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【 ’89〜’90年 ダイジェスト 】《あんとき》の雑誌連載から裏原宿の歴史を探る :藤原ヒロシさんの連載 HFA 大全

《 あんときのストリート 》を発掘|MIMIC ( ミミック )

《あんとき》の雑誌連載から裏原宿の歴史を探る、MIMIC 待望の YouTube シリーズ。第一弾は、藤原ヒロシさんが雑誌『 CUTIE 』で ’89年 から ’95年 まで連載していた「 HFA( Hiroshi Fujiwara Adjustment )」にフォーカスしています。

断片的にはネットで読むことができても、通しで全記事を取り上げる今回のような取り組みは、まだどこも行っていないのでは?まだまだ雑誌の特集として “裏原” の情報が発信されることの少なかった ’90年代前半に、数少ない情報源のひとつとしてコアな人気を博した「 HFA 」の全貌に迫ります。今回は ’89年 から ’90年 の連載を収録した YouTube の内容をダイジェストでお届け!

【 HFA ‘89年10月号 】アイデアソースはマット・ヘンズリー? 絶妙な丈感のアーミーパンツは、今見ても圧倒的にオシャレ!

画像参照:CUTIE

記念すべき連載 1 回目で藤原ヒロシさんが紹介したのは、ショートパンツ以上ロングパンツ未満という絶妙な丈感がお洒落なアーミーパンツ。問い合わせなどのクレジットはなく、同じ物が欲しい場合はイギリス軍のものらしいというヒントを頼りに古着屋などを探すしかないという、いかにも《 あんとき 》らしい不親切さが逆に購買欲を刺激するアイテムでした(笑)。

そうしたなかで、我々 MIMIC 編集部が着目したのが、カットオフの軍パンを当時のスケートシーンに流行らせたマット・ヘンズリーというスケーターの装い。ヘンズリーは藤原ヒロシファミリーの秘蔵っ子として人気を博したムラジュンさんや、WTAPS ( ダブルタップス ) や DESCENDANT ( ディセンダント ) を手がける TET ( 西山徹 ) さんの幼馴染のスケートフォトグラファー、平野太呂さんも影響を受けたスケーターに挙げるレジェンドで、スケートだけでなくファッションや音楽の分野でもオリジナルなクリエイティビティを発揮した人物なんです。

その後の「 HFA 」でもヘンズリーに関する言及があったため、「 このアイデアソースはヘンズリーだったのでは? 」という推測を繰り広げています( ちなみに先述の平野太呂さんは当時のヘンズリーの写真をくまなく見て研究した結果、ヘンズリーが穿いていたのはドイツ軍の軍パンだったということを探り当てたようです )。

それ以外では、’89年の時点で早くもSTUSSY ( ステューシー ) や ANARCHIC ADJUSTMENT ( アナーキック・アジャストメント ) に注目し、デルタフォースのようなバッシュを着用している藤原ヒロシさんの感度の高さにも脱帽しています。

【 HFA ‘89年11 – 12月号 】’89年の時点で agnès b や NIKE の DUNK に着目する藤原ヒロシさんのアンテナの高さは規格外!?

画像参照:CUTIE

連載2回目以降、カラーページへと昇格した「 HFA 」。まず MIMIC 編集部が驚いたのは ’92年 にフレンチファッションの装いとともに大流行した agnès b. ( アニエスベー )  を約 3 年も前となる連載 2 回目の時点で紹介しているところ。

しかも、ボーダーのカットソーやカーディガンプレッションといった定番アイテムと合わせるのではなく、カレッジロゴのスウェットパーカーとともにコーディネートしており、現在のストリートファッションの原点のような着こなしを ’89年 にすでに提示しているところにも驚かされました。

画像参照:CUTIE

また、藤原ヒロシさんがスケートをする際に履いていたといわれる自身の代名詞的キックス、NIKE ( ナイキ ) の DUNK ( ダンク ) も連載 3 回目には登場していました。ミシガンのほか、ネバダやケンタッキーなどのカラーも紹介され、JORDAN I ( ジョーダンワン ) のシャドーや CORT FORCE ( コートフォース ) の黒×白もあわせて紹介。

これらのハイカットバッシュに着目したのは、「 この時代にスケートシーンで一世を風靡していた BONES BRIGADE ( ボーンズ・ブリゲード ) というスケートチーム( トミー・ゲレロやランス・マウンテン、スティーブ・キャバレロやトニー・ホークなどが所属 )が JORDAN I を履いてスケートをしていたことも影響しているのでは? 」という考察も加えています。

【 HFA ’90年上半期 】当時からその影響力はすごかった!? 初期裏原のシンボル、小泉今日子さんと藤井フミヤさんが出演!

