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FUTURA|グラフィティ黎明期から今なお先駆者であり続けるフューチュラ

《 あんときのストリート 》を発掘|MIMIC ( ミミック )

壁や地下鉄からギャラリー、レコードを経て洋服へ

野田

2000年以来、19年ぶりの日本での FUTURA ( フューチュラ ) 展覧会。しかも Generation Z ( ジェネレーションZ ) という、command Z ( コマンドZ ) を思わせるネーミングがまたニクいですね

瀬戸

フューチュラは OFF-WHITE ( オフホワイト) とコラボしたりLouis Vuitton ( ルイ・ヴィトン ) のショーでグラフィティしたり。Virgil Abloh ( ヴァージル・アブロー ) によって、ここ最近また注目度がアップした感じもありますよね

遠山

そもそもコマンドZってどんなんだったっけ?

野田

2000年に開催されたフューチュラと STASH ( スタッシュ ) の展覧会ですね。たしか場所がエイプギャラリーだったと思います。これはその時にA BATHING APE ( ア・ベイシング・エイプ ) から発売されたTシャツなんですけどスゴくって

遠山

なにが?

野田

みんなダブルネーム好きじゃないですか。でもこれはそれどこじゃない。WTAPS ( ダブルタップス ) 、NEIGHBORHOOD ( ネイバーフッド )、40%、RECON ( リーコン )、HETCTIC ( ヘクティック )、SUBWARE ( サブウエア ) 、BOUTY HUNTER ( バウンティハンター ) 、ONEGRAM ( ワングラム ) 、Supreme ( シュプリーム ) らが名を連れていて、トイズファクトリーとかエイプサウンズのロゴ入りで

高柳

豪華ですよね。他にダブルタップスのバージョンとかもありましたよね?

野田

うん、デザートストームのね

瀬戸

フューチュラが大御所なのは当然知ってるんですけど、《あんとき》に登場する前のことはちょっとあやふやな部分があるんですよね

野田

そうだね。まずは振り返っていこうか。1955年に生まれたフューチュラは、1970年15才のときにグラフィティを始めて翌年には地下鉄に描き始めます。しかし74年に友人とグラフティを描いている最中に火事を起こして友人が大火傷をおってしまい、それ以降グラフティから遠ざかるために海軍に入隊することになるんですね。

78年には戻ってきてグラフィティ活動を再開することになるんですが、80年にキース・ヘリングと出会いブロンクスでグラフィティ展を開催。翌年には映画「ワイルドスタイル」の主役のオファーがくるんだけど、ザ・クラッシュのツアーへ同行するため、この話は断念 ( ツアー終了後に再撮影したシーンで少しだけ登場はしている) 。84年に「FACE」誌で掲載されたソ連の赤の広場でのブレイクダンスでまた名前を広め、ワイルドスタイルのプロモーションで来日も果たすと

遠山

フューチュラ独自のアブストラクトな作風はいつ頃からなの?

野田

80年のブレイクって作品が、電車の一車両まるごとアブストラクトな表現で、その辺からだと思いますね。ブレイクは初期の代表作なので、スケートデッキになったり模型も出てましたから

画像引用:ebay

高柳

Jean-Michel Basquiat ( バスキア ) とか Andy Warhol ( アンディ・ウォーホル ) とかともリンクしてるんですよね

野田

80年に Keith Haring ( キース・ヘリング ) と展覧会をやって、そこから徐々にストリートからギャラリーへの進出が始まる流れの中にバスキアや Rammellzee ( ラメルジー ) もいたと。でもこのブームは85年のウォーホルとバスキアの展覧会を境に終息に向かうんだよね。

そして89年には警察官になろうかと思ったこともあるらしいね。結果的には断念するんだけど。でもこの年にアニエスと出会い、いろんなサポートを受けたみたいで

遠山

アニエスって昔から本当にアーティストとの繋がりが多いし、グラフィティに造詣のあるブランドだよね。アーティストとのコラボアイテムも出してたし、お店にフューチュラの初期作品を飾ってたりするもんね。X COLORもサポートしてたし

野田

そうなんですよね。そして91年にはいよいよ洋服に進出。まずはガープ・スタッシュらとGFSを設立すると。その傍らでメッセンジャーもしてたみたいで、翌年にはベルリンで開催されるメッセンジャーのイベントに参加することになるんですけど、そこで MOWAX ( モ・ワックス ) の James Lavelle ( ジェームス・ラヴェル ) と出会い94年ジャパンツアーに同行。

そこでヒロシさんやNIGOさんと出会うことになり《あんとき》の裏原宿シーンに登場となるわけです

瀬戸

ライター名はフューチュラ2000ですよね。由来はなんですか?

