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90年代の裏原宿と現在を定点観察!《 あんとき 》の聖地巡礼ツアー! 【 裏原宿 】編

《 あんときのストリート 》を発掘|MIMIC ( ミミック )

裏原シーンの形成において中心的役割を担ったショップ 「 NOWHERE ( ノーウェア ) 」 のオープンから早30年。常に流行の最先端が集まり続ける原宿という街は、トレンドの流行り廃りも激しく、時代の移り変わりとともにその表情を大きく変えてきました。

事実、先日ひょんなことから久しぶりに裏原の地に足を踏み入れた MIMIC 編集部の某部員は、スニーカーの委託屋ばかりが立ち並ぶプロペラ通りの様子にショックを受け「 ココは僕の知っている裏原ではない! 」と叫び散らしたとかなんだとか。

そこで今回の MIMIC では、青春時代に裏原カルチャーにどっぷりハマった裏原世代に向け、みんなが足繁く通った当時の人気スポットの今と《 あんとき 》を定点観察。ボクらの脳裏に焼き付いている裏原の街並みと現在の街の様子がどのように変化したのかを調べながら、当時の裏原の聖地を巡礼していきます!

野田

先日、原宿神宮前商店会の会長で、ウラハラプロジェクトのリーダーを務める早川千秋さんにお声がけいただいて、僭越ながらテレビ東京のビジネス番組「 WBS( ワールドビジネスサテライト )」の裏原特集に出演させてもらったんだけど、今の裏原にはZ世代を中心とする若い才能が再び集まり出していて、ボクらが足繁く通った’90年代の裏原とは当たり前だけど、ガラッと雰囲気を変えているんだよね

当時を知る裏原愛好家として登場した、我らが『 MIMIC 』の仕掛け人、野田大介。30年近く前に発売した UNDERCOVER の初代ワイヤーニットを今も愛用

高柳

正直、もう20年近く、原宿の街に足を踏み入れる機会はなかったんですが、久々に来てみると、僕が知っているお店ってもうほとんど残っていなくて衝撃でした

遠山

おじさんからしてみりゃ、裏原エリアの表参道側の入口で、ド定番の待ち合わせスポットだったウェンディーズがなくなっちゃった時点で別世界だよ

瀬戸

大学や専門学校への入学を機に上京し、現在は地元に戻って働いている人たちなんかにしてみれば、この景色の変わり具合に驚くかもしれませんね

野田

そこで今回の MIMIC では「 裏原はしばらくご無沙汰 」という方に代わって我々、編集部員がかつての聖地を巡礼し、その変貌ぶりをレポートしていきたいと思います!

それではさっそく行ってみましょう!

まずは裏原の中心地、プロペラ通りから!


プロペラ通りや遊歩道へ通ずる、裏原の玄関口。竹下通りがそのまま伸びてしまったんじゃないかってくらい、ここも人が溢れかえる通りになってしまいました

野田

ここは原宿駅から竹下通りを抜けて明治通りを渡り、プロペラ通りへとつながるメイン通り( 原宿通り)。左側には当時からムラサキスポーツのボーダーズファクトリーがあったけど、右側には新しくニューバランスの原宿店( 赤い建物 )ができたんだね。《 あんとき 》は段差のある待ち合わせスポットとか KDDI とかがあったよね。

待ち合わせでいうと、取材の際はムラサキの前のベンチでカメラマンとよく待ち合わせしてたな。斉藤ビルにある香取屋に貼ってある明石家さんまのポスターが懐かしいよ

遠山

あー!そうだった。ストリートスナップの定番の声かけスポットだったよね。この先の左側にある atoms ( アトモス ) は当時からあったよね?’00年代初期くらいだっけ?

