込むようなことはできていなかったんです。でも、後々になって当時を振り返る際に整理が必要だよねということで、無理くりまとめた感があるのは否めず
この頃 ( 2000年前後 ) になるとメーカーが一気にストリートの意見を取り入るようになります
具体的には上野だと国井さん、原宿だと ( 藤原 ) ヒロシさんやヘック ( HECTIC ) の真柄さんやYOPPIさんなどですかね?
日本初のコラボモデルとして誕生した MT580 “HECTIC x mita sneakers “
そして2000年には、ショップ主導のコラボレーションという日本初の試みとなる「 MT580 ” HECTIC x mita sneakers ” 」がリリースされます。しかも、トリプルコラボという取り組みも日本初ですよね
MT580 /アメリカで発売されていた M585 “made in U.S.A.” の日本改良品番である580をヘックの真柄さんによるカラーリングで味付けした伝説のコラボモデルの第一弾
その当時、シュプリーム ( Supreme ) のUSチームが来日する機会があったんですが、彼らが真柄さんに「 日本でスニーカーを買うなら、どこがいい? 」と尋ねた際に「 上野のミタスニーカーズに行くといいよ 」っておすすめしてくれたんです。で、彼らは一体どんなスニーカーを買うのだろうと関心を寄せていたところ、みんなこぞってニューバランスのMT580のアースカラーを購入していきました。
その後、ヘックがリニューアルする際にもYOPPIさんから「 店用に MT580を用意できない? 」と問い合わせをいただいた経緯もあったので、ニューバランスで前例のない取り組みをするならMT580をベースに、ヘックのお二人にお願いするのがベストだと思ったんです
ミタスニーカーズが初めて取り入れたスニーカーの抽選販売
そうですね。それまではお客さんの少ない時間帯や閉店間際に新商品を店頭に出すことで、混乱が起きないようにコントロールできていたんですが、ブームが加熱すると、運送会社の営業所からうちに届けられる段ボールを追いかけて行列ができるようになり、収拾がつかなくなってしまったんです。
その中でもMT580は話題性が高かったこともあり、こうした手法を取り入れざるを得ない状況でもありました
MT580 “HECTIC x mita sneakers” 第二弾/好評を得て発売されることになったYOPPIさん色付けによる第二弾モデル。このスニーカーの発売時に日本で初めて抽選販売が取り入れられることになる
はい、抽選は本当にランダムで行なっていました。でも、抽選の応募を受け付ける際に、ちゃんと人が機能するような工夫も施していました。
転売をするような人たちは顔も割れていたので、明らかにそうした目的で来店している人たちの受け付けは無効にしていましたし、抽選券をかき集めてノミ行為する人たちも取り締まっていました
購入するには指定のスニーカー着用で!ドレスコード誕生秘話
抽選販売という手法に続く形で、同じように転売を防止する「 ドレスコード 」という販売手法も確立しています。これもミタスニーカーズさんが考案された日本初の取り組みですよね。
これは後世に語り継がれるべき発明だと思うんですが、どういう経緯から発案されることになったんですか?