野田

70年代のライターって名前の後に番地をつけることが多かったみたいなんだよね、JULIO204とか、有名なとこではTAKI183とか。フューチュラはそこで「2001年宇宙の旅」を観て、そこから名前に2000をつけるようにしたんだって

瀬戸

なんでフューチュラ2001じゃなく2000なんですか?

野田

「あの映画の?」ってみんなに聞かれるから、そのまんまはやめたんだって (笑)

ザ・クラッシュやモ・ワックスとのコラボ

遠山

フューチュラっていうと洋服もあるんだけど、個人的には音楽のイメージが強いんだよね。モ・ワックスもそうなんだけど、俺はパンク上がりなもんで CLASH ( クラッシュ ) のイメージ。後で知ったんだけど「ディス・イズ・レディオ・クラッシュ」のアートワークをやってるんだよね

野田

クラッシュが「ディス・イズ・レディオ・クラッシュ」のプロモーションビデオの撮影でブロンクスを訪れることになるんですけど、その時に案内役をしたのがフューチュラだったんですよね。

その流れで意気投合したらしくプロモーションビデオにも出ちゃってますからね。冒頭のスプレー缶盗む人、あれがフューチュラ。実際ビデオもグラフィティやブレイクダンサーなんかも出てきて全体通してかなりヒップホップな匂いを感じますよね

遠山

そうそう。パンクミュージックっていうよりはラップっぽいというか。ビートトラックみたいな打ち込みのような感じで、なんか新しかったんだよね

野田

ボクら世代 (1977年生まれ) は、完全にジェームス・ラヴェルのモ・ワックスなんですよね

高柳

ジェームス・ラヴェルがなんで日本とつながるかというとメジャーフォースなんですよね。オネスト・ジョンズ・レコードというレコ屋でジェームス・ラヴェルがバイトしていたときに、MAJOR FORCE ( メジャーフォース ) の大ファンだった彼は日本人が来店すると「ウチのレコードとメジャーフォースのレコードを交換してくれ」ってお願いしていたらしく (笑)

野田

さすが生粋のヲタク!

高柳

ある日2人組の日本人が来店したので同じことを言うと「どのレコードがほしいの?」って。だから彼は「タイクーントッシュのアルバム」と答えると、「ボクがタイクーントッシュだよ」って。なんとその2人組は中西さんと工藤さんだったという (笑)

野田

ガッツがハンパじゃないよね。18才でレーベル立ち上げたり、フューチュラにもベルリンのメッセンジャーのイベントで出会うことになるんだけど、そこでもモ・ワックスの説明をした上で「その絵を売って欲しい!そしてレコードのジャケットに使わせてほしい」とお願いしたらしいし

瀬戸

そのあと結構な数の作品を一緒に作ってますよね?

野田

うん。そのあと8年くらいはフューチュラの稼働の内、1/3くらいはジェームス・ラヴェル関連だったみたい。でもこの出会いから新宿リキッドルームで行われたモ・ワックスの日本ツアーにフューチュラも同行することになり、NIGOさんらとつながりボクらがフューチュラを知ることになるわけだからね

高柳

モ・ワックスのトリップポップやアブストラクト・ヒップホップと、フューチュラの抽象的な作風は相性抜群ですよね

野田

抽象的な作風で知られる Massive Attack ( マッシブ・アタック ) の3Dも、モ・ワックス作品のアートワークやってたもんね

遠山

正直、俺はアブストラクトっていうジャンル自体がはっきりしないもんだから苦手なんだよね。だからフューチュラのグラフィティも、これってグラフィティなの?って感じでイマイチわかんなかった

野田

ですよね。ボクもフューチュラで好きなのはポイントマンとか、ロゴものに偏ってました。なんとなくカッコいいってのは理解できるんですけど、じゃあどれも好きかっていうと正直、???って作品もあって

