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DJ MASTERKEY |フロアの一体感を演出し《あんときのクラブシーン》をロックし続けた東京 NO.1 DJ マスターキー

《 あんときのストリート 》を発掘|MIMIC ( ミミック )
野田

まさかの出会いでしたね。マスターキーのフィギュア、店頭で見つけるまで発売してたこと忘れてましたよ

遠山

さすが万代だよね。ディスプレイも売ってくれるという (笑)

野田

はい (笑)。ダメ元で聞いてみて正解でした。ちゃんとスニーカーコーナーにあったし、万代は文脈も理解してますよね。

思わず色違いもオークションでゲットしちゃいましたよ

高柳

これはヘック ( ティク ) ですかね?

瀬戸

ですね。バックドロップボムのBDBキッドとか、ハスキングビーのハスキッドとか、そういうアーティストとかブランドとのコラボも多かったメディコムトイのクロマニヨンのやつで、販売はヘックとあります。

手元の資料だと2002年発売とありますね

野田

キャップ、ネックレス、腕毛 (笑)、よく特徴とらえてるよね

瀬戸

マスターといえばブッダですよね?

野田

まぁ、ボクら世代はそうなるよね。

ざっとキャリアを説明すると、文献によって違うのですが渡米したのが1987年か88年。それまでは実家が美容院だったこともあり原宿で美容師をして、お金を貯めてたんだって。で、CQは実家の工務店を手伝ってお金を貯めて、2人でいくことになると

高柳

蒲田とかの出身ですよね?

野田

うん、六郷だったかな。

で、2人でルームシェアしてたんだけど、当時ロックフェラーセンターで中継してた「ズームイン朝」にマスターは後ろの群衆みたいな感じで写りにいってたみたい (笑)。日本の友だちに向けてね。そこでADのバイトで照明をしてたニップスに出会うと。

その後、日本の映像を企業やレストランに配達するバイトしているときに「れんげ」っていうレストランでバイトしてたデブラージと出会うことになると

瀬戸

へぇー!いきなり鮮烈なDJデビューとかじゃないんですね

野田

そりゃそうでしょ、さすがに (笑)。

音楽活動でいうと DJ HIROnyc が働いてたMARSってクラブで始まるみたい。そこでCQが掃除の仕事などを始めるようになり、入り浸っているうちに徐々にDJを任されるようになっていったんだって。

そして88年だか89年にブッダの前身となる「うわさのチャンネル」を結成して、90年に「ブッダ・ブランド」に改名すると

遠山

ファインで連載やってたよね?

野田

やってましたね!デブラージですけどね。NY紹介みたいな感じで。ブッダブランドじゃなくナムブレインって名前でしたけど。ボクが最初に知ったのは、この連載がきっかけだったと思うんですよね

遠山

帰国はどれくらい?

野田

95年ですね。でもマスターはニューヨークでDJ活動してたので、この時に帰国してなくて、96年にカッティングエッジから「人間発電所」でデビューしたときもニューヨークだったって「90年代 ジャパニーズヒップホップ」で読みました。

実際の帰国は、その数ヶ月後に行われる「さんピンCAMP」の前なんじゃないかな。その模様が「さんピンCAMP」のDVDの冒頭にあるんですよね。成田に帰国して、それをユッキ-さん ( =DJ YUKIJIRUSHI ) たちが迎えにくるとこ。

でもこのシーンはDVD用の後撮りで、あまり気が乗らなかったからデブラージは映っていないって何かで読んだような ( 笑 )

瀬戸

帰国ライブの様子も映ってましたよね?

野田

ヴェルファーレね。あの当時はまだデビューアナログしか出してないのに満杯にしちゃうんだもん、スゴいよね。

瀬戸

で、その後にダディーズハウスですか?

野田

飛んだな ( 笑 ) 。97年からだね。ハーレムの代名詞となるイベント「ダディーズハウス」。

オーリー時代、マスターのプロフィールを書く際に「毎週金曜、渋谷の夜をロックする」って、何度も書いたよ ( 笑 )

高柳

東京 NO.1 DJの所以は、やっぱりニューヨーク帰り、そしてブッダの功績なんですかね?

野田

それもあるんだけど、今じゃ当たり前のDJスタイルを日本に持ち込んだ人なのよね。

そこは先ほどの「90年代 ジャパニーズヒップホップ」にある K ダブシャインの解説が詳しいんだけど、マスターはプレイ中にフェーダーを抜いて「 Say Hoooooo 〜 」って、お客さんとの掛け合いを始めた人なんだって。

マスター以前のDJは、黙々とレコードをかける感じだったんだけど、その掛け合いって今じゃ当たり前じゃない? それを持ち込んだ人が実はマスターだったという

高柳

そうなんですね!それは確かにスゴい

野田

当時は何も知らないで楽しむだけだったけど、そういうのを《あんとき》に経験できたのはマスターのおかげなんだよね、感謝・感謝

遠山

レーベルとかブランドもやってたよね?

高柳

ライフエンターテイメントっすよね。洋服のブランド名は、なんでしたっけ?

野田

ロックスミス ( ROCKSMITH ) だね。

高柳

そうだ!そうだ!

野田

これはニューヨーク時代のマスターのニックネーム。フロアをROCKしてたこと。そして合鍵を作る人をロックスミス ( LOCKSMITH ) って言うんだけど、それを掛け合わせた造語。

2003年にスタートするんだけど初期のロックスミスは、実はマッドフット!で生産してたんだよね。ボクじゃなくグワシの木津さんが担当してたんだけど。いつも夜な夜な、隣の机で木津さんとユッキーさんがTシャツに配置するグラフィックの位置を決めてた

高柳

けっこうグラフィックもカッコよかったですよね?

野田

うん、映画とかCDジャケのサンプリングが多かったね。

最初はTシャツだけだったんだけど、その内にアイテムラインナップを広げようってなって、何作るかの話になって、まずは色々見ようってことで、ボクとマスターとユッキーさんの3人で高円寺まで古着を色々見に行ったことがあるんだよね (笑)

瀬戸

それは良い思い出ですね!

野田

うん、レコードじゃないけど一緒に掘りにいけたんだもんね。貴重な経験させていただきました!

瀬戸

そして、ここにきて新作アルバムというビッグニュース!

伝説のラップグループ BUDDHA BRAND が幻の2ndアルバムをリリース

野田

今年のゴールデンウォークくらいにまさかの再始動の発表があり、そこから6月・8月とコンスタントにシングルが出て今回のアルバムと。

CDのみの発売で全曲デヴラージによるプロデュース。これは正座して心して聴くしかないやつだね (笑)

※ 記憶が頼りでして事実と違うことがあったら、すいません!