先ほどお話しした抽選販売の懸念点として、「 抽選というやり方自体が不透明だ 」というお客さんからのご意見や、転売できるモデルだけ買いたいお客さんとお店に足繁く通ってくれる常連さんの対応が同じでいいのかという問題が上がり、限定モデルに関しては、その後、並んで購入してもらうスタイルに戻したんです。
そのなかで気づいたのが、SNS上で世代を超えた交流を図っているスニーカー好きの人たちにとって、並んでいる最中にとるお客さん同士のコミュニケーションは一種の“オフ会”のような役割を果たしているということでした。その事実を知ったときに、並ぶこと自体を楽しみにしてくれているお客さんの中に、お金目的で並んでいる人が紛れ込んでいることがどうしても許せなくなってしまって。どうにかスニーカー好きの人たちに販売できる方法がないかと考えたときに思いついたのが、ドレスコードというやり方だったんです
エイプ( A BATHING APE )とリーボック ( Reebok ) とうちのトリプルコラボとなったポンプフューリーです。事前の問い合わせ段階で明らかに混乱を招きそうなレベルだったので。
このときは、「 リーボックのスニーカーか、ミタスニーカーズのコラボレーションモデルを着用してください 」というスニーカー好きなら楽勝だよというドレスコードを設けたんですが、それでも転売ヤーに集められた人たちにとっては高いハードルとなりました
A BATHING APE × MITA SNEAKERS × REEBOK INSTA PUMP FURY OG/インスタ ポンプ フューリーの生誕20周年目を記念して、2014年に発売されたトリプルネームモデル。激しい争奪戦が予想されたこともあり、ミタスニーカーズでの販売では初のドレスコードが導入された
デジタルドレスコードを導入したきっかけは、毎週末の早朝だけで密かに行われている店頭ローンチに疑問を感じてしまったからです。それと、ネット抽選のような販売方法を試してみて気づかされたのが、お一人様一個までという購入制限をかけても、住所を少しずつ変えて購入し、運送会社の人に 「書き間違えちゃったんで、ここに届け直してください 」とズルをする人が現れたり、ボットを悪用する人が現れたりすることでした。
でも購入時に、自分のInstagramのアカウントへドレスコードの条件を満たした写真をアップしなければいけないというひと手間を加えれば、こうした不正も防ぐことができると考えたんです。Instagramのアカウントはみんな大事に育てている感も強いですし、スニーカー好きかそうじゃないかは、アカウントを見れば一発でわかりますからね。デジタルドレスコードと言いながら、実は不正購入を防ぐためのアナログな振り分け工程だったりするんですよ
Patta × JORDAN BRAND/デジタルドレスコードが初めて設けられたのは、ジョーダン ブランドと、アムステルダムのストリートブランド パタのコラボレーションアイテムの販売時。このときは、自身のInstagramアカウントにエア ジョーダンを着用した画像を #mitasneakers #ms_ddc_20190615 #pattajordan の3つのハッシュタグ付きで投稿することがWEB抽選に申し込む応募条件となった
はい。加えて、デジタルドレスコードに関しては、個人的にInstagramのリポストが嫌いという理由も大きかったんですけどね(笑)。何かのシューズが発売されるたびに、タイムラインがリポストでいっぱいになるのがどうも性に合わなくて。
Instagramって本来は自分の主観を交えたポストする場だと思うのに、そこに商業的な写真を無理やり投稿させるようなまねをしたくなかったんです。その点、デジタルドレスコードなら自分のスニーカーを撮影してアップするだけですから、普段のライフスタイルの延長として取り組んでもらえると思い
販売価格も入荷時期も未定!あえての不効率がワクワクやドキドキを生む
シンプルに言って、今のスニーカーシーンは物事のタイムラインが予定調和すぎていると思うんです。これまではインラインモデルやリミテッドモデル、そしてハイプと呼ばれるようなプレミアムモデルがランダムにリリースされていて、次に何を購入するかワクワクしていたと思うのですが、デジタルが加速した現在の販売では「これはハイプな商品ですよ」っていうガイダンスの中で、欲しいものを探すのではなく、必要のないものを決めている感じになっていると思うんですよね。
さらに話題のスニーカーでも1週間もすれば、忘れ去られてしまう時代です。そこで今回のフォーラムに関しては、そうした時間軸とは違うところで勝負できる販売方法に挑戦したかったんです
ええ。本来であれば、こうした売り方は不可能に近いんですよね。現実問題、仕入れた商品の支払い期限は翌月に来ますし、そもそも商品に人気がなければ、在庫リスクになってしまう。さまざまなリスクが想定できたんですが、今回のフォーラムに関してはフレンズ&ファミリーモデルとして身内で配る用に企画させてもらったので、極論、売らなくてもいいような商品でした。
それを「 スニーカー好きは僕らにとっては身内のひとり 」ということで、お願いをして特別に販売の許可を得たので、「 よかったらお裾分け程度に、、 」くらいの感覚で前例のない売り方に挑戦できたんです