野田

もう少し後だと思いますね。このアトモスの前は CHAPTER ( チャプター ) でしたよね。それも2000年をだいぶ過ぎてからのような気がします

高柳

もう少し行くと、右側に YACK さんが手がけていた DOWN ON THE CORNER ( ダウン・オン・ザ・コーナー ) があって、左側には MADE IN THE WORLD ( メイド・イン・ザ・ワールド ) や HEAD PORTER PLUS ( ヘッドポータープラス ) なんかもありましたよね

MADE IN WORLD|まさに世界中のおいしいとこ取り!ストリート系セレクトショップの草分けメイド・イン・ワールド

野田

ヘッドポータープラスができる前は伝説のショップ、READY MADE ( レディメイド ) だよね。整理券をもらってよく並んでたけど、後にも先にもあのワクワク・ドキドキを超える体験を提供してくれるお店には出会えてないですよ。

7STARS DESIGN ( セブンスターズ・デザイン ) のデザインによるレディメイドの整理券

願わくばレディメイドを現代に復刻させて、そこにあるのは《あんとき》のアイテムをアレンジした商品だけとかね。そんなお店を見てみたい。ヒロシさんお願いします(笑)

瀬戸

プロペラ通りの入り口には、Bボーイにお馴染みだった BLACKANNY ( ブラックアニー ) が今もあるんですね!

XBS さんのインタビュー記事 では、かつて S-WORD さんも働いていたというエピソードもあった裏原の名門Bボーイショップ、ブラックアニー

高柳

本当だ!ここで当時、日本未発売だった US の THE NORTH FACE ( ザ・ノース・フェイス ) の洋服をよく買ったな〜

野田

では、さっそく右折してプロペラ通りへと足を踏み入れてみましょうか。’97年発売の『 Boon 』の別冊のショップガイドを見てみると、当時はこんなお店が軒を連ねていたのがわかります

ウェンディーズがあった表参道まで通ずる数百mの間に、裏原の人気店が集結していたプロペラ通り。
出典:『 Boon EXTRA 東京 大阪 ショップ完全攻略NAVI ‘97 』( 祥伝社 )

高柳

ヴィンテージ古着やリメイク古着なんかを扱っていた BUFFALO BOBS ( バッファローボブズ ) の跡地はここですかね?

バッファローボブズの跡地と思われる場所

瀬戸

今は ONE STYLE ( ワンスタイル ) というお店になっていますね。覗いてみると、どうやら、goro’s ( ゴローズ ) や Chrome Hearts ( クロムハーツ ) なんかの委託店のようですね

遠山

ゴローズもクロムハーツも《あんとき》から支持され続けてるんか。根強いなぁ

高柳

で、その隣には真柄さんがバイヤーを務めた古着の名店、VINTAGE KING ( ヴィンテージキング ) がありましたよね

ヴィンテージ古着が全盛期の《あんとき》にレギュラー古着の面白さを教えてくれたヴィンテージキング。裏原で大流行したゴアテックスの迷彩マウンテンパーカーもこのお店からの発信だった
出典:『 Boon EXTRA 東京 大阪 ショップ完全攻略NAVI ‘97 』( 祥伝社 )

遠山

お店が入っていたベルパレス原宿というテナント施設自体がなくなってしまっているね

瀬戸

建物も新しくなって、今は LHP が入っているんですね

ヴィンテージキングの跡地。2Fでは Schott( ショット)や blackmeans ( ブラックミーンズ ) などを取り扱う

野田

ヴィンテージキングはノーウェアの上という記憶の人も多いだろうけどね。この並びにあった福よしも移転して3階に移ったよね。あのクラプトンも愛したという。ちなみにボクはとんかつより唐揚げ派なんだけど

遠山

当時、取材の合間によく食べに行ったな〜

高柳

あの和風の趣きのある外見から、今はチャイナバンクが再現されたストリート仕様に様変わりですね

現在のビルの1階に入居するのは、カリスマスケーター、故キース・ハフナゲルが手がけるアパレルブランド、HUF ( ハフ )。この螺旋階段を登ったところに福よしがある

遠山

プロペラ通りの由来となった PROPELLER ( プロペラ ) の跡地は、スニーカー関連のお店が入っているんだね

NIKE ACG をはじめ、多くのアウトドアブランドを流行させた老舗アウトドアショップ、プロペラ。惜しまれながら2003年に閉店
出典:『 Boon EXTRA 東京 大阪 ショップ完全攻略NAVI ‘97 』( 祥伝社 )