 

画像参照:CUTIE

“裏原”ファッションが一般層へと普及するきっかけのひとつのなったのが、若者に影響力のある有名人たちの着用。なかでも小泉今日子さんと藤井フミヤさんという二人のポップアイコンは、初期の裏原シーンにおいて圧倒的な存在感を放っていました。

連載 3 回目と 4 回目にこれだけの大物ゲストを招くことができた事実からも、藤原ヒロシさんの影響力が当時から大きかったことをうかがい知ることができます。

画像参照:CUTIE

またアイテムとしては、ロングスリーブのポロシャツやラガーシャツといった当時ではまだまだ馴染みの少なかったウエアに着目。STUSSY や Banana Republic ( バナナ・リパブリック ) といった旬なブランドからオーバーサイズのアイテムを選ぶことで、おじさん感やコテコテのスポーツ感を払拭する、ストリートらしい着こなしを提示しています。

【 HFA ’90年5月号 】裏原発の名品、PORTER のタンカーシリーズが登場!発売当初から愛用する藤原ヒロシさんのセレクト眼はヤバし

画像参照:CUTIE

’95 年に GOODENOUGH ( グッドイナフ ) ともコラボレートを果たし、裏原を代表するアイテムのひとつとなった PORTER ( ポーター ) のタンカーシリーズ。発売は ’83 年と意外と歴史の古いアイテムですが、藤原ヒロシさんは発売当初から愛用しているようで、普段使いはもちろん、海外旅行をする際にも持っていくお気に入りとのこと。

一般的なブレイクを果たすのが、ドラマ「 ラブジェネレーション 」のなかでキムタクが着用した ’97年 であることを踏まえると、そのセレクト眼の確かさには目を見張るものがあります。

その後、藤原ヒロシさんは PORTER とともに HEAD PORTER ( ヘッドポーター ) というブランドを立ち上げ、PORTER との関係性を深めていきますが、そのはじまりは意外にもこの連載にあったのかもしれませんね。

【 HFA ‘90年6月号 】夏のTシャツコレクション!ANARCHIC ADJUSTMENT や SHUT といった通なブランドを青田買い!

画像参照:CUTIE

STUSSY や insane ( インセイン ) と同じく、藤原ヒロシさんが紹介したことで人気に火がついたブランドのひとつ、ANARCHIC ADJUSTMENT。ロンドンのスケートシーンで高い支持を得ていたスケート専門誌『 RAD( READ AND DESTROY )』でエディトリアル・デザイナーを務めていたニック・フィリップが立ち上げ、日本ではその後、テクノキッズ御用達のブランドとして広まっていくことになりますが、クラブファッションの先端を走っていた藤原ヒロシさんはかなり早い段階から注目していました。

 

画像参照:CUTIE

早さという点でいえば、’90年の時点でNYスケートを代表するブランドとして知られる ZooYork ( ズーヨーク ) の前身ブランド、SHUT ( シャット ) を紹介している感度の高さにも驚かされました。映画『 KIDS 』にも出演したハロルド・ハンターも幼少期にこの SHUT のデッキに乗って滑っている写真が残されていますが、やはり当時のスケートシーンの主流が西海岸だったなかで、東海岸のブランドを紹介する着眼点の良さはズバ抜けているのではないでしょうか。

画像参照:CUTIE

それ以外では、STUSSY のフォトTなども紹介。数ある STUSSY のTシャツの中からブランドの代名詞ともいえるフォトプリントを選ぶセレクト眼にも脱帽です!

【 HFA ‘90年7月号 】モッズ系の人たちだけのブランドではない!? UKサブカルチャーの名門 FRED PERRY をストリートにアレンジ

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ポール・ウェラーをはじめとする、モッズ系の人たちの定番ブランドであった FRED PERRY ( フレッドペリー ) も藤原ヒロシさんの手にかかれば、クラブキッズ仕様へと様変わり。ロンドンのハロッズで購入したというボンバージャケットをオーバーサイズで着こなし、ショートパンツとキャップと合わせることで、ストリートファッションのお手本のようなスタイリングへとバージョンアップさせています。

NOWHERE ( ノーウェア ) がオープンした際にセレクトしていた数少ないインポートブランドのひとつが FRED PERRY だったという思い出話とともに、その魅力について語り合いました。

また問い合わせ先が、当時代官山にあった READY STEADY GO ( レディステディゴー ) というショップであったことにも話は発展。あまりのお洒落さに緊張して入店できなかったという編集部員のエピソードやショップオリジナルのアパレルウエアが大流行したというこぼれ話についても話しています。

【HFA ‘90年8月号】雑誌『 FINE 』とのコラボレート企画!ニュージャック・スウィングとお洒落ファッションスナップを大特集!