実はこのフォーラムのサンプリングソースとなったトップテンのオーストリッチ・モデルが、まさにヴィンテージ古着が全盛の時代にASKとして売られていたもので、そこから着想を得たところもあるんです。
今の若い子たちに当時の昔話をしても「 百聞は一見にしかず 」なところがあるので、実際に当時の売り方を実践してみることで、ASKというユニークな文化があったことを知ってもらいたいという気持ちもありました。
それとASKという文化は元々車屋から始まっていて、僕自身がレーサーを志していたこともあったので、そうしたルーツと重ねて見るようなところもありましたね
右が今回のコラボモデル、左がサンプリングソースとなったトップテンのオーストリッチ・モデル
このASKという販売手法は古いようでいて、今にこそ必要な売り方だと思っていて。何もかもがデジタル化されて、売っているものが事前に分かってしまうことで、お店に訪れたときの発見がなくなり「 最近、買い物がつまらないなぁ 」と感じることが多くて。
でも何回も巡礼し、やっと発見して手にする。これって《あんとき》には当たり前だった買い物体験なんですが、そういう苦労を乗り越えた先にある圧倒的な成功体験をしてしまうと一生引きづる体験になりますよね。そのおかげで40超えた今でも本業の傍ら、一銭にもならない、いやむしろマイナスとなるMIMICのようなことをしているのですが (笑)
僕の考えるEコマースの最終形って、欲しいものを選ぶんじゃなくて、要らないものを選ぶような未来だと想像していたんです。AIのリコメンドによって何かもが直接家に届けられるなか、要らないものだけを返却するようなイメージです。でも、コロナ禍でショッピングのデジタル化が加速すると、お客さんの消費行動が本当にそうした購買サイクルに近づいてきてしまった気がして。
たとえば、本当に自分が欲しいスニーカーではなくとも、とりあえず抽選には応募して、あとで必要かどうかを考えようみたいな。おそらく、今のお客さんたちは、自分が欲しいスニーカーを探すことよりも自分に必要じゃないスニーカーを選ぶことに長い時間を費やしていると思うんです。それでは買い物の楽しさを味わうことはできないし、どうにかそのマインドを変えるきっかけが提供できないかとも考えていました
買い物って本来は、モノ・ヒト・コトのつながりを楽しむものだったのに、ことスニーカーにおいては「 お金 」の文脈ばかりで語られることが増えてしまいましたよね。
友人との会話のなかで、「 これ高かったけど、頑張って買っちゃったんだよね 」なんて話をするときも、別に高いお金を払ったということをアピールしたいんじゃなくて、本来は高いお金を払ってでも買いたい素敵なスニーカーに出会えたってことを伝えたかったわけじゃないですか。それが「 いくらで買ったスニーカーがいくらに値上がった 」という話ばかりを嬉しそうに話すのは、ちょっと違うんじゃないかと思ってしまいますね
ええ。なので、ASKをきっかけに、気軽にお店に立ち寄る関係性が築かれ、「 何かおすすめのスニーカーはありますか? 」とか、「 良いスニーカーが入荷したんですよ 」といったコミュニケーションが生まれるようになるといいなぁと思っているんです。
ただモノを売るだけなら自販機でもできるわけですから、店員がいるショップにしかできないことをやっていきたいんですよね。デジタル化が進む社会では、ある種のヒューマンエラーが楽しみを提供するきっかけのひとつになるのかもしれません
さまざまな革新的手法を生み出すミタスニーカーズ。その原動力の正体とは?
僕の中では、初めてコラボレーションという企画に携わらせてもらったときから現在に至るまで、ずっと感謝の気持ちを持ち続けていることに変わりはありません。今でも街中で自分が企画に携わったスニーカーを見かけると、自然と「 ありがとうございます 」という気持ちが湧いてくるくらいですから。
僕は店頭に立つことがないので、なかなかお客さんと直接コミュニケーションを取る機会が減ってしまったのですが、SNSでミタ関連のポストをして下さっている方々には、できるだけ「いいね!」で感謝を伝えているつもりです
たとえば作り手って、8〜9割くらいの力を製作に注ぎ込み、販売については普通に売りますというようなスタイルも多いと思うんですが、国井さんは、そのバランスにめちゃくちゃ長けていて、プロダクトの製作はもちろん、マーケティング思考も持ち合わせていますよね。
ご本人的にはスニーカーを製作する際、売り方ベースで考えているんですか? それとも商品ベースで考えているんですか?
やっぱり若い頃から、自分の作ったスニーカーが発売の翌日に2倍にも3倍にもなって売られているような経験をしているので、お金に翻弄されてしまうと何も作れなくなってしまうんですよね。
極論を言ったら、自分がその値段で売ればいいじゃんってことになってしまいますから。でも、そんなことはしたくないし、これからもするつもりはありません。このマインドを変えることなく、これからも時代に合ったスニーカーのあり方を提案していきたいと思いますね
今回、取り上げたスニーカー
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