当時、プロペラが入店していたビル( 向かって左側 )。2階にアパレルが並び、1階では家具や雑貨が扱われた

瀬戸

PROJECT LAB. ( プロジェクトラボ ) という、KICKS LAB. ( キックスラボ ) が手がける東京のスニーカーカルチャーの新たな発信拠点になっているみたいですね

高柳

プロペラの反対側( 右側 )の2階には、当時、UK系のストリートウエアを取り扱っていた read between the lines ( リード・ヴトウィーン・ザ・ラインズ ) というショップが入っていましたよね

リード・ヴトウィーン・ザ・ラインズ を紹介する当時の雑誌記事
出典:『 Boon EXTRA 東京 大阪 ショップ完全攻略NAVI ‘97 』( 祥伝社 )

野田

で、プロペラの向かいあたりに、移転したノーウェアやヴィンテージキングがあったんだよね

この建物の脇や階段に並びながらオープンを待つ日々。まだスマホがない時代、タバコだけが唯一のお供だったが、吸っていると注意された《あんとき》のストリートキッズも多いはず

瀬戸

今も A BATHING APE® ( ア・ベイシング・エイプ ) のお店が入っているんですね

野田

AAPE ( エーエイプ ) だからヤングラインの方だね

高柳

懐かしいですね〜!この地下につながる階段でノーウェアの入店待ちで並んだな〜

野田

最初は m&m が内装を手がけて、木の作りだったよね。モノも雰囲気もこんときが最高に良かったなぁ。その後、エイプの内装は片山( 正通 )さんが手がけた無菌室のデザインに変わっていったよね

遠山

この1階にヴィンテージキングが入っていたんだよね。ショップスタッフはみんなめっちゃお洒落だったなぁ

野田

お次は《あんとき》のスニーカーの聖地、Blues ( ブルース ) ですよ

Bボーイたちが買いに集まっていることを伝える当時の雑誌記事。アパレルブランド、DOUBLE HARD ( ダブルハード ) を手がける人気DJ・音楽プロデューサーの DJ HAZIME さんが働いていたのは有名な話
出典:『 Boon EXTRA 東京 大阪 ショップ完全攻略NAVI ‘97 』( 祥伝社 )

高柳

レアなヴィンテージから人気の最新モデルまで、店長の浜名さんが集めたざまざまなスニーカーが店内に無造作に並べられて、カッコ良かったですよね〜

遠山

床にまでぎっしりね。キャンバス地の AIR FORCE 1 はここで買った覚えがある

野田

ボクは MAX 95 とポンプはここだったと思うな。当然、箱無しだったけど、ありがたく買わせてもらったような。奇しくもこの跡地って、現在のスニーカーブームを象徴する SNKRDUNK ( スニーカーダンク ) のリアル店舗が入ってない !?

シーンへのリスペクトを込めて、狙ってこの場所に出店したんだとしたらスゴいんだけど、考えすぎか (笑)

オンライン上のマーケットプレイスを中心に運営してきたスニーカーダンクが、オフラインならではの購買体験の提供や新規顧客の獲得を目的に出典したリアル店舗

プロペラ通りはさ、世界のスニーカー史上、最も大事な通りなんじゃない?

ブルース、チャプター、アトモス、ヘック、ノーウェアがあって、GETTRY ( ゲットライ ) とか FLIGHT CLUB ( フライト・クラブ ) とかもあって、ここに関わる人たちがストリート文脈におけるスニーカーに与えた影響は、群を抜いてるでしょう

瀬戸

今もスニーカーショップが多いですしね

野田

ブルースがなくなった後に、NYの老舗レコード店、FAT BEATS ( ファットビーツ ) の日本のお店ができたのってこの辺だったよね? 真柄さんと ONE GRAM ( ワングラム ) の大村さんが手がけたという。でもって、そっからもう少し行くと、初代のアトモスが入店していたテナントもあるね

現在は空室となっているアトモスの初代店舗があった場所。壁には FUTURA ( フューチュラ ) の壁画があり、日本人スタッフとともにフューチュラの息子さんも働いていた。《あんとき》に GRAVIS ( グラビス ) や MADFOOT!( マッドフット! ) 、TAS ( タス ) を買ったという人も多いはず