画像参照:CUTIE

この回は『 CUTIE 』と同じく、当時のクラブシーンやストリートシーンをレポートしていた雑誌『 FINE 』とコラボレート。「 HFA 」のタイトルデザインを『 FINE 』のロゴに寄せて、当時流行していたニュージャック・スウィングや『 FINE 』で人気を博していたお洒落ファッションスナップを取り上げることで、絶妙なパロディ感を演出しています。

ちなみにファッションスナップには、藤原ヒロシさんと一緒に LAST ORGY を連載していたレジェンド、高木完さんや STUSSY ファミリーとして知られる富家哲さんや木村コウさんなどの超大物たちも出演。スナップを見ながら「この人は誰だろう?」とチェックするだけでも面白い内容となっています。

また注目のファッションアイテムとして登場したのは、ファットシューレースをつけたPUMA ( プーマ ) のクライドたち。MIMIC 編集部員の記憶では、この手のローテクスニーカーを流行らせたのは、ビースティ・ボーイズをはじめとする X-LARGE 周辺の人たちだったはずなので、あまりの感性の早さに「これはオーパーツなんじゃないか?」と勘繰ってしまう始末(笑)。

【 HFA ‘90年9月号 】BOUNTY HUNTER ともコラボした、アメリカンカルチャーのシンボル、ミッキーマウスをピックアップ!

画像参照:CUTIE

裏原文脈では、のちに BOUNTY HUNTER ( バウンティ・ハンター ) とのコラボレートなどにより注目を集めたミッキーマウス。アメリカンカルチャーのシンボルとはいえ、子ども向けのキャラクターであったミッキーマウスを ‘90 年当時にお洒落なものとして捉える藤原ヒロシさんの着眼点が冴える内容となっています。

特に MIMIC 編集部が注目したのは、蛍光カラーのミッキーマウスがマルチプリントされた藤原ヒロシさんが着用しているTシャツ。THRASHER ( スラッシャー ) のキャップや VANS ( バンズ ) のスニーカーと合わせてコーディネートしていたので、「 当時マルチプリントのアイテムをリリースしていたスケートブランド POWELL ( パウエル ) の影響があったのでは? 」という想像も膨らませています。

【 HFA ‘90年10月号 】裏原ブランドの大本命 GOODENOUGH が初登場!SKATE THING さんや高城剛さん、川勝正幸さんもゲスト出演

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この回でついに裏原シーンで圧倒的な人気を誇った大本命ブランド GOODENOUGH が初登場を果たします。当時は藤原ヒロシさんや SKATE THING さんらが手がけるドメスティックブランドであるという事実は知らされておらず、STUSSY や ANARCHIC ADJUSTMENT といった国外のストリートブランドと同じインポートアイテムとして認識していた人も多いはずです。

MIMIC 編集部ではブランドの設立や PORTER とのコラボ、READYMADE オープンや RESONATE GOODENOUGH ( リゾネイト・グッドイナフ ) の立ち上げといったブランドの歴史を振り返りながら、GOODENOUGH の魅力についても語り合いました。

また、この回は「 メッセージ 」をテーマにさまざまなアイテムを紹介していますが、なかでもアメリカのコンセプチャル・アーティスト、ジェニー・ホルツァーのTシャツやキャップをいち早く紹介している点も見逃せません。

このアーティストは、’19 年まで NIGO さんがクリエイティブ・ディレクターを務めた「 UT 」でもTシャツが発売されたアーティストです。まだまだTシャツにプリントされた英語の意味まで読み取ろうという意識が少なかった ’90 年代初頭に、そのメッセージ性に注目して連載のテーマとした藤原ヒロシさんの感性の鋭さには目を見張るものがあります。

モデルには、藤原ヒロシさんと交流の深いクリエイターである高城剛さんと川勝正幸さんが出演し、ストリートのオタク心をくすぐる演出が施されています。

【 HFA ‘90年11・12月号 】渋カジの女王、田中律子さんが登場!小泉今日子さんの名盤 N°17 や初期裏原の名店、ロンディスも紹介

画像参照:CUTIE

STUSSY の秋の新作や初期の裏原を支えた名店、ロンディスに入荷したインポートアイテムを紹介している‘90年の11月号と12月号。

ロンディスはのちに、EM、ELTと続くセレクトショップの草分けで、ムラジュンさんやRISEY ( ライジー ) を手がける千寿公久さん、TRANSPORT ( トランスポート ) を手がける渡辺陽平さんらも働いていたショップとしても知られています。当時はインポートのセレクトに力を入れており、GAP ( ギャップ ) や Banana Republic だけでなく、Calvin Klein ( カルバンクライン ) なども買い付けるバイヤーの酒寄さんのセレクト眼に藤原ヒロシさんはお墨付きを与えています。

ゲストには渋カジの女王、田中律子さんが登場し、モデルとしてこれらのインポートウエアを着こなしました。

 

 

また STUSSY の新作を紹介した回では、小泉今日子さんの名盤「 N°17」のプロモーションTシャツが製作されたことも報告されています。これは KOIZUMIX PRODUCTION のプロモーションアイテムよりも前に製作されたアイテムで、裏原マニアの間では“幻の名作”とされたレア品でした。こんなところでひょっこり紹介されていたので、思わず目が釘づけに(笑)。

 

と、’89 – ’90年のHFAを振り返ってきました。
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