遠山

ね。「これがグラフィティ界のレジェンドの作品かぁ…」ってのはあるんだけど。常に最先端のシーンで活動をしながらオリジナルを追い求めてきた人だから、全部理解されるわけじゃないのかもね。

グラフィティアートってさ、もっとポップでハードコアな分かりやすいイメージじゃない?色もバキバキでキャラやレターがバーンって感じでさ。でもフューチュラは全然違った

野田

はい。その感じがオリジナルの証明なんだろうなぁって理解でしたね

GFS、プロジェクトドラゴン、リーコン、そしてフューチュララボラトリーズ

瀬戸

そして90年代は、主に洋服が作品発表の場に移るわけですね

野田

そうだね。ガープ、スタッシュらと91年にGFSを設立。葉巻のフィリーズ・ブラントのロゴTで一躍ブレイクすることになる。《あんとき》によくプリントされていたヴィジュアル・メンテナンスのフレーズもこの時期からあったよね

高柳

そしてガープが抜けて95年にブルー、スタッシュ・フューチュラの三人でプロジェクト・ドラゴンがスタートすると

野田

ここにはネズムさんもいたわけだからドリームチームだよね

高柳

はい、そして2000年にはリーコンが原宿にもオープンすると。そしてフューチュラ・ラボラトリーズも始まり、2004年には福岡にお店ができると

野田

ダイス・アンド・ダイスがやってたんだよね。シュプリームも最初はダイス・アンド・ダイスだし、《あんとき》の話をたっぷり聞きたい。今度取材させてくれないかなー

高柳

ホント、興味ありますよね!

野田

あとさ、フューチュラといえばコラボも多いよね。2003年のダンクSBとかは思い出深いな

瀬戸

SB絶頂期ですよね

高柳

お札とか、アンクルとかダンクは何回かやってますよね。マハリシとかズーヨークとのコラボも懐かしいな

画像引用:ヤフオク

遠山

あとさ、フューチュラの事務所というかアトリエ?自体が迷彩で埋め尽くされてジャングルみたいだったのをなんかの雑誌で見て、いまだに印象に残ってるな。迷彩のアイテムもよく作ってたよね?

野田

ありましたね、キャラとかロゴが迷彩に散りばめられてたやつ」

瀬戸

ユニクロもやってましたよね

野田

NIGOさんがUTのクリエイティブ・ディレクターになったからね

高柳

こうして振り返ってみると《あんとき》から現在まで、常に必要とされてるんだからホントすごいですよね

遠山

今年の9月にはシークレットイベントもやってたよね

野田

3DアニメーションやLEDと音楽を連携させたり、これまでのグラフィティのイメージとは全然違う感じで

遠山

それこそワイルドスタイルみたいなオリジナルのグラフィティをリアルタイムに経験している人が、今だにどんどん新しいところにいっちゃってるんだもんね

野田

70年代は壁や地下鉄といったストリートに、80年代にはそれがキャンバスになってギャラリーに、90年代には服やレコードにのせて作品がストリートを闊歩するようになると。そして今はテクノロジーを使って作品を発表してる。時代に合わせてどんどん変化しているのが凄い

遠山

も、その根源はストリートカルチャーのハードコアなところから始まってる人じゃん。そのあと音楽、しかもパンクっていうこれまたハードなシーンに行って、ヒップホップ、アブストラクトに流れていくわけだよね。そういった経歴から90年代に入って洋服の方にいくんだけど、なんというか、フューチュラにそこまでファッションのイメージがないんだよね。

確かにコラボしたりアイテム自体は一杯あるんだけど、ファッションスタイルとして考えるとそこまでイメージが湧かないんだよな

野田

ファッションもあくまでグラフィックの落とし込みどころっていうイメージですよね

遠山

そういう感じ。下手にファッションとしてどうこうっていうお洒落感がないから、その分本物感がすごいあって信用できる

野田

アートを洋服に落とし込んでカッコよくファッションスタイルに仕上げる役割は《あんとき》の裏原宿の十八番だったと思うんですよね

遠山

確かにそうだね。ザ・スタイリッシュ!って感じで、見事に都会的に仕上がるもんね

※ 記憶が頼りでして事実と違うことがあったら、すいません!