遠山

それと当時のストリート系の人気ショップとしてハズせなかったのが、SEXPERIENCE ( セクスペリエンス ) だよね

STUSSY ( ステューシー ) などのストリートウエアから POLO RALPH LAUREN ( ポロラルフローレン ) などの正統派インポートブランドまで、センスの良いアイテムを幅広くセレクトしていたセクスペリエンス。スタッフの方が履くのは、昨年復刻された’90年代の名作、adidas ( アディダス ) の ADIMATIC ( アディマティック )
出典:『 Boon EXTRA 東京 大阪 ショップ完全攻略NAVI ‘97 』( 祥伝社

高柳

懐かしいですね〜!当時、代官山にあった NEVERLAND ( ネーバーランド ) とともにストリート系のインポートセレクトショップとして名を馳せていましたよね。GAP ( ギャップ ) や OLD NAVY ( オールドネイビー ) なんかのインポートウエアをよく買った思い出があるな〜

遠山

アイボールのリングとか、小ちゃいスカルをレザーで繋いだブレスレットとか、アクセサリーのセレクトにもセンスあったよね

野田

この階段とか懐かしすぎて泣いちゃうよ。R2-D2 と C-3PO がプリントされた生地のカーテンだか暖簾だったかがあってさぁ。スタッフの林さんがいる中で 、NY チャプト限定のラガーシャツを食い入るように眺めてた想い出が蘇ってくる

地下1階にあったセクスペリエンスへとつながる思い出深い階段。この薄い茶色のレンガの色は《あんとき》と変わってないような

高柳

当時は1階に TREASURE Island ( トレジャーアイランド ) というヒップホップ系のお店が入っていて、地下にはセクスペリエンスと並んで PUEBLO ( プエブロ ) というヴィンテージの古着店が入居していましたが、今は1階がスニーカーの委託屋で地下には違うインポートのセレクトショップが入っているんですね

裏原の最重要ショップ、NOWHERE と HECTICの跡地は!?

野田

で、プロペラ通りも表参道にほど近い十字路付近まで進んで来ると、《あんとき》の裏原シーンで最も重要なショップだった HECTIC ( ヘクティク ) と初期のノーウェアが店を構えていたんだよね

PKG ( ピーケージー ) や SEESAW ( シーソー ) といったオリジナルブランドを手がけていた頃のヘック。ショップスタッフとして紹介されているのは KRYPTON ( クリプトン ) を手がけ、現在は ZEPTEPI ( ゼプテピ ) のデザイナーとして活躍する RYO さん
出典:『 Boon EXTRA 東京 大阪 ショップ完全攻略NAVI ‘97 』( 祥伝社 )

瀬戸

ヘックがあった場所は、その後も RECON ( リーコン ) ができたりして、東京のストリートシーンには欠かせないスポットとして圧倒的な存在感を発揮していましたよね

RECON|《あんとき》もっとも前衛的だったアーバンミリタリーの代表格リーコン

野田

たしか店内中央にグレイシートレインを模した PG ザクが3体鎮座してたよね。あれはカッコよかったなぁ。このお店で出会った ACRONYM ( アクロニウム )もヤバかったし、スタッフのツトムさんや熊木さんも雰囲気にマッチしてて

遠山

2階には、ばさらかというとんこつラーメンのお店があったんで、この界隈に買い物に来た人は、ここでラーメンを食べたという思い出がある人も多いんじゃないかな

当時は1階にヘックが、2階にばさらかが入居していた。リーコンの外観を思わせる作りは今も健在

野田

ばさらかの味は今も舌が覚えていて、無性に食いたくなるときがあるので、あの味を求めて、代々木の駅前にある学金という店に食べにいくことがある。なんか味が似てるような気がするんだよね、まぁ、四半世紀以上前の記憶なので全然違ってるのかもしれないけど (笑)

瀬戸

今は VANQUISH ( ヴァンキッシュ ) を手がけるせーのが展開する #FR2梅 ( エフアールツーウメ ) というお店が入っていますね

野田

観光地にあって、ECでは買えないお土産的な価値を持つ商品を販売。お店は写真映えする作りになっていて、記念に撮影してショップ名やブランド名をつけて投稿したらハッシュタグになっているという。

ECで手軽に買えて、リアルのお店にいく理由が薄れつつある中、ここまでSNSを完璧にハックして、リアルのお店に価値を持たせることに成功しているブランドが他にありますかっていう。どれだけ考え抜かれた戦略なのよって、思わず唸っちゃうよね

遠山

で、この十字路を青山方面に曲がると、言わずもがなのノーウェアだね

野田

『 宝島 』で連載されていた JONIO さんと NIGO さんの「 LAST ORGY 2 ( ラストオージー2 ) 」でも、2回に渡ってオープンの様子をお伝えしているね

「 LAST ORGY 2 」をショップ化したものがノーウェアだと伝える11回目の連載。店名は NO WHERE と NOW HERE の2つの意味が込められていた

翌12回目の連載では、初代ノーウェアの外観とともにオープン時に並んだアイテムが紹介される。中でも、NIKE エア・リバデルチは印象深い

高柳

店内が NIGO さんのスペースと JONIO さんのスペースに分かれていて、それぞれにセンス抜群のインポートウエアと UNDERCOVER ( アンダーカバー ) の最新作がラインナップされていましたね。床に古着のジーパンが並べられているのも印象的でした

野田

今から、ちょうど30年前の出来事だからね。ここに拠点ができたことで、裏原宿という言葉も生まれてくるわけで、ある意味で今年は裏原宿30周年と言ってもいいのかもしれないよね

遠山

全然関係ないけど、ノーウェアがオープンするもっと前に、ここの隣くらいだったかな?DEAD END( デッドエンド )っていうパンクショップと YANKS( ヤンクス )っていう古着屋があってさ、めっちゃ好きだったんだよね。デッドエンドはノーウェア以上に、お店に入るだけでも相当な気合いが必要だった(笑)ノーウェアの跡地。現在はカステラ屋さんが入っている

野田

その後、ノーウェアはすぐにリニューアルして、通称 ”山小屋”に姿を変えたんだけど、こちらの方が思い出深いという人も多いかもね

’93年の4月1日にオープンし、同年の11月3日にリニューアルを果たしたノーウェア。その様子は「 LAST ORGY 2 」の連載17回目でもレポート

高柳

この頃にはエイプもスタートしていて、アンダーカバーとエイプのヘッドショップというイメージでしたよね

野田

まだ LUKE WARM WATER 時代のエイプだね。ラジカセタグですよ

遠山

これまた入りづらそうな店構え(笑)

野田

その後は RANDOM ( ランダム ) になったよね。GABOR ( ガボール ) とかクロムハーツが売られていて、縦長のショーケースに入ったウォレットチェーンやロレックスケースを食い入るように見てましたよ

瀬戸

ここでもなんですね (笑)

野田

学生には手が出るような代物ではなかったからね。その反動からか、ランダムのオリジナルブランドだった ANYTHING ( エニシング ) のベストは今でも大事にとってある。もっと言えばバイクを買ったこともあり、“ガボール欲しい熱”が25年ぶりくらいに再燃しているんだけど、お家騒動でどこで買えばよいのか見失っていて尻込みしてる (苦笑)

瀬戸

’00年代に入ると metropia ( メトロピア ) や homless ( ホームレス ) のヘッドショップだった麻乃葉になりましたよね

homless|東京・横浜・NY!アーバンスケート・スタイルを日本に広めたホームレス

映画『 All the Streets Are Silent 』公開記念!日本で唯一の Supreme ライダーだった土屋敬志と振り返る《あんとき》のNYスケートムーブメント

麻乃葉。黒で統一された外観もオシャレだった
出典:『 SMART 原宿・代官山DEEPガイド 』( 宝島社 )

高柳

自分は『 Ollie 』時代にスケート担当だったこともあって、麻乃葉にはよく取材に行きましたね〜。メトロピアのライダーの方たちがショップ店員も務めていたんですよね

遠山

まさにこの場所が裏原宿の中心だったと言えるよね

瀬戸

その隣のオンデンはまだあるんですね!

当時のクリエイターやモデルたちもこぞって通ったオンデン
出典:『 SMART 原宿・代官山DEEPガイド 』( 宝島社 )

野田

オンデンの上には CRIB ( クリブ ) があったよね。EAST END の ROCK -Tee さんのお店で、 RIP SLYME の PES さんとか KICK ( THE CAN CREW ) の KREVA さんがバイトしてた。この横の階段でよく撮影したなぁ

NEIGHBORHOOD や ELT といった人気店が軒を連ねた遊歩道

野田

ここからは来た道をちょっと戻って、遊歩道を散策してみましょうか。雑誌『 ASAYAN 』に連載されていた ’95年の「 LAST ORGY 3 」で紹介されている主要店舗はこんな感じ

「 LAST ORGY 3 」と関係の深い、当時の裏原系のショップが紹介されている

高柳

NEIGHBORHOOD ( ネイバーフッド ) もまだジャンクヤードにお店を構えていた時代ですね

遠山

VKS はビンテージキングのスニーカーショップだったよね。懐かしいな〜

野田

ELT ( イーエルティー ) も原宿店をオープンさせたばかりで、アンダーカバーのレディースをメインに取り扱う NOWHERE LTD. ( ノーウェア・リミテッド ) という特別な店舗も一時あったよね

瀬戸

ジャンクヤードはまだ残っていますが、《 あんとき 》 とは見た目の印象もだいぶ違いますね

現在のジャンクヤードの様子

野田

もはやジャンクでもなんでもないという (笑)。でもここからネイバーフッドやチャプター が誕生した由緒正しい場所だよね

遠山

当時は闇市みたいな怪しい雰囲気だったのに(笑)

瀬戸

さらにこの近くには、移転後のヘックが入っていたビルもありますね

移転後のヘクティクがあったビル。現在は1階に MARC JACOBS ( マーク ジェイコブス ) が手がける新感覚ブックストア、BOOKMARC ( ブックマーク ) が入居する

ヘクティクのあった地下1階へとつながる階段

野田

この階段、やばいね。なんだろ階段が1番思い出がよみがえるという (笑)。この階段のコンクリ打ちっぱなしの部分には、 KAWS ( カウズ ) の絵がかかってたよね。今考えると、外に飾ってあったわけでしょ !? スゴい時代だよね、まぁでも出自がグラフィティである以上、それが正しくもあるんだろうけど

遠山

バスケットコートみたいな店内もカッコ良かったよね

野田

あれは衝撃的でしたね。お店ってここまで遊んでいいんだって、固定概念ぶっ壊された気がします

高柳

ここから表参道と反対方向へしばらく戻っていくと VKS のあった場所(おぼろげな記憶)。神山( 隆二 )さんが手がけていた FAMOUZ ( フェイマス ) のショップがあったのもここですよね?

今はデニムブランドの FULLCOUNT ( フルカウント ) のお店が入っている

野田

たしか、ここだったと思う。真っ白な内装だったような。うーん、あやふや。とりあえず LAST ORGY 3 で JONIO さんが紹介していた真っ赤な FAMOUS のスウェードジャケットを買った記憶がある。この時は最後が Z じゃなくて S だったと思うんだけど

遠山

その後も FOOBER ( フーバー ) という人気のセレクトショップが入っていたよね

野田

ノーウェア・リミテッドがあったのは、ここからもう少しキラー通りの方に進んだところだよね。裏原好きの人たちにとっては、ジャンクヤードから移転したネイバーフッドが店を構えたところというイメージが強いかも

ネイバーフッドの移転の様子を伝える’95年の「 LAST ORGY 3 」。店前に並んだ、カスタムされた SR などのバイクがネイバーフッドらしい。最新作としてネイバーフッドが別注をかけた Forty Percent Against Rights ( フォーティー パーセント アゲインスト ライツ ) のフリースウエアが紹介される

現在の跡地に入っているのは、K-POP アイドルたち御用達の韓国の大人気ブランド、NERDY ( ノルディ ) のショップ

遠山

今は韓国ブランドのお店になっているのね

野田

そして、隣くらいにあったのが東京堂ね。金田の「 俺達ァ健康優良不良少年だぜ 」のパーカはココで買ったよ

瀬戸

さらに進むと見えてくるのが、HIDE AND SEEK ( ハイドアンドシーク ) があった場所ですね。当時の建物はなくなってしまっていますが、1階が駐車場で 2階がお店の印象的な建物でしたよね。バーも運営されていて

現在のハイドアンドシークの跡地

野田

そうそう。その後、ヘックの浜畑さんたちが手がけたインポートショップの JUGMART ( ジャグマート ) ができて、さらにはナイキとヘックによる伝説のコンセプトストア、1LOVE( ワンラブ )が限定オープンした場所だよね

JUGMART|オリジナル全盛時代に古き良きセレクト文化を伝えたジャグマート

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高柳

ジャグマートはオリジナルが全盛だった《あんとき》にヘックらしい独自の提案がされたカッコいいセレクトショップでしたよね

野田

RUGBY ( ラグビー ) が始まったばかりの頃だよね。“こっちにないものがある”という時間差経営というか、そういう手法がまだ通用した最後の時代だったのかもしれないね

遠山

ドメスというか、オリジナルブランドが大半を占めるなか、原点回帰的なセレクト中心っていうのが、懐かしくもあり新しくもあって、めっちゃ良かったよね

瀬戸

この頃にストリートアメカジを提案していたセレクトショップと言えば、こことRAWDRIP ( ロウドリップ ) のイメージが強いですね

高柳

で、さらに進んだこの辺に ELT の原宿店があったような気がするんですが

恐らく ELT 原宿店があった場所 ( スミマセン、メンバー全員、記憶が曖昧です )

野田

確かこの辺だったと思うんだけど、うろ覚えだな〜。縦長の細長い店舗でね。AFFA もこの辺だったよね、確か

遠山

俺も記憶ないなぁ。電話がなくて取材のアポ入れができなかったってことくらいしか覚えてない(笑)

高柳

それと遊歩道より1本奥側の道沿いにあったのが、ヒカルさんが手がける、BOUNTY HUNTER ( バウンティハンター ) です。アパレルだけでなく、フィギュアを僕らに浸透させてくれたのが新しかったですよね

バウンティハンターのお店があった場所

野田

今は爬虫類ショップだね。昔、滝沢さんとヒロシさんも爬虫類を扱うペットショップをやっていたよね。このマンションの上には 7STARS DESIGN の事務所があったり、由緒正しき場所ですね

遠山

遊歩道を挟んで裏原のメインエリアからは少し離れた静かな場所っていうのが、隠れ家っぽくて雰囲気あったよね

瀬戸

隠れ家どころか、いつもお店の前にイカついお兄さんたちがたむろしていて、当時中高生だった僕には怖すぎて、お店に行ったのに入れずに帰ることすらありました(笑)

野田

この脇の坂を登っていくと、金網が印象的だった LUMP のお店があったりもして。まぁ、だいだいこれで主要なお店は回った感じだよね

高柳

そうですね。思い出深いお店ばかりで、当時の記憶がいろいろとよみがえってきて、楽しいツアーでした

野田

記事の評判が良かったら、渋谷、代官山・恵比寿といった別のエリアでも実施したいと思うので、皆さん、よろしくお願いします。

本日はお疲れ様でした!

いかがだったでしょうか、今回の MIMIC の “裏原” 聖地巡礼。

しばらく裏原に来ていなかった人たちは、その変貌具合に少々驚いたのではないでしょうか。とはいえ、常に流行の最先端が集まる原宿という街は、移り変わり続けるのが常。裏原世代の僕らにしてみれば「 少し寂しい 」と感じるところはあるものの、新しい若い世代によって、また違う街の表情へと進化を遂げているのです。

この記事を読んだことをきっかけに、久々に新しくなった裏原の地を探検してみてはいかがでしょうか!